「エメトセルク様、告白しないで頂けませんか」

「エメトセルク様、アゼム様に告白しないで頂けませんか」
 真剣な顔で目の前の市民が口にするのに、エメトセルクは見事に固まった。
 告白、しないで、頂けませんか。それはなんだ、私があいつに告白したい前提じゃないか。どこから何を言えばいいのか。エメトセルクは仮面を押さえて、溜め息を吐いた。
 対峙する男の姿を眺める。線の細い青年だ。真面目で穏やかそうな顔立ちの唇は、爆弾を放って以降ぴっちりと合わさって閉じられている。つまるところこいつは、牽制に来たわけか? 彼女に懸想していると、そういう訳に違いない。
 アゼムは今、エメロロアルスの医務院に突っ込まれている。怪我を負って治療に専念せざるを得なくなるのはしばしば起こる状態であるが、今回はことさらに酷かった。彼女が血にまみれて帰還したことは、転移してきた彼女をマカレンサス広場で見た市民がいる以上隠しようがなく、瞬く間にアーモロート中に広まった。危機感を覚えたのだろうか。今のうちに手をとっておかないと、伝える機会を永遠に逃すかもしれない、と。
 それにしても、だ。まず行うのが他者への牽制だとは。アゼムの面会謝絶は今日ようやく解けたところで、かくいうエメトセルクも話しかけられた今は、院へと向かう道中であった。間違っても男の意図するような展開になることはないが、勘違いされていると思うと多少なりとも腹立たしい。
 男はエメトセルクの言葉を黙って待っている。
「……あいつは、自分勝手な女だぞ」
 苦々しく呟いた言葉に、男が目を瞬いた。
「一見自己犠牲に身を尽くす献身的な聖人に見えるかもしれないがな。あれは後先考えないだけだ。間近で振り回されてみろ、いつだって見捨てたくてたまらなくなる。やることなすこと全てが突拍子もなく、良識がまるでない。仮にも委員会に所属する身であるのに、市民の模範とは絶対に言えない。本人もそれでいいと思っている。呆れるしかない。そういう生き物なんだぞ、あいつは」
「そんなことを言わないでください! 彼女は素晴らしい人だ!」
 それを認識してなお好いてしまって仕方がないと言うならまだしも、真っ向から否定するとは。こいつの感情はあくまでも憧れに留まるのだろう。エメトセルクは苦い顔をした。そんな男に、好意を指摘されるなど、御免被りたい。
 エメトセルクは首をゆっくりと横に降った。
「いいや、誰よりも近くであれに晒され続けたのは私だぞ。一体何が分かると言うんだ。我儘で、勝手で。自分のしでかすことがどんな影響を与えるものか、未だに認識のひとつもない。……ああ、お前も頻繁に喚ばれたりしたなら分かるかもしれないな。善意に胡座をかいていると! 優しくもなんともない女だ、目を覚ませ」
「エメトセルク様! それでも!」
「それでも、何だ? 言ってみろ」
 男が、ぐっ、と両の拳を強く握りしめ、俯いている。エメトセルクは腕組みをして言葉を待った。男は顔を上げた。
「――それでも、あなたは、あの方のことが好きなんですよね」
 呻くように息を吐く。拘るのはそこなのか。
「あいつのことなど、好きでも、なんでも……」
 その声が妙に拗ねたようなものに聞こえて、エメトセルクは眉間に皺を寄せた。男は鼻息荒く、拳を胸の前でぎゅっと握っている。
「あなたが彼女を好きなことくらい、市民なら誰でも分かっていることです!」
 ごほ、とエメトセルクは噎せた。何言ってくれてるんだこいつ。
 ……エメトセルクが、アゼムのことを、そういう意味で好いているのは、事実ではあった。頼まれずとも星に還るまで言うつもりのない、秘めた思いである。
 好いているとはいえ、普通の恋人のようになれるとは全く思っていない。相手はあのアゼムである。
 恋愛のれのじも分からない、情緒というものをまるで理解しない生き物。大変残念なことに、つい先日、知らぬ男から贈られた花を「きみの部屋は彩りがないからな〜」などと言いながらエメトセルクの執務室に飾っていった女だ。贈った男も不憫だし、それを喜んで受け取ったことを知らされた挙げ句、常に見える位置に設置されたエメトセルクもそれなりに不憫である。誰も幸せになっていない。
