はじめて作ったものは、何だったかしら。
ふと考えたのは、ただの思いつきだった。ぐらぐらと音を立てて煮えているのはいくつもの繭だ。藁の先で表面を撫で、糸の始まりを引けば、細い繊維がゆるゆると伸びて湯から指先に繋がる。何本かの繊維を手繰ると、ピンと張り、よりを加えながら機構に通して糸の形状に巻き取っていく。糸にできる材料は様々な種類があるけれど、中でも一等に好きなのは絹だった。
滑車を利用しながら、糸を繰っては紡いでいく。はじめて糸に触れた時、その材料は繭だった。私の産まれたムーンキーパーの集落は、鬱蒼とした森林が広がる黒衣森の東部にある。キャンプ・ナインアイビーと呼ばれるエーテライトから少し離れた場所に構えた住居の裏は、天然の山繭が採れる桑の森だった。同じ地域に住んでいる獣人種族のシルフたちもシルクを使うのが得意だと聞くから、糸に触れるにはとても良い場所に産まれたのだろう。
しかし、思い出せない。始まりは何だったかしら? でも、思い出せないのもある意味当然であった。私にとってものを作ることは当たり前の生活の一部で、物心ついた頃には製作材料がおもちゃだったから。狩猟の民として暮らすムーンキーパーの集落の中で、自給自足をするのなら職人は必要不可欠な存在だ。私の家はそういう家だった。母も祖母もその母も、ついでに言えばよその集落から移り住んだ父も、みんな狩人として暮らしつつ、その生活の比重はものづくりに寄っていたようだから。
ミコッテ・ムーンキーパー族は、狩人として森の恵みを享受しながら暮らす民だ。得意とするのは素早く取り回せる短弓であるが、獣の牙などを穂先に据えた槍を得手とする者も多い。いずれにせよ、必要なだけ森から頂き、その命をしっかりと使い果たすのが生き方に染み付いている。獣から肉を得たのち、残る粗皮や骨、牙などまで、捨てるところはほとんど無い。それは小さな子供にまで染み渡った思想であった。
はじめて作ったものは思い出せない。柔らかな皮をなめしたレザーが最初だったような気がするし、ともすれば、アンテロープを解体して得た角を削って作ったおもちゃだったような気もする。木材を削って作った歪んだサイコロだったかしら? 干した肉だって、作ったものに数えられるかも知れない。思い返すそれらは、どれも日常の記憶だ。生まれたときから私のそばには製作道具がたくさん転がっていた。革を切り裂くナイフに目抜き、鋭い刃ののこぎり。重い鉄の頭に木の持ち手が付いたたくさんのハンマーや、やすり。子供だから触れさせないということもなく、父や母の真似をして遊ぶおもちゃであり、学習道具でもあった。
ものを作るって概念を知る前から端材に向かってハンマーを握っていたくらいだ、はじまりは本当に今更な話。
でも、覚えていることがある。はじめてひとにものを作った日のこと。あれは、冬の日のことだった。
「おねえちゃん、なにするの?」
姉とは三つ、歳が離れている。私は六歳、姉は九歳だった。幼少期の一年は大人の数年に匹敵する長さで、近いのにうんと歳が離れているように感じられた姉は、いつも私の師範だった。兄弟のいる家庭は似たような育ち方をした人も多いだろう。姉を追いかけては、することを真似た。姉は本を読むのが好きだったから、私も真似してまだ読めない単語のある本を読んだり、狩りに同行するようになった姉を真似して、まともに引けない弓を作って森に入ってみたり。
大人のすることは難しくても、お姉ちゃんがしていることなら私も多分やれるようになる筈、なんて。今思えば憧れと共に対抗心もあったみたいだけど、一番身近な先輩を追いかけていれば間違いなんかなかったのだ。
姉は椅子に腰掛けて毛糸の玉をいくつか抱えていた。深い藍色をした毛糸は、寒い地域に住む獣から採集できるフェルトから作れるものとその時にはもう知っていて、物珍しさに目を何度も瞬かせた。
「編み物。おばあちゃんもするでしょ、もっと簡単なのだけど」
祖母も確かに、毛糸玉を行商からたまに買って編んでいた。よく見れば、姉の持っている金色のかぎ編み針は祖母のもののようだ。祖母が冬によく使うのは長い木の編み棒だったけれど、編み針でレースを編んでいる姿は夏に見ていた。
