花の色

「美しくなくたって、価値はあるのだけどね」
 アゼムが剣を振るい、血を払い除けた。月あかりの下、斃された獣たちがエーテルへと還っていく。彼女は、立ち昇る光の中で静かに、大きく枝を伸ばし小さな花々を咲かせる大樹を見上げていた。

 今回アゼムは、委員会の査察の最中、新たに依頼を受けていた。それは、とある住人が呼び出したものの、手に余した創造生物の討滅である。狼型の獣たちが集落の外れにある大樹の周囲に巣を貼り、近付く人々を襲っている。だから、どうにか獣を倒してほしい。単純明快な、腕っぷしだけが求められる仕事だ。
 巣の場所が分かっているなら、強大な破壊魔法を打ち込んで一撃だ。常の彼女ならそうするだろう、と同行者であるエメトセルクは思っていた。巣の場所を確認し、被害なく片付ける手助けをしてもいい、と杖を片手に名乗り出たエメトセルクに対し、アゼムは首を横に振った。火炎の出るような魔法は一切使わないでいるべきだ、と。
 その理由を聞くよりも前に、アゼムは剣を抜き走り出してしまった。仕方なく、エメトセルクも大剣を創り出し戦闘に入った。背中を預け合い、踊るように剣を捌く。始まってしまったものは仕方ない。
 次に彼女が口を開いたのは、動くものが何も居なくなった時だった。
「美しい花を散らすのは、どうにも耐えられないだろう」
 それが、訊ねようとしていた問の答えだと気付いたエメトセルクは、呆れて眉を寄せたのだ。何かを守りながら戦うのは、ただ敵を斃すだけよりも遥かに難しい。守る対象が人の命であるならともかく、大木一本だなんて。創造魔法を働かせれば、同じ種の大木はすぐに挿げ替えられるだろうに、と。
 そんなエメトセルクに、アゼムが呟いたのが、先程の言葉だ。

「私達は、命さえも創れてしまうから忘れがちだが。本来、命は時間を記憶するものだよ。少なくとも私は、そう思っている」
 ああそうだ、こいつはそういう感傷的な生き物だった。エメトセルクは顔をしかめた。
 人は世界の管理者である。摘むのも、育むのも、世界のため。大体皆、そのように考えて生きている。必要とあらば創り出すし、世界に害をなすものであれば摘み取る。そうして生きるのが普通だ。世界に貢献するとは、そういう意味である。
 しかし彼女には、世界にとって、という観点は備わっていないようだった。彼女の視点は独特だ。溶岩に焼かれるなら仕方がない、と棄てられた土地も「あそこの葡萄は美味しい」と、たったその一言だけでどうにか身を挺して救おうとする。
 今回のこれも、そうなのだろう。睡眠魔法を一帯に流して、魔力の星でも振らせれば制圧は簡単だったろうに、牙や爪が届きかねない近接戦闘を自らに強いる。付き合ってしまう私も私だが……。エメトセルクはそう思いかけて、首を横に振った。全責任は相手に委ねてしまえ。
 アゼムは大木に近付いた。ちょうど花盛りのようで、枝いっぱいに付けた小さな花が、風に煽られると雨のようにひらひらと宙を舞い降り注ぐ。同じ種の花と、どこが違うのだろう。エメトセルクの視線を受けて、アゼムが小さく笑う。
「見てくれ、ここを。ふふ、これは人為的な傷だな」
 エメトセルクがすっかり命を吸い終えた土を踏みしめ近付く。彼女が指差す樹の皮には、刃物で削ったような傷跡が刻まれていた。よく見れば、それは文字のようだ。おそらく、二人分の名前。
「最初からこれに気付いていた訳じゃないんだけどね。この場所が大切にされているのは何となくわかったよ。木に光が当たるように、周囲がいくらか拓かれている。……きっと、依頼をした以上、私達が傷付けても怒りはしなかっただろうが、傷付く心はあっただろう」
 エメトセルクは溜め息を吐いた。こいつはいつもそうだ。最適な手段はあるはずなのに、見えもしないものを想像して、彼女なりの最善を探し、相談もせずに決めて始めてしまう。せめて一人走り出す前に言葉の一つでも寄越したなら、それに多少沿う代替手段を見付けるのに。取り返しが付かなくなってから、合わせろという。横暴ばかりだ。
 垂れる長い枝先を、月明かりが照らしている。アゼムはそっと手を伸ばし、花を優しく撫でた。うっすらと光る横顔を見ながら、エメトセルクはどかりと根の張る大地に腰を下ろした。
「お前は、守るものが些か多すぎる。取り返しのつくものを退ける選択を選べないのか」
 アゼムはエメトセルクに顔を向け、驚いたように固まったが、すぐに俯いて肩を揺らした。枝から手を離し、ゆっくりとエメトセルクの隣まで歩み寄る。
 ブーツが土を踏む柔らかな音を繰り返し、アゼムは近付くと、エメトセルクの隣でしゃがみ込む。
「みて」
 アゼムが指を上に向けた。夜空に星と月。それに網をかけるように広がる枝と、風と共に降り注ぐ花弁。
 ひらり、鼻先を薄桃色の花弁が掠める。
「どう思う?」
「どう、って」
 エメトセルクは唸った。芸術を鑑賞する心はあるのだ。美しいとは思う。それが、アゼムが危険を侵す必要があるものなのかは別の話であるが。
「綺麗に思ったかい?」
 その問であれば、仕方ない。嘘を吐く必要もなく、エメトセルクは頷いた。アゼムは小さくはにかむ。
「ここに思い出が生まれた。ここは、きみと美しい花を鑑賞した場所だ。だから私は、何があってもここを守るだろう。きみも守りたいとは思わないか?」
「……完全に後付けだな」
「同じ繰り返しが、きっとここには宿っている。私はそういうのを読むのが上手いんだ」
 アゼムは立ち上がり、両手を広げてくるりと回った。黒いローブが風を孕んではためく。
「世界が美しいのは、どこにでも思い出があるからだ。そりゃあ、同じ思いが対立したなら、私も大いに悩む訳だが。それがないなら、守るのに手を尽くさない理由がないよ」
 エメトセルクは額に手を当て、俯いた。アゼムはくるくると風を纏わせて踊っている。
 場所などどうとでも作り直せる。エメトセルクの心に変わりはなかった。……記憶を持つのは、人だ。長く同じ記憶を共有するお前が何より大切だと、言ったところで伝わるものか。一瞬考えて、口を噤んだ。
 伝わらぬものに、恥を忍ぶ理由もない。ただ、この景色を美しく思った。口にするのは、それだけしかなかった。