大変だ……! と前置きしたアゼムに、どうしたの、と穏やかに笑いかける。通信の向こうから、悲痛な響きの押し殺した声が聞こえた。
「エメトセルクの恋人になってしまった……!」
ヒュトロダエウスは目を丸くして、言葉を胸の中で繰り返した。エメトセルクの、恋人に、なってしまった。
そんなの、返す言葉は一つである!
「おめでとう! お祝いは何がいい? 秘蔵の葡萄酒を出すときかな?」
「何もおめでたくないよぉ!!」
それはまたどうして。どうせ声しか届いていないのだから、とヒュトロダエウスは口元の笑みを抑えようともしない。
なってしまった。ようやく遂げた思いに対して、あんまりな言いようだなぁと傍観者の身としては思う。しかし、半分泣いた声で、あえてそう言うのだから、そこに意味があるのは間違いない。
「何がどうしてそうなったんだい? 二人が付き合うことになったのなら、ワタシは祝福のコメントしか出しようがないのだけれど」
「実は……」
経緯を語ったアゼムに、ヒュトロダエウスは両手を叩いて爆笑した。
「そんな自業自得としか言いようがないことある?」
「私も正直今回はやっちまったと思ってるんだけどどうにかできないかヒュトロダエウス!」
「まったく、だめだよアゼム。そんなことしたらエメトセルクが可哀想じゃないか」
「反省は! 反省はしてるんだ! 頼むよ!」
「アゼムの頼みと言えども、エメトセルクの純情を弄んだ罰は相応に受けて貰わないとな〜?」
「彼に純情なんてもんないだろ!」
まず、前提として。エメトセルクが記憶喪失になったらしい。
その時点でだいぶ面白いことになっているのだが、仕事の関係で起きた事故だという。
ことの発端はこうだ。幻覚を見せる蝶を飼育している創造者が居るとの通報を受けて、アゼムとエメトセルクは事情聴取に向かった。その幻覚作用は、創造者が人為的に創り出して付与した効果らしい。まだ研究段階であり、創造物管理局への申請は行われていないようだが、人里離れた場所で個人の手により行われている研究とはいえ、危険と見做した場合、十四人委員会から正式に中止を求めることも辞さない構えだった。
そんなエメトセルクとアゼムに、創造者はいかにこれが素晴らしい創造なのかを語った。曰く、人は一度決めた使命というものに縛られて生きている。この蝶が見せる幻覚は、使命を塗り替えるものだ。ひととき、あったかもしれないもしもの人生に思いを馳せるのは人に許された娯楽である。誰しもが今現在の生に満足している訳ではない。今突き付けられている難題から逃れる手段を用意して何が悪い。これはそれを実現する夢のイデアだ。
アゼムは「なるほどな〜、おもしろ~い」と同意を示したのだが、自らの使命に誇りを持っているエメトセルクからすれば、そのような研究は全くもって不必要なものだ。そもそも通報の発端は、敷地から逃げ出した蝶による幻覚事故である。いくら素晴らしいと当人が豪語しようと、被害が出ている時点で看過できるはずもない。
中止の方向で引き取らせてもらう。エメトセルクがそう宣言したのがよろしくなかったのかもしれない。
創造者は激高して、蝶をけしかけた。「実際に体験すれば考えも変わる!」と。まさか戦闘が起こるとは思っていなかったものだから、アゼムが止める間もなく鱗粉が作用してしまった。
頭を抑えてよろめいたエメトセルクを見て、アゼムはとっさに創造者に襲い掛かり、これを伸した。そして手際よく縛りあげて転がし、蝶も興奮させないように注意して籠に戻し終えたところで、アゼムはエメトセルクの様子を伺うことにした。
エメトセルクはぼんやりとした目で光景を眺めていた。目の前でひらひらと手を振ると、そこでようやくアゼムと視線が合った。エメトセルクは顔をしかめて周囲を見回した。
