満ちる

 初めてその術を知ったとき、幼かったアゼムは真っ先に「彼らとこれを行いたい」と思った。今ではそれを、間違いであったと認識している。
 そもそもを言えば、それは本来、子供のようなまだ柔らかい精神をしている生き物が知ってはいけない知識であったのだと思う。だから図書館のやたらと奥まった位置にある本棚の、限りなく天井に近い位置になど収まっていたのだろう。
 しかしアゼムは自我を持ったときから既に、願うままに心に従って動く、行動力だけで生きているような生き物だった。
 当時のアゼムは、地方都市から前代アゼムであるヴェーネスに連れられてアーモロートにやってきて、さほど時が経っていなかった。そんな中で真っ先に出会った友人が、ハーデスとヒュトロダエウスである。アゼムは彼らの持つ特別な瞳に魅了された。その目はエーテルを捉え、魂の色さえも細やかに識別する。元々未知を知りたくて、ヴェーネスに誘われるまま家を出ることを決めた。すぐ傍らに常に広がっている美しい冥界や、人が元来持っている固有のエーテルなど、興味をそそられて仕方がなかったのだ。
 アゼムは暇さえあれば図書館に通い、魂などについて調べていた。関わりさえあるのなら、片っ端から読み漁った。常識外れと評される言動こそ多いものの、アゼムは知性に欠陥があるわけではなく、むしろ事象に対する理解度は非常に高い。アカデミアなどで専門的に研究されていることだろうと、貪欲にその知識を吸収し続けた。
 魂の融合。その単語に強く惹かれた。人の根幹を為す魂と魂を溶け合わせ、感情も、記憶も、知識も、魂に刻まれる全てを共有する術。
 人という生き物はそれぞれ独立した魂を大切にする。血を分け合った家族でも、それぞれ個人として尊重するべきだ。そんな対等である個と個が繋がることは、特別な意味を持つ。
 アゼムは胸を高鳴らせた。共有したい心はいくらでもある。ヴェーネスと向かった旅で出会った何もかも、彼らに教えたくて、いつだって必死になって言葉を紡いだ。どれだけ真摯に語ったとて、かたちのない心を定性の言葉に当てはめて出力すれば、どこかこぼれ落ちてしまうもの。しかし感じたままの言葉にならないそれも、この手段であれば伝えることが出来るかもしれない。
 アゼムはお喋りだが、選んだ言葉が独特で、ハーデスなど振り回されて怒ることもあったくらいだ。けれど、アゼムは本気で、自分の胸の内を曝け出しているだけなのだ。言葉に乗り切らない彼らへの愛情。出会えて嬉しいという心の底から溢れ出す気持ち。全てを彼らに知ってほしい。隠しごとはできないが、隠したいこと自体がひとつとしてなかった。だから、この手段が最良だと思った。
 知りたいことだって、山ほどある。彼らの視る美しい世界を知りたかった。エーテル視の深度は個人によって大きく異なる。彼らはどちらが次代のエメトセルクに選ばれるか、と言われるほどに深く潜ることのできる視界を持っていた。どんな補助具を用いたとしても、彼らの視界に辿り着くことは出来ないだろう。
 伝えたい。知りたい。ひとつになりたい。次にハーデスと広場の片隅で出会ったとき、アゼムは何の躊躇いもなく、その単語を用いた。
「魂の、融合?」
 ハーデスは眉を顰めた。冥界について肌で知る彼も、まだ子供であったから、その知識は得ていないようだった。アゼムは興奮して話した。
「人と人の魂を混ぜ合わせて、全てを共有する術だ。知っていること、思っていること、全部、伝えられるし、感じられる。私、きみたちとこれがしたい。言葉じゃ足りない部分も、何もかも、全部。全部、きみたちに知ってほしいんだ。お願い、ハーデス。私と、して」
 ハーデスは仮面の下で目を見開いて固まった。手を握って迫るアゼムに、その顔を徐々に歪めていく。やがて、じわじわと上った血の色が、頬を真っ赤に染め上げた。
「お前、意味、わかってないだろう」
 わなわなと震える唇がそう言った。アゼムはぶんぶんと首を横に振った。
「やり方も全部覚えてきた。ちゃんと理解している」
「いいや、お前は、何もわかってない!」
 ハーデスはアゼムの手を振りほどいた。その頬を赤くしているのが、羞恥なのか、怒りなのか、アゼムには判別が付かなかった。余計に、知りたい、と思ったことを覚えている。
「人にとって、魂を触れ合わせるという行為が、どれほどの意味を持つことなのか、理解する気がない」
「私だっておいそれと他人なんかと繋がりたくない。きみだからしたい。きみの心だから知りたいし、伝えたい」