「あみもの。なにあむの?」
「贈り物だよ。プレゼント」
「プレゼント? だれに?」
「もうすぐ生まれる小さな子にだよ」
「ちいさな子!」
私は思わず目を輝かせた。ムーンキーパーの集落は母を中心とした三家族程が寄り添って暮らすことが多い。私の集落も似たようなもので、村と呼べるほどたくさんの人が住んでいる訳ではなかった。私より年下の子供はひとつ下の幼馴染だけで、他の子供は姉以上に歳の離れた少年や少女ばかりだ。
うふふ、と口元に両の手を当てて小さく笑う。この集落の妊婦はただ一人。ファナ・シャールムと言う銀の毛並みの女性だった。料理上手で子供に優しく、おやつを作ってくれるお姉さんで、去年集落に越してきた「先生」と番になったのだ。先生と言うのはロスガル族、と言う聞き慣れない種族の男性で、ミコッテのような耳をしているが、その顔はまるで絵本に出てくる獅子のように尖っていて、口が大きい。牙なんて生えているから最初は驚いてしまったけれど、おっとりとしていて穏やかな男性だ。今では集落で教室を開いてくれている、先生。そんな二人が結婚して、しばらくして、ファナさんのお腹が大きくなり始めた。記憶のあるうちにぺたんこの腹が膨らんでいくを見るのは初めてだった。
「先生とファナさんの赤ちゃんに! なににするの?」
「見てたら分かるって」
姉の手元はまだほとんど糸の状態で、くるりと円状に三段ほど連なっただけのものを見ても疑問符が浮かぶばかりだ。姉は機嫌がよく、鼻歌を歌った。その膝の上で繋がっていく円を見て、私もなんだかむずむずしてしまった。
「ねぇ、ロスガル族の赤ちゃんってみたことある?」
「ないよ、ラウと一緒でほとんど街に行ったことないんだから」
「あんまり絵本にも出てこないもんね」
「うん、エオルゼアでは珍しいんだって」
「おねえちゃんが読んでる本にも出てこないの?」
「ぜんぜん? 先生と会うまで居るのも知らなかったしさ」
一目ずつ、穴の中をくぐったかぎ針が、糸を掬っては引き出していく。たまに間違えた穴に通したり、一目飛ばしそうになったりする手元を見ながら、私はわきわきと手を握り直した。
「先生の手って、おおきいよね」
「大きい。足も大きいね」
「背もぐんとたかくて、おとうさんより、もっとずっとたかいのね」
「お父さんは普通のミコッテだもの。エレゼンよりヒューランよりちっちゃいよ。……でも、エレゼンより大きいね、先生」
くふくふと姉がおかしそうに笑ったから、私も釣られて大声で笑う。姉の手の中の輪は、まだ私の掌よりも小さい。姉はふと手を止めて、私の顔を覗き込んだ。そうして、意地悪く口角をにゅっと持ち上げた。
「ねえ、どうする? ラウより大きく産まれたら」
「えっ……えっ!?そんなことあるの?」
「あるかもよ。あんたも私もロスガルの赤ちゃん、知らないんだから」
「えっ、どうしよう…………! ファナさんのおなかがやぶれちゃう……!」
ゾッとして、私は両手をぺたん、と頬に当てた。来月くらいに産まれると聞いていたけれど、もう既に彼女のお腹は相当に大きい。ぱん、と音を立てて、空気を吹き込んだ獣の腸が弾ける想像をして青ざめる私に、姉は素知らぬ顔をして言う。
「ラウはこの集落で一番ちっちゃい子になるね?」
「ちがうよ、おねえさんだよ、わたし。ヘレナ、もうわたしと同じくらいあるけど……」
「ヘレナ、越えてるよ」
「こえてないもん!」
ひとつ年下の幼馴染を思い出せば、彼女はひとつ歳が離れているにも関わらず、既に身長は同じくらいになっていた。私と姉はムーンキーパー同士の子供だが、ヘレナは母がこの集落のムーンキーパー、父が冒険者をしているヒューラン・ミッドランダー族の男性だった。既にこの集落を去っているが、その身長はエレゼンには及ばずとも、相当に高かったことは覚えていたので、これは確かにヘレナに流れる血が顕れたものだったのだろう。