「ここは……どこだ、私は……」
蝶の作用は「使命をひととき忘れさせる」である。まるで絵に描いたような記憶喪失のセリフを呟いたエメトセルクに、アゼムはついテンションが上がってしまった。今では反省している、としきりに口にしつつも、説明している最中、ヒュトロダエウスに対して「でもきみも面白いと思うよね?」と同意を求めていた。ヒュトロダエウスもそれには同意した。
「きみはエメ……ハーデスだよ!」
「ハー、デス……そうだ、私は……」
エメトセルクはそこまで口にしたが、頭が痛むのか、眩しそうに目を細めて仮面を押さえた。それから、覗き込むアゼムを見上げた。
「お前、は……」
そう来ると思っていた! アゼムは非日常へのわくわくとした顔を隠せないで、大きく頷いた。アゼムはエメトセルクの手を取り、両手でぎゅっと握った。目を合わせ、切なげな表情を浮かべてみせる。
「忘れてしまったのかい、ハーデス。悲しいよ。私は……きみの恋人の、アゼムじゃないか!」
記憶を失ったとはいえ、それは使命に関するものだけだろう。つまり、人格から破綻している訳ではない。となれば、アゼムがそんなあり得ない冗談を口にしたら、エメトセルクはすんなり飲み込むわけにはいかない筈だ。
その顔が苦痛に歪み、「そんなわけ、あるか……!」などと言い出したら非常にヒュトロダエウスに持ち帰るネタが出来て美味しいなぁ、とアゼムが思った矢先である。
エメトセルクは、ふ、と口元から力を抜いた。そして、穏やかな表情を見せたのだ。アゼムは目を丸くした。未だかつて見たことのない優しげな顔。
「……そうか、お前が、私の恋人か」
その表情があまりにも嬉しそうで、アゼムはつい、そんなわけあるかーい! と切って捨てることが出来なかったのである。
「で、キミ今どこにいるの?」
「こんな状態の彼を委員会に連れ帰ったら後日私が還されちゃうから、彼の部屋に隠蔽しようと思ってだな……」
「ッフフ、良いんじゃない? 確かに、キミにデレデレしてるところ他の人に見られたら、……ねぇ?」
「でもさ! 部屋に押し込もうとしたら! 連れ込まれたんだよ!」
あーあ、とヒュトロダエウスはニコニコ笑った。まぁ、どこまで記憶が失われているのかはわからないが、今のエメトセルクにはアゼムしか居ないのだ。冥界を見守る使命だの、星の運営を左右する弁論だのは、今の彼の中にはない筈。自制をもたらす事柄の何もかも記憶の彼方に消し去られているから、素直に彼女を求めただけに違いない。
「ねぇ聞いてる!? 彼が! 私の腰を抱いて囁くわけだよ! 少し休んでいけと!」
「拒否できないあたりキミも大概彼には甘いね?」
「だっ、だってさぁ! 彼のこんなおねだり見たことなくて超面白いじゃん!」
「それで今キミ、何かしらのピンチを感じて私に通信繋げてきてるわけだよね?」
「そうなんだよ……最初は面白かったんだけど、こんなの……脳を破壊されてしまう……!」
アゼムは訥々と語った。アゼムを熱の篭った視線で追い、隣に来いと呼び寄せる。渋ると少し悲しげに目を逸らす。仕方なく傍に寄ると、唇が薄く笑う。全身から恋人を甘やかすオーラを出すエメトセルクである。ヒュトロダエウスは堪えることなく腹を抱えてひとしきり笑った。
しばらくの爆笑ののち、ヒュトロダエウスはなんとか息を整えて語りかけた。
「頑張りなよ、自分で蒔いた種でしょ?」
「うっ…………」
「被害者は確実にエメトセルクだよ?」
「……仰る通りで御座いますが……ヒュトロダエウス様……何卒お知恵を……何卒……」
「っていうか、治る見込みはあるの?」