「でもあいつともしたいんだろう」
「当たり前じゃん。きみたちは、私にとって何よりもの特別で」
「話にならない!」
 ハーデスは大声で怒鳴った。まさかそこまでの拒絶を受けることだとは思っておらず、アゼムはじわりと涙を浮かべた。大切な相手だからこそ言い出した。アゼムにとって、それだけの意味でしかなかったのだ。
 キッと睨み付けたハーデスが、まだ来ていないヒュトロダエウスも待たずに背を向けて去っていくのを、アゼムは呆然と見送った。彼にとって私は大切じゃなかったんだ、と。そう思って、ひどく胸が苦しくなった。
 やって来たヒュトロダエウスが話し掛けるまで、アゼムは広場の端に置かれたベンチの上で、ぼんやりと膝を抱えて丸まっていた。半べそをかいているアゼムを見て、ヒュトロダエウスは驚いた顔をした。
「どうしたの? 彼は?」
「怒らせちゃった。もう、帰った……」
「何があったの?」
 アゼムは、ぶわ、と溢れ出してくる涙を抑えることが出来ず、仮面を外して袖で拭いながら濡れた声で話した。魂の融合という心を通わせる術式を知ったこと。彼と全てを分かち合いたくて誘ったこと。結局、激しい拒絶を受けたこと。ぐすぐすと泣きながら語るアゼムに、ヒュトロダエウスは険しい表情をした。
「それが、キミの感じた全て?」
 ヒュトロダエウスはいつも、アゼムのやること為すこと、全てを笑って楽しんでいる友人だった。好いているし、好かれている自覚があった。そんな彼のする表情とは思えず、アゼムは少し怯えてしまった。
「私は……きみたちのことが、好きだよ……。だから、だからね」
「多分キミは、本当に素直に口にしただけなんだろうね」
 そう言って、ヒュトロダエウスは仕方ないなぁ、と小さく笑った。アゼムはヒュトロダエウスの細い身体にしがみついて、わあ、と声を上げて泣いた。
「ごめんなさい、私、勘違い、してた。会ったときからずっと、私、二人のことっ、好きで、でも、きみたちは……ッ」
 ぽん、ぽん、と宥めるように小さな手が背中を叩いた。しゃくりあげるアゼムに言い聞かせるように、穏やかな声で囁く。
「ワタシもキミが好きだよ。彼だってキミのことが大切さ。だけどね、それじゃあだめなんだ。キミが思うより、ずーっと、そうするのはトクベツなんだよ」
「トクベツ……?」
 アゼムはゆっくりと身を起こした。ベンチに座り直し、すんと鼻を啜る。ヒュトロダエウスはその隣に腰掛けて、足をぶらぶらと揺らした。
「キミ、どうして彼が怒ったか、わかってないでしょ」
 ヒュトロダエウスの言葉に、アゼムが泣き腫らした顔で空を見上げる。風が涙の跡をひんやりと冷ましたが、そのことを考えるとまた新しい筋が流れ出してしまいそうだった。
「……まだ仲良くないのに、そういうこと、しようとしたから」
「全然違うなぁ」
「……ヒュトロダエウスにはわかるの? どうして?」
 隣を振り向くと、ヒュトロダエウスはくすくすと笑った。
「見ていればわかること、キミにはわからない。だからまだ、だめなんだよ」
「まだ?」
「そう、まだ」
 ヒュトロダエウスが白い指先を立てて、アゼムの赤い鼻先を、ちょん、とつついた。にこりと笑うその顔を、アゼムはぼんやりと見つめ返した。
 人差し指が、柔らかく唇に触れる。ぴたりと静寂を促すサインを示して、ヒュトロダエウスは目を細めた。
「今後、そのことは誰にも言わない約束だ。……彼の気持ちがわかったら。その時、もう一度考えたらいいんじゃないかな」

 

 アゼムは少しのまどろみから目を覚ました。窓は開け放しているが、まだ空気には温度と湿度が残っている気がする。暗い視界の中で、気だるく視線を隣に向ければ、広くなった背中が横になっている。しっとりと湿った肌の感触を楽しむように、アゼムは寝返りを打ってその背中に額を寄せた。
「……ねぇ」
 眠ってはいないはずだ。少し掠れた声に返事はなかったが、呼吸がそれを示している。容赦なく肌に手のひらを当てる。肩甲骨の陰影を指先でくるくるとなぞりながら、アゼムは囁いた。
「昔、私がきみと魂ごと触れ合いたいと言ったこと、覚えている?」
「…………ああ」
 エメトセルクが長く息を吐いた。
「お前に玄関先で泣き喚かれるという貴重な体験ができた、あれだな……」
 アゼムは肩を震わせた。そうだった。とにかくハーデスに謝らないと、とヒュトロダエウスの手を引いて、慌ててアゼムは彼の家まで走ったのだ。