「ヘレナだってわたしよりもっと、ちいさかったよ! ちかごろなんだから! だって、ヘレナも、おとうさん言わなきゃわかんないくらい、ちゃんとミコッテだし……」
「じゃあ、わかるじゃない?」
私がわたわたしている間に製作が再開されていた姉の手の中の毛糸は、くるりと丸まって、半球から筒へと差し掛かる状態だった。掌よりも小さいそれを見て、私はぴんと閃く。
「くつ下だ!」
「正解。まだ寒い頃に産まれるから、暖かくしなきゃ」
ふんふんと鼻歌を歌いながら針を進めていく姉に、私はぽかんと口を開けたまま考え込んだ。姉の手の中の靴下は、ミコッテの赤ちゃんのサイズだ。じゃあ、先生の子供としての血はどこへ? ロスガル族はとてもとても大きいのだ。
そして気付く。ヒューランとの間の子であるヘレナは、身長以外はほとんど全て。耳も瞳も尻尾も、顔に薄っすらと刻まれた模様だってミコッテの子供じゃあないか。
「おねえちゃんがだました……」
へにゃり、耳と尻尾を垂らして唇を尖らせた私に、姉は「騙してなんかないよ、勝手に想像したのはラウでしょ?」と笑う。
「お母さんの種族の方が、子供にはよく出るんだって。お母さんが先生で、ファナ姉がお父さんなら、もっと大きくしとかないといけないかも知れないけどさ」
「じゃあ、ファナさんそっくりの赤ちゃんになる?」
「ヘレナはルカさんによく似てるけど……髪の色がちょっと違うし、目の色はぜんぜん違うよ」
私はそう言われて、かの親子を思い描いた。濃い褐色の肌は同じもの。顔立ちもそっくりで、まるで生き写しだ。ヘレナが大きくなったら、きっと母のルカさんになるんだろうと思える程の。ただし、二人の髪は共に銀だが、純粋なしろがねのルカさんに対し、ヘレナの髪は光に透かすと薄っすらと緑がかって光る。それに、釣り上がったその瞳を見れば、ルカさんは柘榴石の赤、ヘレナは青葉の緑色だった。
「じゃあ……」
「ヒトによって違って、同じ親でも、兄弟でどっちに似るか毎回違うんだって。先生が言ってた」
ああ、どんな子が産まれるのだろう! 胸がときめくと、私も何かしたくて堪らなくなった。手はずっとうずうずしていた。感情のはじまりは姉の真似だったのかも知れないが、心が動き出したのに気付けたのは私の感情だからだ。
小さな小さな、赤ちゃん。大事なお隣のお姉さんと、大事な勉強の先生の子供。どんな姿になるのかしら。透明な光の子に、姉が藍色の靴下を履かせる。じゃあ、私はどうしよう? 何か作りたくて、堪らない。まだ姿も知らない子を大切に想う。
暖かくするなら、手袋に、帽子。いや待てよ? 赤ちゃんは指をしゃぶるから、手袋は違うな。私はまだ上手く作れないだろうけど、だからこそ、気兼ねなく使えるものだといい。洋服はたくさんあっても困らない……でも、本当にどんな大きさの子かわからないし、そもそも立体的な縫い物はまだ全然出来ない。小さく絹糸で刺繍するのに嵌って、指を刺しつつ家中の布を刺繍だらけにしたくらいで、ちゃんとした型紙を使った裁縫はまだそれほど経験がなかった。
私にも作れるもの。うーん、うーん、と腕を組んで唸る。……いっぱいあって困らなくて、刺繍があったら可愛いもの。最後に見た子供はヘレナで、ほとんど一緒に育ったものだから、参考にはあまりならないか……? 記憶を辿っても、喋らないヘレナの記憶はほとんど無くて匙を投げそうになったが、ついに、ぽんと手を打った。
「スカーフ、よだれかけになるスカーフにする!」
閃いたら早かった。スカーフなら、三角に布を裁つだけだから、私にも出来る筈。姉を見守ることを一瞬で放り出して、遊び場にしている材料の倉庫に入る。良さそうな布はどれかしら。汚すから、洗いやすい素材がいいんじゃないか。丈夫で厚手のコットン生地を見付けて、母を呼び付ける。プレゼントにしたいの、つかっていいでしょ、ねえおかあさん! 素材は有限なため、子供には勿体ないと怒られるかもしれない。そう考えて思い切り駄々を捏ねるつもりで行ったが、母はあっさりとシンプルな白い生地を渡してくれた。芯に巻き取られたそれを、えっちら、おっちら両手で抱いて肩に担いで運び、家の中の作業台に載せる。そして広げて、洗えば落ちるマーキング用の木炭でそうっと線を引く。
