白花の海を聞く

 騎獣に乗って空を駆けて。霞んだ景色の中に、立ち並ぶ高層ビル群が薄く見えてきた時、ああ、帰ってきたなぁ、と思う。エネルギーを効率よく集めるためのエーテル伝導板が巻き付いた、特徴的なシルエット。それは、そこが多くの人を抱く星の都である証左だ。高い建物を細かに並べないと、人々の住む場所や仕事場を十分に供給できないから。
 広々とした庭付きの一戸建て、なんて地方都市でもなければ叶う夢ではないのだけど、それでも利便性が高いものだから、多少狭くなろうとも人は都に住みたがる。ほうぼうを飛び回りつつも、一応十四人委員会の一員であるアゼムも都市に家を持つ必要があったし、ほとんど議場に詰めているエメトセルクはそれ以上の必要に迫られている。
 だから、二人で決めた新居も、住宅用に建てられたビルディングの一室である。旅多く不在がちなうえ、拾い集めてきたものももっぱら研究用に誰かに託してしまうアゼムと、元々家は寝に帰る空間であり、さほど所有物を必要としないエメトセルクであったから、広い家を求める理由もなかった。それなりの座に就いているとはいえ、間取りは極一般的なもので、階層もさほど高くもない。
 アゼムはそんな我が家が気に入っていた。我が家のベランダから眺めるアーモロートの街は、非常に美しい。高すぎる階層から見下ろすと、確かに見晴らしは良いのだが、歩く人の姿などまるで豆粒だ。そもそも安全のために窓が開かない造りになっていることもしばしば。空の色こそ望めないが、人の暮らしが眺められるそこを、美しいと言わずして何とする。
「もう、春だったんだね」
 それは、二人でゆっくりと晩酌をしていた時だった。アゼムは背の高いグラスを手にしたまま、窓を開けてベランダへと裸足で出る。月明かりの下で、紅い液体が光を通して透明な影を作った。アゼムが振り返って言うのに、エメトセルクはソファから立ち上がり、彼女へと近付いた。
 アゼムがグラスを傾け、するすると液体を喉に落としていく。はぁ、と赤い唇が小さく息を漏らした。彼女はベランダの柵に肘を掛け、静かに下を見下ろしている。
 彼女の視線の先で、街路樹が白い大輪の花をつけていた。アゼムの唇が弧を描いた。
「ふた月も空ければ、花も咲く」
 エメトセルクも柵に腕を掛けた。咎めるような声色に、アゼムがくすくすと笑う。エメトセルクはそれを睨んで、グラスに口を付けた。
「寂しかった?」
 エメトセルクに近付いたアゼムが、とん、とその肩を彼にぶつけた。そっぽを向いた恋人は、ぱちん、と指を鳴らして葡萄酒を自らのグラスへと注いでいる。
「半年空けるのもざらだろう、今更何を思うでもない」
「慣れは、不感とは別物だと思うけれど?」
 アゼムが差し出したグラスにも、浮いたボトルが傾いて紅い液体を注ぐ。軽くぶつけて高い音を鳴らすと、くるりとグラスを揺らした。
 さて、どう言い返してくるか。横目で見たアゼムは、腰に伸びてきた手が抱き寄せるのに、軽く目を見開いた。そして、にや、と笑って濡れた唇を顎に寄せる。 
「ああ、可愛い私の恋人よ。しばらくぶりの街の花を、どうか私と見てはくれないか」
 アゼムが指をくるりと回すと、白い騎獣が宙に描かれた輪から飛び出し、ベランダへと降り立つ。跪いて羽を広げた騎獣を一瞥して、エメトセルクは溜め息を吐いた。
「厭だ。狂った手元で真っ逆さま、なんて御免だな」
「この程度じゃ酔わないさ」
 喉を反らせてアゼムが笑う。葡萄酒がアゼムの赤い唇へと消えていく。エメトセルクはアゼムの手から空になったグラスを取り上げた。
「遊覧飛行よりも、お前をしっかりと酔わせてやる方が好みだな」
 アゼムは目を瞬き、それから嬉しそうに笑った。出番のなくなった騎獣は、主人と恋人を眺めたのち、ひらりと空へと飛び出して光へとほどけていく。
 ほんの少し赤みの指した手が、エメトセルクの首の後ろに引っ掛かった。
「寂しいのが、きみばかりと思わないでね」
 寄せられるままに唇が落ちる。ビルディングの間を吹き抜けた風が、白い花びらを誘って、空へと舞い上げた。