 玄関先で激しく呼び鈴を鳴らしまくり、怒りながら出てきたハーデス少年を押し倒してアゼムは泣き叫んだ。大好きだからしたかった、嫌いにならないでと大音量の訴えを起こしたアゼムに対して、ハーデスは「絶対嫌いにならないから黙れ!」などと叫ぶ羽目になったやつだ。ヒュトロダエウスは終始背後で腹を抱えてうずくまっていた。懐かしい。
「だって、きみに拒まれるのがあまりにもショックだったんだもの……。あの頃から私はきみが大好きだったからなぁ」
「……とか言って、お前、あのヒュトロダエウスにさえ怒られたからようやく事態に気付いたんだろう。知っているぞ」
「拗ねないでよ。ちゃんときみに断られた時点で泣いてましたー」
「知るかそんなこと」
 ひたり、背中に身体を寄せた。肌にはまだ幾分か水分が残っていて、吸い寄せられるように張り付く。唇を項に触れさせて、微かに食むと、じゃれ付きに少し肌がざわめくのを感じる。しかし、二人は既に散々「ひとつになった」後だった。アゼムが軽くだが意識を飛ばす程度には没頭したのだから、これ以上盛り上がっては後に差し障る。
「……あのね、ハーデス」
 吐息だけで笑う。
「私はもう、あのときのきみの気持ちはわかってるよ。きみが私のこと大好きだったから、きみは怒った。呆れるぐらいに私は短絡的で、誠実じゃなかったね。視えないとはいえ、手を繫ぐのと同等に捉えていた節さえあるのは、今思うと非常に恐ろしいことだ」
 魂。創造魔法でさえ創り出せない神秘的な輝きは、一般的な感性でも安易に触れてはならないものであるし、その輝きを文字通り目の当たりにするソウルシーアにとっては、ことさらにそうだ。
 幼かったアゼムは、とりあえずそれを「トクベツで、いけないこと」として蓋をすることにした。その行為は長らく大量に仕入れた知識の山の中にしまい込まれることになった。不意に思い出したのは、時が来たということなのだろうか。偶然の悪戯でも、意味を見出したくなるのがアゼムという生き物である。
「私への気持ちを秘めていたきみが、拒絶するのも当然だったろうね。たとえヒュトロダエウスの名前を出さなくったって、きみは絶対に許しはしなかった」
「……さぁな」
「ハーデス、……私のきみ」
 エメトセルクがもぞりと体勢を変えた。アゼムに向き合った彼が、腕の内に柔らかくしなやかな身体をしまい込む。胸と胸が合わさると、とくとくと二つの心音が響くのが感じられた。
 アゼムは金色の瞳を静かに見上げた。
「……とけあいたい」
 身体はいくらでも重ねてきた。奥の奥でお互いを知り尽くしている。今はもう、衝動じゃない。
 愛しいその魂に、触れたいこころは、正しく花開いている。その言葉がどれほどの意味を持つか知っている。知っている上で、投げかけたいと思った。
 エメトセルクは目を伏せた。
「いやだ、と言ったら」
「……ふふ、とけあったら、知ってしまうね。そんなことしなくたって、今のきみは教えてくれるだろうけれど」
 アゼムは手を伸ばして、ゆるくこめかみにかかった白い髪を撫で上げた。耳の後ろに向かって流し、耳殻を指でするすると揉み込む。エメトセルクが、低く笑う。
「恐ろしく、思う。どれほどのものを抱えているのか、一番知っているのは私だからな。お前の明け透けなそれなどとうに知っている。ただ、……お前を塗り潰してしまうものならば、冥界まで連れて行くのが義務だ」
 アゼムは目を瞬いて、それからくしゃりと顔を幸せに歪めた。そういう人なんだよな、きみは。胸の内から染み出すそれは、どんなに弁論に長けた人であろうと、言葉で示すことは出来ないだろう。
 愛と一口に言ったって、その内側の色は複雑怪奇でほぐせない。彼のそれは特にそうなのだろうけれど……。やっぱり、どれだけ分かり合っていても他人は他人だ。彼がよく知るアゼムだって、どうやっても紐解けず、触れられない部分は存在するのである。
「……私は教えたいな。きみは過小評価しがちだから」
 首筋を撫でて、肩口に触れて。アゼムは自らの身体に巻き付く腕の外側を指でつつつ、と辿った。迎えに行った先の手は、大人しくアゼムに応えて持ち上げられる。絡めた指を口元に持ってきて、唇を触れ合わせた。
 瞳の輪郭がぼやけている。
「お願い」
 塗り潰されなどしない。だってこの心は、これほどまでに鋭く光っているのだから。彼が本当に恐れるべきだったのは、心の奥に一度触れたら絶対に抜けるつもりのない、アゼムの色だった。
 知って。知りたい。もう戻れない唯一になりたい。
 瞳が笑う。
「信じて」