「あ、それはバッチリだよ。犯人尋問したら、一晩で覚める夢だってさ。後遺症がないのは自分で実験してるから間違いないって言ってた」
「良かった。なら、ワタシから言えることはひとつだけだね」
ヒュトロダエウスは見えないだろうが、と思いながら満面の笑みを浮かべた。
「一晩、彼に夢を見せてあげなよ。いいかい、今日だけは、キミは彼の恋人だ。ああ、そうだ……」
声を低めて、通信機に囁く。
「……記憶に干渉するのは、中々魂に与える影響、厄介なんだよね……。後遺症は無いとは聞いたけど……下手に刷り込んだ前提と矛盾する行動を取った場合、どうなるか……」
「えっ、待って、そうなの?」
「信じるか信じないかは、キミ次第だけどね……。さ、頑張って!」
ヒュトロダエウスは漏れる悲鳴を聞きながら、ぶつ、と通信を切断した。
「あーッ! 待って! 置いていかないで!」
ベランダで悲痛な叫び声を上げたアゼムは、うんともすんとも言わなくなった通信機に、がくりと肩を落とした。
長く続く甘い恋人の時間に耐えられなくなったアゼムが「ちょっと通信入ったから〜」と言いながら逃避した先が、ベランダであったのだが。何故私は玄関側に逃げなかったのか? 咄嗟の判断を失敗したなぁ、と思いながら室内へと戻る。
エメトセルクは、ソファに腰掛けて、室内にあった本を読んでいた。戻ったアゼムにちらりと視線を向け、自らの隣を指し示したエメトセルクに、アゼムはそろそろと近付き、すとんと腰を下ろした。
(魂に傷を付けるような真似は、避けるべきだよな……)
しかし、ひどく緊張する。今日だけは彼の恋人。ああもう、完ッ全にやらかした! 出方を伺うアゼムに、エメトセルクは小さく溜め息を吐いた。アゼムはぴくん、と肩を震わせる。
「……随分、長く話していたな」
少し、拗ねたような声色である。そんなエメトセルクに、アゼムは動揺しながら手をひらひらと振った。
「ごめんごめん、仕事の話が立て込んでしまってだな……」
エメトセルクが手を伸ばした。手は、さらりとアゼムの髪を掬って撫でる。優しいその触れ方が、擽ったくてたまらない。胸がむずむずする。快、不快で言えば、心地よいものではあるのだが、心の置き場をどうしていいのか分からず戸惑ってしまう。
「アゼムになっても、お前は相変わらず危険に身を晒しているのか?」
「……?」
咎めるような声に、アゼムはエメトセルクの顔を凝視した。アゼムになっても、というのは、アゼムになる前、今はほとんど呼ばれない名を覚えているということだろうか。確かに、「エメトセルク」としての記憶を失ったとて、それ以前にアゼムとハーデスは出会っていたのだから、その可能性はあり得た。
「……どこまで、覚えてるの?」
「どこまで、とは一概には言えないな。記憶の欠落が
激しい。少なくとも、お前が先代に倣って旅をしていたことは覚えているが、正しく連続性のある記憶はない。……ただ、目覚めた状況から言って、記憶のない間の期間も、旅をするお前に喚ばれて同行していたのは変わりないようだな」
「あ、ああ。流石の読みだなきみは……」
一律でエメトセルクとして就任してからの記憶がない、という訳ではないのか。使命に関わる記憶が歯抜けになっている、が正解かもしれない。
と、いうことはだ。アゼムは考えた。アゼムのことは誰だか気付いておきながら、恋人宣言に対してあの表情をしたのかこの男は。それは、きみ、……それは! 辿り着いた思考に、いやいやそんなはずはない! と必死で否定をする。
(そうか、お前が、私の恋人か、……って。なんとなく受け入れてしまっただけかもしれないし! そう、何も私が特別だと示しているなんてこともなくだな!)