今だったら、ちゃんと定規で大きさを測って、線も真っ直ぐ引いて、とか言って聞かせるのだろうが、当時の私はさも適当に切っているようにして最適化したパターンをとる母たちの職人としての技術を知らなかったので、似たように出来ると思い込んだ。
産まれたての赤ちゃんってどんなに小さいのかしら。布の端を持って、自分の首に当ててみる。目を閉じて空想する光の子は思い浮かべるだけで気持ちをふわふわと高揚させた。どんな風にしたら喜ぶかな。私が作ったよだれかけをして、笑ってる赤ちゃんが見たいな。そうして、私はしゃく、しゃく、と鉄のはさみでゆっくりと布を裁ち始めた。
お母さんは、端っこにちょき、と切れ目を入れたら、あとは台に沿って滑らせるだけで一直線に布が切れてしまうのに。おかしいなぁ、と首を傾げつつ、丁寧に入れたハサミはやや曲がっていく。あれ、あれれ? そもそもを言えば目印が曲がっているので当然なのだが、私は眉間に皺を寄せた。
ほつれないように、端っこは折って縫い留めるから……。そう考えつつも、斜めにシャクシャクとはさみを入れるたびに歪みはあからさまになる。手が震える。どうしよう、どうしよう! 布は無駄にしちゃいけなくて、もっと……もっと綺麗にして、笑ってほしいのに……。こんなの、喜んでもらえないかもしれない……。
考えれば考えるだけ、プレゼントを貰って困った先生やファナさんの顔が浮かんでくる。きっと嫌だと言われることはないだろう。あの人たちは優しい人だ。そうやって労られるからこそ、辛いことが倍以上になって返ってくる。ごめんなさい、わたしが、もっと、お姉さんなら……。後ろ向きな私の考えを、冷たい目をした私がなじるのに、じわじわと涙が滲んでくる。
しくしくと泣き始めた私の声を聞きつけたのは、ファナさんたちの家の改装に出払っていた父だった。私の体をひょいと片手で回収して、母を呼ぶ。そしてやってきた母は、父の腕に抱えられながらずびずびと泣いている私と、私の引き起こした事件によって無残な姿になった綿布を見て、眉尻を下げて笑った。
「だいじょうぶ、泣かない。……しかしラウ。何作ろうとしたの?」
「あかちゃんの……すかーふ……」
「それにしては大きいんじゃないか、これ」
「ヴァルラムさん大きいから釣られちゃったのかな?」
でも、それならむしろ丁度いいと、母は火熨斗を取り出した。明らかに歪んだ箇所は切り落として、一回り小さくなった三角形の布の端を丁寧に折る。私は父にしがみつきながら、母の手が魔法のように「失敗」を鮮やかに「モノ」へと変えていく様を見詰めていた。火熨斗できっちり折り目を付けたら、私がその前に下ろされる。
針に糸を通すのはとても得意だったから、涙で霞む目をごしごしと擦って、新しい綿の糸を取り出す。口に咥えて撚って、先端を斜めにちょきんと切り落とせば準備は万端。銀の針の小さな穴へ、数度の挑戦で貫通させる。糸の終わりを切り結ぶと、私の小さな指に合わせて母が作ってくれた指貫を嵌めて、改めて布を手にとった。むむむ、と真剣な顔で、一針目を刺す。
「しかし、ラウがモノ作るのにグズるなんて、珍しいこともあるもんだ」
「一回作り始めたらずっとご機嫌だったからね、この子」
父と母は不思議そうに私の背後で言っていた。
そうだ、私は物を作る、ただそれだけで良かった。作っている作業、それ自体が楽しい娯楽だったのだ。角や木を削っておもちゃやアクセサリーを作るのは、その完成品を使いたいからではなかったように思う。釘を打つ、やすりやノミで削る。糸を通す。怪我をしながらも、それで泣くことはほとんどなかった。血が滲んで汚れてしまって、泣くことがあるくらい。自分の手が素材の姿を変えていく、それを味わうことが何よりも好きだった。歪んだ完成品も、私にとっては作業の全てを覚えている遊び相手であり、失敗作ではなかったのだ。
この時、初めて上手く行かないと泣いた。きっと同じように歪んで裁ち切られた布のハンカチはいくらでも既に生まれていただろうに。たった一つ。他人のため、触れた瞬間に見えるものが変わった。
