彼女は太陽のような人だ。
今日も彼女は、議事堂から出て僕たち市民と直接触れ合い、声を集めてくれる。委員会の所属を示す特別な仮面こそ付けているが、その態度に気取ったところは一切ない。
僕は、彼女と話している人々の波が切れるのを待っていた。フードの外れた彼女の結い上げた髪が、彼女が声を聞き、頷くのに合わせて揺れる。ふだん見えない髪が見えているだけでも、ちょっとどきっとしてしまう。
(今日の髪型も、似合ってるなぁ。やっぱり、うん、……かわいい)
僕が彼女に出会ったのは、つい最近のことだ。そもそも、地方に住んでいた僕が研究のためにアーモロートに越してきたのも少し前なのだ。
あの日、僕は探しものをして、街の外に出ていた。
僕のエーテルは元々、生物に寄られやすい性質をしているらしい。施設内の研究対象である生物に接するには非常に便利なのだが、自然環境の中で生きる姿の観察には、少々困る状態で。そのため、中和作用のある獣除けの護符を身に着けていたのだが……。先日のフィールドワークの最中に、落としてしまったようだ。
もちろん、正式に管理局に受理されているイデアが元になっているのだから、申請さえ出せば創り直すことはできる。しかしあれは、地元に残してきた母が創ってくれたもので、世界に一つしかない。
だから生物に注意して、外を探していた。街の中に比べれば、近郊とはいえ多少の危険はあるのだが、それでも大切な宝物だ。しかし、夢中になるあまり、僕は背後に寄っている生物の影に気付かなかった。
「危ない!」
そこで助けてくれたのが、彼女。アゼム様だった。獣をむやみに傷付けないよう、僕に飛びかかった狼型の獣を杖の柄で払い、そして鎮静魔法を掛けてくれたのだ。
尻もちを着いた僕が見上げた彼女は、太陽を背に笑って、僕に手を差し伸べてくれた。フードが外れて、普段見えない髪が風に揺れる。太陽、そのもののようだと思った。いや、太陽よりも美しいだろう。僕はその笑顔に、一瞬で恋に落ちてしまった。
通りすがりに助けてくれた彼女は、僕の困りごとを聞き、「そういうのは私の専門だよ!」と力強く胸を叩いた。彼女は土に手足が汚れるのも気にせず、僕と一緒に草木を掻き分けて、小さな護符を探すのを手伝ってくれた。一市民にも親身になってくれる心優しい彼女に、僕はもう一度胸を高鳴らせた。
日が暮れ始める頃、彼女は無邪気に歓声を上げた。はい、これ! と、僕の手を握った小さな手にどきりとする。護符は赤い日差しを浴びて、きらきらと輝いていた。何度も頭を下げて感謝を述べる僕に、彼女はにこにこと嬉しそうに笑った。
「きみが喜んでくれるのが何より嬉しい。気にしないで、私が好きでやっているんだ」
僕はそんな彼女に、つい口走っていた。こ、恋人は、居るんですか! と。どもりながら言う僕の勢いに、彼女は目を丸くして固まったが、すぐに微笑んで首を振った。
「ううん、居ないよ」
僕は内心で拳を握り締めて突き上げた。僕もなんです! 勢いよく言ったが、それで、ええと、なんて。どう誘ったものかと口篭る僕に、彼女は目を細め、手を握って僕の顔を見上げて言った。
「きみも、素敵な人が見付かるといいね!」
あの日、意気地なしの僕は、素敵な人は見付かりました。あなたです! と宣言できなかった。それからこちら、誘う隙を探して、街中で市民から依頼を集める彼女をそっと見つめる日々が続いていた。
仕事中も上の空の僕の様子は、誰にでもよく分かるようで。友人である研究仲間は「春でも来たのか?」とニヤニヤ笑っていたものだが、彼と来たら、ひどいのだ。
相手は誰だ、上手くいくようにセッティングしてやろうか、と言ってたくせに、僕が彼女の名前を出した途端、急に顔を顰めて、可哀想なものでも見るかのような目をするのだ。
「アゼム様って、あの、アゼム様か?」
アゼムと現在名乗る人は、世界中にあの人しか居ない。それにしたって、人の想い人に「あの」とは失礼な。憤る僕に、彼は首を横に振った。
「悪いことは言わないから、アゼム様だけはやめとけ。お前、最近この街に来たから知らないんだろ」