言い訳を連ねるアゼムを気にした様子もなく、エメトセルクの指は髪を柔らかく梳いた。軽く肩に触れた手が抱き寄せるのを、アゼムは人形のように抵抗もなく受け入れ、肩口に頭を乗せた。
エメトセルクは膝の上に置いた本のページを片手で捲っている。
「……私の質問には答えていないな、お前」
「そ、そうだっけ」
「私が覚えていない間にも、お前は相変わらず無茶を繰り返したのだろうという話だ」
呆れたような声色には覚えがあって、少しだけ安心する。いつもならお小言が続く流れだ。アゼムは居直るようにふんと鼻を鳴らした。
「旅には危険が付きものだ。私は旅が好きだから、この生き方を曲げることはないだろう!」
はぁ、とエメトセルクが溜め息を吐いた。とても耳馴染みのいい音である! いくら突然出来た恋人に浮かれていたとしても、根っこはやはりエメトセルクのようだ! 勝ったな、と心の中で何に対してかは分からない勝利宣言をしたアゼムの耳元に、低い声が囁いた。
「いい加減、私の気持ちも理解してくれ。恋人を心配しない男がどこにいる」
ぎゃあ! 脳が揺れたかと思った。結局こっちの道に来ても甘い! アゼムは慌てて距離をとろうとしたのだが、エメトセルクの手がアゼムの手首を掴んだものだから、すぐに触れられる距離にとどまってしまう。大袈裟なリアクションをみせたアゼムは、はっとした表情でエメトセルクの顔色を伺った。
「す、すまない。私の知るきみはだな、もう少し色々とオブラートに包んでものを言っていたんだよ……」
そのオブラートは、厭味とかそんな名称なのだが。どう伝えれば魂にダメージを与えずに軌道修正を図れるのか、考えあぐねるアゼムの手首をエメトセルクが引く。仮面から覗く金色は見慣れた色だが、温度が上がっていてまるで別人のようだ。
「自由に生きてこそお前だと理解している。……が、お前が傷付けば私にも思うところがある。出来ることなら私の手の届く位置に居さえすれば、ともな。何百年経とうと、お前を捕らえることなど出来ようもないようだが」
淡々と述べる言葉に、アゼムは口元を押さえて俯いた。待ってくれ、思考がすっかり追い付いていないんだ。恋人という誤った前提を刷り込んでしまったのは間違いなくアゼムが悪い。
だが、しかし。アゼムは頬が熱くなるのを感じていた。単純な巻き戻しではないとはいえ、このエメトセルクはアゼムの知る厭味ったらしい男と心の根を同一にしている。この、ぶつけられる言葉たちは、普段彼が飲み込んでいる本心なのではないか。恋人に対してなら言えると彼の心が判断しただけで、常日頃抱えているものなのではないか。
ああ、私、どれだけ悪いことをしてしまったのだろう! いや、しかし、でも、だって! アゼムはぐるぐると回る脳が熱を発しているように感じた。まだ彼はエメトセルクではない。けれど、十分にアゼムに迷惑を掛けられているハーデスだ。なのに、こういうことを言ってしまうのか。
悪かった。まさか恋人に対してはこんなに心のガードがガバガバになるタイプだとは思っていなくて。なんせ長い付き合いだが、クソ真面目な彼には一度たりとも恋人が出来たと聞いたことがない。彼だっておそらく、そうなるなんて知らなかっただろう。
すまない、最初は軽い気持ちだったんだ! でも、こんな。アゼムはごくりと唾を飲み込んだ。そんなことを正直に打ち明けられてしまったら、とても平常心でなどいられる筈がない。当人には恐らくそういう意図はないだろうが、新たに全力で口説かれているようなものなのだから。
今日だけは。夢を見てみても、いいのかもしれない。本来はヒュトロダエウスの言った通り、夢を与える側で然るべきなのだろうが、甘いセリフを吐いて甘やかすエメトセルクなんか正気で見れるものではない。夢見心地なくらいが丁度いいのだと思う。
アゼムは大きく深呼吸をしてから、一度離した距離をじりじりと詰めた。手首は握られたままで、皮膚がひどく熱を持っている気がする。隣まで帰ってきたアゼムは、ころん、とまたエメトセルクの肩に頭を預けることにした。彼に甘えられるなんて次は千年先かもしれない。