ちく、ちく。運針はまだそれほど器用に出来ず、ただの波縫いも目は不揃いで、曲線になりつつある。母の指先で進路を修正されながら、私はひたすら針を進めていた。無言で周囲を縫い留めていく。布を握る手には力がこもっていた。今ならあっという間に終わるだろう、小さな布片の周囲を縫うだけの作業が終わる頃には、私の額には汗が浮いていた。
「……できた!」
私はスカーフを掲げた。ただの二等辺三角形の布だ。掲げて見て、眉間に皺を寄せる。……縁が曲っている。やっている最中は夢中で見えていなかった粗を突き付けられてまた半泣きになる私に、夕飯の準備をしていた母が声を掛けた。
「上手くできたね。それで完成?」
「うまくできてない……ししゅうもまだだけど、こんなの、きっと、うれしくなんか」
どんどん湿り気を帯びていく声に、母は苦笑して頭を撫でた。私の前の作業台から、きれいな絹の刺繍糸を取り出して並べてくれる。どれがいい、とリズミカルに指さされて、私は俯いた。
「完成はさせた方がいいよ。満足行くまで作ればいい。使えるんだから、無駄にはならない。次はもっと上手くなればいいんだよ」
「まだ、ざいりょう、つかってもいいの……?」
母は驚いた顔をして、それからにこりと笑った。つん、と私の頬を指でつつく。
「そんなの今更じゃないの、ねぇ? うちはモノ作りの家なんだから、練習しないと素材が勿体ないくらいだよ。アンタが一人前になるための勉強道具なんだから」
私は目を見開いて、それから耳をぺたんと下げてふにゃふにゃ笑った。泣いているんだか笑っているんだか、中途半端な表情だったろう。でも、心の底から嬉しかった。そうして心に決めたのだ。
私は、モノ作りの人になる。
よりを掛けて強度が増した大量の絹糸を乾燥させ、長さを整えるべく、綾を保ちながら突起の付いた台に巻き取っていく。今回の依頼はドレスの素材として使用する山繭絹布の納品だ。たっぷりとドレープを作るようで、品質が均一なものを、量を揃えて、という依頼だからか、私の元へとやってきた。
お前は値段を付け間違える、商売に向いていない。キツい物言いをしたのは私財管理人として雇い入れることになった幼馴染のヘレナだ。言外に含ませたのは「私に給与が払えないくらい技術を安売りするんじゃない」である。薄々勘付いていたことでもあったので反論もせずに飲み込んだ。だから、私の仕事はあくまでも裁縫師ギルドを通した依頼に留まっている。不良品発生による原価の値上がりは自己責任だが、市場の適正価格で仕事を受ける事が出来るためだ。
私は、モノ作りの人になった。
初めての納品の時は、その物量に夫婦には大層驚かれたものだ。誰かのモノを作りたい。誰かのために、そう考えただけで特別になった。
それまで単純に作れるモノが増えることだけが喜びだった。正直完成品の品質はそっちのけだったのだ。しかし完璧を求め始めれば果てはなく、技術が上がれば上がるだけ喜びと、まだ足りないと思う気持ちが私に針を持たせる。現在進行形として、まだ、足りてはいない。果てがないからこそ堪らなく、この生き方が好きだと思う。
選んだのは裁縫だ。でも裁縫には革細工や彫金の技も必要で、それを学ぶためにはまた別の技術が必要。ああ、足りない、足りない! しまいには、出来上がったものの品質を身に着けて確かめるために、武術に手を出すなんてこともあり。ヘレナには「どこを目指してるのよアンタ……」などと言われる始末だが、私は自分を幸せだと思っている。
素晴らしき哉、人生! 人に求められるままに納品する、それは社会の歯車の一つとして義務を果たしているだけかもしれない。でも、歯車には歯車なりの喜びがあるのだ。誰かに求められる。生きていて、これ以上に嬉しいことはない。私が好きなことをして、好きなように生きて、誰かのためになるのなら、それが私の生きている意味なのだろう。
今日も糸を紡ぎ、布を織る。代わり映えのしないこの日々が、堪らなく愛おしいのだ。