彼女の市民らしからぬ奔放な様は、噂には聞いていた。しかし、そんな彼女だからこそ、僕は恋に落ちたのだ。街を歩くのは品行方正な市民ばかりだが、むしろ人と違うそこが可愛らしいと思う。力説する僕に、彼はやれやれと頭を抱えた。
「忠告は、したからな?」
今思い返してみても、彼の憐れむような視線の意味は分からない。彼女の良さが分からないなんて、人生を損している。
……と、もやもやを抱える僕の霧を晴らすように、彼女への道が急にひらけた。い、今だ! 僕は逸る気持ちを抑えて、けれど足早に彼女に近付いた。
何度も練習したように言えばいいのだ。彼女にあの日のお礼を言って、あなたともっと話してみたいから、とお菓子の美味しいお店に誘うのだ。大丈夫、大丈夫。いつだって想像の彼女はあの明るい笑顔で頷いてくれて、断ることなどなかった。
声を掛けた彼女は、記録していた手元のクリスタルから顔を上げて、想像通りの花が咲くような笑顔を浮かべた。か、かわいい! 真正面からそれを食らった僕は一瞬たじろいだが、すぐに体勢を立て直す。
「きみ、この間の!」
覚えていてくれた! 僕は拳を握り直し、あの日のお礼を述べた。彼女はやっぱり、当たり前のことをしただけだよ、と謙遜して言って見せる。そういうところが、僕は好きで……。
よし、言うんだ! ひとつ呼吸をした僕は、彼女をまっすぐ見つめた。どうしたの、と小首を傾げた彼女に、喉元から声を絞り出そうとした、瞬間のことである。
「お前、また外でフードを外して」
彼女しか見えていなかった僕は、彼女の後ろから近付くその青年に気付いていなかった。低い声とともに手が伸びて、彼女の落ちていたフードを被せる。アゼム様は、驚いたように後ろを振り返った。僕も呆気に取られて、同じ方をぽかんと見つめる。
「いいじゃん、落ちちゃうんだよ。この方がみんなの声も聞けるし、いいだろう?」
「落ちたなら被り直せ」
「ハーデスのけち。家の中じゃそんなこと言わないくせにさ」
家の中。家の中、とは。目の前で親しげに話す彼女と、赤い仮面を付けた彼の言葉に、僕は硬直した。どちらの家かは知らないが、とりあえず、行き来して共に過ごす仲であるということだ。
赤い仮面で、それが誰だかは一瞬で見当がつく。当代エメトセルクは、ハーデスという名だったのか。……別に、知りたくはなかった……。知るなら知るで、彼女の真名を先に知りたかった……。
僕をよそに、彼と彼女の会話は進む。
「座で呼べといつも言ってるだろう、当代「アゼム」様?」
「だって、ずっと昔から呼び慣れてるんだもの。今更口は簡単に覚えてくれないよ。きみが器用すぎるんだ」
ずっと昔から。なるほど、なるほど……。彼がそっと彼女の腰に手を回した。彼女は抵抗することもなく、当たり前のように受け入れている。待ってくれ。昔なじみなのは頭が理解したのだが、その距離感が飲み込めない。
恋人は居ないって、言ってたじゃないか……!
「もう、お小言言うためだけに来たの? 私は彼と話してたんだけど!」
エメトセルク様は、そこでようやく僕の方をちらりと見た。抱き寄せる仕草は自然だ。
「悪いが、借りていっても構わないか? イゲオルムがアゼムの知恵をご所望でな」
借りていっても、と述べたが、僕には「返してもらっても」と聞こえた。アゼム様はその言葉に、はっとしたように顔を上げた。そして眉尻を下げて、僕の手をとった。
「ご、ごめんね。もう行かなきゃいけないみたい。何か用事があったんだよね?」
僕は消え入るような声で返した。お礼を、言いたかっただけなので……。アゼム様はもう一度、ふんわりと花がほころぶような笑みを浮かべた。
「この間も言ったけど、市民の喜びになることが、私は一番嬉しいんだ。困ったことがあったら、いつでも私に言ってね」
温かい手が離れ、呆然と立ち竦む僕を残して、アゼム様と彼は共に背を向けて歩き出した。手を離されたままの姿勢で固まっていた僕は、アゼム様の楽しそうな声が聞こえなくなったところで、脱力して手を落とした。
そこでやっと、僕は彼の言葉の意味に気付いた。
後日、しおれた顔で見事な失恋の顛末を話した僕に、友人はそれ見たことか、としたり顔で言った。
「忠告は聞いておくもんだぜ?」
そして彼は遠い目をしたのだ。
「……特に、先輩のはよ」