どくどくと心臓が高鳴っている。エメトセルクは辛うじて開いていた本を閉じ、机に置いた。そして吐息だけで笑うと、アゼムの頬へと手を伸ばした。
(彼の恋人は。こんな顔が、見られるのか)
アゼムは横目で覗いていたエメトセルクがしっかりと自分に構いに来るのを見て、軽く身構えた。頬をするりと撫でる手のひらが気持ちよくて、薄く目を細める。恋なんて、生まれてこの方、したことない。したことないけど、……流されてしまいそうだ。頬を撫でた手に輪郭をとられて、金色が覗き込む様にじわりと唾液が滲む。
(だめ、だめ、だって正気に戻った彼に絶対怒られる! なんてことさせてくれたんだって叱られる! どうにかして、止めなきゃ、)
いけないんだ、けど。好奇心とは別の心が疼いてしまって、私にもこんな感情あったのか、と冷静な部分がぽそりと呟く。多分今日のあとは一生目覚めなさそうなそれに、踏み外してしまったら帰って来られなくなる、のに。
自然と近付く唇に、アゼムはギュッと強く目を瞑った。
待てど暮らせど、覚悟していた接触はなく、アゼムはそっと片目ずつ目を開いた。エメトセルクの顔は確かに目の前にあるのだが、その視線は部屋の入り口の方に向いている。
ど、どうしたんだ。アゼムは戸惑った。これは、命拾いをしたのだろうか? 出方を伺うアゼムの耳に、来客を告げるベルの音が届いた。そこでようやく納得する。なるほど、近付いてきたのを察知したからか。
アゼムはこれ幸いと、触れていた手からそっと逃れてソファから降りた。
「ちょっと出てくる! きみは待っていてくれ!」
足早に玄関へと向かいながら、アゼムは自分のローブの胸元を掴んでいた。まったく、うっかりするところだった! 一瞬の道楽に流されるのは簡単だが、一回でもしてしまったら影響はこの先ずっと残り続けるだろう。さて、そんなアゼムを救ったのはどこの誰だろうか。アゼムは施錠を解いて、玄関のドアを開けた。
「やあ、アゼム。お邪魔するよ?」
「ヒュトロダエウス!」
そこに立っていたのは、我らが親友のヒュトロダエウスだった。アゼムはぱっと咲くような笑顔を見せた。
「会いたかったよ……! きみが居なかったら私、どうなっていたことか……」
「わお、ハーデスがすっごい顔でこっち見てる。ワタシこれ間男ってやつじゃない?」
アゼムは振り返った。部屋の入口に立っていたエメトセルクが、ついと視線を逸らした。そりゃそうか、今の彼の視点からしたら恋人にキスを拒まれて逃げられたんだものな。しかし、本当のところは恋人でも何でもないので、エメトセルクから見てもヒュトロダエウスは命の恩人の筈だ。
「これ、差し入れだよ」
ヒュトロダエウスは手に持っていた籠をアゼムに差し出した。両手で受け取るとずっしりと重く、固いもの同士のぶつかる音が響く。中身は葡萄酒だった。
声を潜めて、ヒュトロダエウスは囁いた。
「キミがもう少し彼と二人きりで過ごしたいなら、お祝いの品だけ残してワタシは帰るけど、どうする?」
アゼムは必死な声をあげた。
「頼むから、行かないでくれ……! 私、このままだと過ちを犯してしまう……!」
そんなアゼムに、ヒュトロダエウスは小さく笑って頷いた。
「ワタシとしてはいくらでも過ちを犯して欲しいところなんだけど、残念だなぁ」
「勘弁してくれ……! 拗れたらきみに迷惑を掛け通してやるぞ」
「そんなのご褒美じゃない」
「価値観が特殊〜!」
声を潜めつつもわあわあと騒ぐアゼムとヒュトロダエウスに、顔をしかめたエメトセルクが近付いた。アゼムは慌てて振り返るが、ヒュトロダエウスはのんびりと片手を上げた。
「やぁ、ハーデス。ワタシのことは覚えてるかな?」
「当たり前だろう。……相変わらずだな、ヒュトロダエウス」
アゼムは落ち着いた様子の二人を交互に見た。全くもっていつもと変わりないテンションである。そうか、恋愛さえ絡ませなければハーデスはまともなのか。そりゃそうだ。ほっと息を吐くと、受け取った葡萄酒を籠から取り出し、二人を残してキッチンへと向かう。
コルク用の栓抜きはよく使うから、しょっちゅう創ったり還したりはしていない筈。他人の家だが入り浸っているので、どこに何があるかはよく知っている。引き出しの中にきっちりと仕舞われていたそれを手に入れると、脚の長いグラスを三つ、戸棚から取り出した。