 しかし、まさか市民なら誰でも、などと言い切られるとは。息を整えたエメトセルクは、次の言葉を探していた。こちとら誰にも伝わらないように日々苦心しながら彼女の世話を焼いていたつもりだというのに。ヒュトロダエウスなどは初手も初手から気付き、からかいの対象にしてきたものだが、奴は視る目だけはどこまでも優れた男だ。それが、顔も知らない、他人に。
「……それで? 仮に、万が一、私があいつのことを好きだとして。お前が起こす行動は、私が彼女に心を告げることを差し止めるのが先なんだな?」
「……ええ、あなたに告白されたら、困ります」
 はぁ……、とエメトセルクは息を吐き、肩を竦めた。自らは行動を起こさず、他人を牽制するのみ。……思い当たる節しかなくて、全く厭になる。他人の目から見ればこんなに情けない行為だったとは。痛いほどに気持ちが分かる上で、言い返してやらねば気が済まないのだった。
 エメトセルクは赤い仮面の下から男を睨んだ。
「そんな体たらくで、アゼムが振り向くことがあるとでも? 他の男を牽制したところで、何の意味もない。手に入れたいのであれば、本人に直接訴えかけるのが筋だな。伝えたところで、恋愛感情をまともに取り合ってもらえるかは疑わしいが。少なくとも、あいつに懸想して、恋人になりたいのあれば、こんなところで油を売っている場合じゃない」
「えっ?」
 ……「えっ?」。素っ頓狂な声とともに目を丸くした男を見下ろして、エメトセルクもほとんど同じ声を胸の中で呟いた。いや、そこで驚かれても困るんだが。アゼムが遠回しなアピールに気付くような繊細さがないのは誰にとっても分かるだろう事実であって……。
 男は、呆然とした顔でエメトセルクを見上げている。少しの間の後、言いづらそうに男が切り出した。
「あの……私には愛する恋人が居るのですが……」
「…………は?」
「もしかして、あの……私のことを、恋敵であると……?」
「…………違うのか」
「…………違いますね……」
 駄目だ、驚きすぎて彼女への好意をうっかり認めてしまった。エメトセルクは仮面の上から額を押さえた。
 いや、普通そう思うだろう。彼女に好意を持っている訳でもないのに他の男の告白を阻止するか、普通。そもそも告げたいとも思っていなかったが、勘違いするのは当然だろう。論理が全く不明瞭だ。
「むしろ、ことの発端は、私の恋人でして……」
 男は切り出した。
 今回のアゼムの大怪我の原因は、創造生物の暴走から、研究者を守ったためである。その研究者こそが、この男の恋人なのだという。
「彼女は、恋人の命の恩人なんです」
 そこまでは理解できるが、エメトセルクに働きかけてくる理由が分からない。促すエメトセルクに、男は続けた。
 恋人を守って、アゼムはどんどん深い怪我を負っていった。恋人の他にも研究者は大勢いて、その全てに気を配りながら護り通すのはアゼムといえども簡単なことではなかった。ぼろぼろになり、血まみれになったアゼムは、斧で身体を支えながら、奥歯を噛んで呻き、叫んだのだという。
『まだ、エメトセルクに、告白されて、ないのに……ッ! 死ねる、かぁ……ッ!!』
 その後アゼムは、動けるのがおかしい傷を抱えながら気力だけで敵を薙ぎ倒し、ばったりと前のめりに倒れ込んだ。ぴくりとも動かなくなった彼女は研究者たちの手でアーモロートまで転送され、それから先はエメトセルクも知るところである。
 エメトセルクは頭を抱えた。まだ、って何だ。いずれされる前提の思考回路が彼女には実装されていた上、それが現世に繋ぎ止める未練であり、よすがであったと。……いやいやいや、どういうことだ。どうなっているんだ。
 確実にアゼムはエメトセルクが彼女を好いていることなど知らないと思っていた。そのはずだった。それが、知っていて告白を、待っていたと? それとも、知らずに居るが、まだ振り向かれていないのに死ねないと、そういう意味か? どちらにせよ、彼女の感情を察するには十分すぎる言動だった。