リビングに戻ると、ほとんど定位置に二人は着席していた。ほとんど、というのは、明らかにアゼム用に空けられたであろう不自然な空間が存在していることを指す。抱えていた葡萄酒とグラスを置き、そそくさと本来の定位置に向かおうとしたアゼムに、エメトセルクがとんとん、と自らの横を叩いた。
アゼムはヒュトロダエウスをちらりと見た。ヒュトロダエウスは満面の笑みを浮かべた。
「何してるんだいアゼム、キミの居場所はそっちでしょ?」
楽しみやがって……! こっちがどんな気持ちで彼の隣に居ると! 他人事だな! 他人事だけど! しかしそんな言葉を吐いて罵るわけにもいかず、アゼムは固い動きでエメトセルクの隣まで行くと、手のひらひとつ分の距離を開けて腰掛けた。
「さ、折角だから飲もう。とっておきを持ってきたんだ。……アゼムも、この際だから思いっきり羽目外しちゃえば?」
ヒュトロダエウスが手際よく、くるくるとコルクにオープナーをねじ込み、てこの原理で引き抜く。半分死んだ目をしていたアゼムは、そんな彼の提言に頷いた。
どうせまたハーデスは無意識にアレコレしてくるに違いないのだ。同席したのがヒュトロダエウス以外なら、流石に彼も自重していたかもしれないのに、とも思いつつ、何をしようと恐らくヒュトロダエウスであれば大爆笑を引き起こす程度で後腐れはない。他人らしい他人じゃない分、事故は軽微で済むはず。
とくとくとく、とグラスを満たしていく赤い液体を見詰めていたアゼムは、注ぎ終えるなり脚を掴んでひったくり、一気に喉へと流し込んだ。
ああ、面白い。ヒュトロダエウスは笑い疲れた口元にグラスを近付けた。普段はどれだけ彼の手が触れようと平然としているのに、意識した彼女は彼の手が葡萄酒のボトルに触れようと伸ばされるのにすら、一瞬びくりと身体を跳ねさせた。二人きりの間に何が行われていたのか、想像に難くない。
彼も彼で、そんな反応をするのを分かっていて、フェイントを入れつつ彼女の肩に触れたり髪を撫でたりする。こんなに顔を赤くするアゼムなんて滅多に見られるものではない。
今日に関しては、顔を赤くしている原因はほかにもあるのだけど。
「潰れちゃったね」
「潰した、の間違いだろう」
アゼムはエメトセルクの膝に倒れ込み、すうすうと赤い顔で寝息を立てていた。それなりに酒に強い彼女だが、無茶なペースで煽り続けていれば当然人間の身体をしているのでこうもなる。エメトセルクの手が耳元を擽るのに、んぅ、と明瞭でないうめき声を上げたが、目を開く気配は全くない。
エメトセルクは持っていたグラスを机に置いた。そしてソファの肘掛けにもたれ、ヒュトロダエウスを細めた瞳で眺める。
「……で、こいつに聞かれるとまずい話は何だ」
「あ、やっぱり気付いてた?」
潰れるように追い込んだのは意図的なものである。酒に逃げた方が楽だよ、と囁きかけ、止めもせず空いたグラスにワインを注ぎ続ける。それは、彼女を思いやった善行でも何でもないのだ。
ヒュトロダエウスは、穏やかな表情で髪を撫で続けるエメトセルクに笑いかけた。
「キミ、彼女が今のキミの恋人じゃないの、知ってるでしょ?」
エメトセルクは事も無げに頷いた。
「当然だ。バレていないと思えるのはこいつぐらいのものだろう」
あいも変わらず、エメトセルクの優しい手が止まることはない。それは当たり前だ。ヒュトロダエウスは、長く続く彼の片想いをずっと見てきた。許されるのであれば、止まる理由がない。
「ねぇ、彼女に恋人だと告げられた時、どんな気持ちだった?」
前のめりになり、キラキラと輝く瞳を隠そうともしない友人に、エメトセルクは息を吐き、笑う。
「最後の記憶から、それなりに年を重ねた様子のこいつに言われたのだからな。最初はまぁ、正直に言えば浮かれた。何百年かの後には、自分は想いを果たすのかと」
「でも、結構すぐに気付いたでしょ?」
「ああ。……私は、何をしているんだ? また何百年を、想いの欠片のひとつも口に出来ずに大人しくしていると?」
「有り体に言えばその通りだね!」
悔しそうな顔を見せるエメトセルクに、ヒュトロダエウスがけらけらと笑う。ヒュトロダエウスだって彼をせっついた数など覚えていられないほどなのだ。何しているのキミ、と呆れ顔で言ったこともあるが、当の本人がそう感想を覚えるほどだと聞けばいっそ面白い。
エメトセルクは溜め息を吐いた。
「……で、こいつは何の危機感も持たず、純粋に面白がって恋人などと宣ったと」
「残念ながらその通りなんだよね……」
少しでも相手が本当にそう見ていると感じていたら、男女間でそのような冗談は言えなかっただろうに。しかし、言ってしまったものは返らないし、都合よく記憶も巻き戻ったりしないのである。
「先が思いやられるな……」
「そう? ワタシはチャンスだと思うけど」
フフ、と口元に手を当ててヒュトロダエウスは笑った。エメトセルクが仮面の下で眉を寄せる。
「記憶が明日には戻ること、聞いた?」
「ああ、原因から直接な」
「昨日までのキミと、明日のキミが同じ目で見てもらえると思ってる?」
エメトセルクは首を横に振り、肩を竦めた。
「常人なら不可能だろうが、これだぞ」
「やだなぁ、いくらアゼムでも、人の心が無いわけじゃないんだよ。キミは諦めが早すぎ。今日の彼女の顔見てたでしょ? 期待しなかったとは言わせないよ」
エメトセルクは言葉に詰まった。まるで意識しない彼女と、まるで進展のない自分に腹を立てて、普段なら絶対にしないような真似をした。意趣返しのようなもので、初めは本心からしたことではなかった。
返ってくるのが大笑い等であったなら。ああ、どうせ知ったお前だと諦められたのに。照れ、恥ずかしそうに口籠る様を見て、期待せずにいられるものか。
そんな表情、出会ってから初めて目にした。本当にお前はアゼムか。お前はそんな顔が出来る生き物だったのか。散々な感想であるが、今までの苦労を思えば致し方ない思考でもある。
唇を寄せたのに、抵抗らしい抵抗もしなかった。ヒュトロダエウスの邪魔が入らなくても、恋人でないことは明らかであったから、強引に推し進める気はなかった。しかし、一瞬。ほんの一瞬だけ、魔が差したのも事実だ。
エメトセルクは膝の上のアゼムを揺り起こした。
「おい、起きろ」
猫が鳴くようなむにゃむにゃとした声を上げて、アゼムはエメトセルクのローブにしがみついた。
「…………なぃ……」
「何だ」
「もー、動けない……ベッドつれてってぇ……」
目を丸くするエメトセルクに、ヒュトロダエウスがクスクスと笑った。焦った顔で更に揺り動かすが、アゼムは起こした身でエメトセルクの首に手を伸ばした。
首に抱き着いて、すりすりと額を肩口に擦り付ける。
「ここは、お前の家ではない」
「…………」
「駄目だね、そのまま寝直すよこれ」
すや……と安らかな顔で本格的に寝入ろうとするアゼムに、エメトセルクは深く息を吐いてその身体を抱き上げた。少し変わった体勢に、アゼムが半分目を明ける。
「エメトセルクぅ……」
ヒュトロダエウスはエメトセルクの顔を見て指を指して笑った。甘えた声でしがみつくアゼムを抱えたまま、部屋を出て寝室へと向かう。
「こっちは片付けておくからごゆっくり〜」
「ごゆっくりするか馬鹿」
仕方なく運んでいるだけであるし、何も後ろ暗いことはしようとしていない。していないのだが、少々後ろめたさというものはある。単純に揺れるのを嫌がって抱き着く腕に、悪い勘違いをしてしまいそうで恐ろしい。
暗い寝室に足を踏み入れると、ベッドまで歩み寄る。そして、そっと丁寧にアゼムの身体をシーツの上に降ろす。ごつごつとした男の身体からふわふわとしたマットレスに居住を移して、アゼムはぐっと伸びをした。
ごろりと寝返りを打って最適な姿勢を探るアゼムに、息を吐いてエメトセルクは毛布を掛ける。肩まで掛けられた布団に、アゼムがふにゃふにゃと芯の抜けた笑みを浮かべて、鼻先をうずめた。
なんて平和な顔なのだか。自らの寝台に横たわる懸想している相手に、少しでも邪な思いを抱きかけたのが恥ずかしくなる。
頭を撫で、さっさと離れようとした時、くん、とローブが引かれる感覚にエメトセルクは振り返った。見れば、毛布の下から出ているアゼムの手が、ローブに引っ掛かっている。