 それをよくもまあ、冥界の淵を歩いている時に、観衆の前で言えたものである。頭が痛い。
 苦悶の表情を浮かべつつ顔を熱くしたエメトセルクに、男が大きく頷いた。
「あなたの想いを聞けていないことは、あの方にとって、不意の死を遠ざける大きな理由なんです。恩人である彼女には、もちろん成すべきことを全てやり遂げてから還って頂きたい。だから、あなたに想いを告げられたら困るんです」
「……お前もお前でおかしいとしか言いようがないんだが……最初よりかは理解した。……はぁ……」
「では……!」
「要するに、やつが還ることを拒む理由があれば、良いんだろう」
 エメトセルクはひらりと手を振り、男の傍らを通り過ぎた。どうか、どうかあの方をよろしくお願いします! と善き人の声を受けながら、エメトセルクは再度大きく溜め息を吐いた。

 

「おっ、エメトセルク! やっほー!」
「腕を振るな」
「いやもうほんと暇で暇で……ベッドから降りようとするとエメロロアルスが飛んでくるんだよ! 物理的に! 次やったら拘束具付けるって言われちゃってさぁ。拘束具付けられる前にきみが来てくれて良かったよ」
「お前、治癒術を駆使してその状態なんだぞ。ああもうはしゃぐな、寝ろ」
 アゼムはベッドから半分身体を起こし、エメトセルクをわくわくとした顔で見上げた。エーテル視をしたところ、使い切っただろう当人のエーテルの色は薄く、治癒力の底上げのために医療用のエーテルがみっちりと流し込まれている。霊極による麻酔と星極による活性の使い分けは、流石医療の最高峰による術式と称賛するべきだろう。もう危惧するようなことはなさそうだ。
 視界を元に戻し、アゼムのベッドの横に据えられた簡易的な椅子に腰掛ける。アゼムは傍らに置かれた果物の詰まった籠に手を伸ばした。随分豪勢なそれは、ヒュトロダエウスか誰かからの差し入れだろうか。その中からひとつりんごを取り出すと、カットボードとナイフを創造して膝の上に乗せる。
「お前、無駄な創造に回すエーテルはない筈だぞ」
「確かに分けてもらったけど、ちゃんと食物からエーテル補給するのも大事だってエメロロアルスが言ってました〜。剥いてあげるからきみもお食べ」
「貸せ、魔法で処理してやる」
「やだ。ほんと暇で暇で仕方なくてさぁ。少なくとも剥いてる間はそばに居てね」
 真っ赤に熟れたりんごにナイフが入れられる。半分、その半分。さらに半分。手際よくカットボードの上でそこまで切ったら、手に取って芯を三角形にくり抜き、皮目に刃先を入れていく。二本の線を中央で交差させるように浅く入れ、端から皮を剥いていくと、薄い三角形に皮が剥がれた。それを自分の口に入れ、出来上がったりんごをエメトセルクに差し出す。
「みて、うさぎ! はい、あーん」
「やめろ、お前が食うために用意されたんだ」
「私のうさぎが食べられないってわけ!?」
「ほらよこせ」
「やった、……むぐ」
 エメトセルクはアゼムから取り上げたりんごをアゼムの口の中に突っ込んだ。そこまでされれば流石に拒否は出来ず、しゃくしゃくと小気味よい音を立てながら咀嚼するしかない。アゼムはむすりと目を伏せたまま、二匹目、三匹目の作成に勤しみ始める。
 そんな顔を眺めながら、エメトセルクはぽつんと呟いた。
「……ところで、お前、とんでもないことを叫んでくれたそうだな」
「…………、どれ?」
「恐らく一番直近のやつだ」
「んー……?」
 とんでもないことが少なくとも三つ以上は用意されていることに頭を痛めつつ、エメトセルクは口からりんごの消えたアゼムを睨み付ける。ナイフを操っていた手元から、エメトセルクに視線が向いた。
 エメトセルクは少しのためらいの後、口を開いた。
「……私にまだ告白されてないだの、そういう」
「いっ、……たぁ……ッ!」
 びくん、とアゼムの肩が跳ね、慌ててエメトセルクはアゼムの取り落としかけたナイフを消し去った。りんごに添えられていた指の先に切り傷が出来ており、内側から赤いしずくがぷっくりと浮き出るところだった。とっさに指先を咥えたアゼムが、涙目でエメトセルクを睨み上げる。
「……今のはエメトセルクが悪い」
「……謝罪はするが、お前が動揺するとは欠片も思っていなかったことだけは言っておく」
 アゼムの細い手首を掴み、引き寄せた指の先に治癒術をかける。エメロロアルスも、まさかやっと確保した患者が、医務室内でさらに怪我をこさえることになるなんて予想もしていなかっただろう。一瞬で傷は埋まり、元通りのきれいな皮膚に変わる。
 それを見届けてから、エメトセルクはアゼムの手を放した。アゼムはそそくさと手を引き、出来上がったりんごを齧り始めた。残りの未完成なものは、ぱちんと指を鳴らして皮を剥いてやる。形を加工するのはサービス対象外だ。
「アゼム」
「…………やっぱり、エメトセルクが悪い」
「どこに落ち度があるか言ってもらおうか」
「だっ、て」
 しゃく、しゃく……。咀嚼音が止まり、それからややあって、飲み込まれる。アゼムは両手で持ったりんごのいびつな断面を見下ろした。その頬は、少しずつ皮と同じ色に染まりつつある。
「私のこと、大好きだって、色んな態度から見え見えなのに、いつまでも、言葉にしては言ってくれないから……」
「…………」
「……きみに大好きだって言ってほしいのは、だめ?」
 くっ、と喉が鳴った。駄目なわけが、あるか。不安げな瞳が、ゆっくりとエメトセルクに向く。エメトセルクは手を伸ばし、アゼムの頬を指の背で撫でた。
「それが叶った時、お前が満足してしまうのなら。口にすることは、星に還るまで、ないだろうな」
「……エメトセルク」
 アゼムがエメトセルクの指を掴んだ。怪我人のくせにやたらと力強く、アゼムは絡め直した手を無理矢理に引いた。軽くベッド脇から寝台に乗り上げさせられた状態で、エメトセルクは近付いたアゼムの顔を見下ろした。
 仮面の奥で瞳がぎらついている。おおよそ可愛らしいと形容できる色ではない。
 真顔で、アゼムは言ってのけた。
「私がその程度で満足する女だと思ってる?」
 エメトセルクは眉を寄せて笑う。
「…………いや、全く?」
「だろう。つまりきみが取れる行動は一択だ。さぁ、言いたまえよ」
 途中の殊勝な態度はどこへ行ったやら。開き直ってエメトセルクの手を握り直したアゼムは、口元で笑むと、フードを落とし、仮面を外した。仮面を挟まない彼女の瞳は、より一層美しく煌めいている。仕方がない。エメトセルクもまた、仮面を外して白いシーツの上に放った。
 自らで出来る影の中に彼女を閉じ込めながら、エメトセルクは口を開いた。
「愛など囁く前に、言っておくことがある」
「なぁに、エメトセルク」
 アゼムがはにかんで見上げる。エメトセルクがその髪を毛先に向かって梳き下ろした。擽ったそうに身をよじるアゼムの吐息が間近に感じられた。
「……お前が不意に還るなど、私が許すことはない。想いが通じる、通じないに関わらず。お前がたとえ、満足してしまっても。お前には私の元に帰ってきてほしい。いつまでも待っている。頼むから、私の最後まで、お前は私と共にいろ」
「エメトセルク……っ」
 ぱっと輝き、感極まったようなアゼムの表情が、次いで歪んだ。ぎゅ、とローブを握るアゼムの顔をエメトセルクは覗き込んだ。
 瞳孔が若干開いている。
「興奮して、傷が、開いた……ッ」
「おま、……エメロロアルス! エメロロアルスを喚べ……ッ!」

 

 患者を興奮させるな。処置室の前で叱られるエメトセルクという滅多に見られない光景を、医務院に勤める人々が不躾に眺めて通り過ぎていく。
 神妙な顔のエメトセルクに対してこんこんと続いた説教の最後。エメロロアルスはそれまで顰めていた表情を緩め、笑うのだった。
 二人のことは友人として祝福している。無鉄砲な彼女の執着で居てくれ。生きる意味が生まれてくれることは、自分も願うところだ、と。