「いい子だから、離せ」
駄々をこねる子供にするように囁き、しゃがみ込んで指を一本ずつ外そうと試みる。酔ってもなお、いや、むしろ酔っていて加減が効いていないからか、やたらと力強く握られた手を外すには骨が折れた。やっと外したところで、もう一本の腕が伸びてくる。
「……何がしたいんだ、お前」
今度は肩口を固く握り込んだ手に、呆れて囁く。アゼムは、鬱陶しそうに仮面を外すと、瞼の重い目でとろりとエメトセルクを見上げた。
「しても、よかったのに」
「……は?」
呆然と声を上げたエメトセルクに、アゼムが不機嫌そうに唇を尖らせる。
「ちゅー、してもよかったのに。恋人、なんだから、さ……」
アゼムはそう言って、目を閉じた。口付けを待つ体勢だが、どうせこのまま寝て有耶無耶になるだろうことをエメトセルクは知っている。
今度こそ寝入ったアゼムの手から、緩く力が抜けてローブが解放される。もう、引き止められる理由はない。
アゼムの頬に掛かった髪を指先で払い、エメトセルクは腰を折って覆いかぶさった。
鳥の囀る声に、アゼムはベッドの上で身動いだ。まだ眠い。カーテンは開け放たれているようで、顔に柔らかな陽光が降り注いでいる。誰だ、開けたのは。まだ寝るんだ私は。目を開けて手を伸ばし、同時に時計を見上げようとしたところで、手も視線も何もかもが想定通りの場所に目的物を確認出来ず、アゼムは急に意識を覚醒させた。
ここ私の部屋じゃなくない!? アゼムは慌てて周囲を見回す。見覚えはある。まだ寝ているエメトセルクをヒュトロダエウスとともに何度か襲撃したことがあり、視点こそ違うがその場所に間違いはない。ベッドから転がり落ちるように降りると、頭がズキン、と痛み、そのまましゃがみ込んだ。
これは二日酔いってやつではないか。アゼムは鈍い頭を必死に回転させ、寝るまでの行動を思い返した。そもそも彼の家で飲んだのか? 飲んだからここでベッドを占領していたんだろうな。心臓が脈打つごとに痛む頭を押さえ、そろりと立ち上がる。
私がここに居て、家主が居ないことはあるまい。とりあえず彼を探して話を聞けば分かるはずだ。アゼムは壁を支えにしながら、よろよろと家の中を歩いた。
廊下を曲がり、リビングの扉を開けると、目的の男が居た。ソファに腰掛けて足を組むエメトセルクに、力の入らない手を振る。完全に弱りきった姿のアゼムにエメトセルクは苦笑して、ぽんぽん、と自分の隣を叩いた。
アゼムは目を見開いた。ズキ、と頭に痛みが響く。あーだめだ急になんか思い出してきた! あの仕草、昨日見たやつだ! 巻き戻した記憶の最後は、ワインを一気に喉に流し込んだあたりだ。どうしてやけ酒などしたのか。エメトセルクのせいだ! アゼムは信じられないものを見るように震える指を突き付けた。
「記憶が……まだ、戻っていないというのか……!!」
隣を叩いてアゼムを呼ぶのは、恋人という嘘を飲み込んだ素直すぎる異常エメトセルクだけの筈である! そう、昨日はエメトセルクの記憶が失われ、あろうことかアゼムが恋人だなんて刷り込んだせいで大変なことになったのだ! だから、ヒュトロダエウスの差し入れを飲んだくれて正気を手放した!
いや、待てよ。彼は後遺症もなく翌日には記憶が戻るというから、アゼムは好き勝手したのである。バッチリ朝が来ているのに、何故エメトセルクの記憶が戻っていないんだ。アゼムは青褪めた。あの創造者は繰り返しトリップしてるから耐性があるだけで、初めて行使されたら中々戻れないんじゃあ……!
エメトセルクは呆れ顔でひらひらと手を振った。
「記憶なら既に戻っている。……ついでに言えば、お前が何をしたかも、何をさせてくれたのかも、きっちりこの脳内には残っているぞ」
「ヒィ!」
戻った上であの仕草って絶対怒ってるやつじゃないか! 引け腰のアゼムに、耐えかねたのかエメトセルクが立ち上がってつかつかと歩み寄ってきた。ヤバい! シメられる! 一時の享楽のために好き勝手したアゼムの完全な自業自得である。
二日酔いのせいで常の機敏さはなく、逃げ出すことの出来なかったアゼムはへなへなと腰を抜かした。目の前までやってきたエメトセルクは身を屈め、アゼムの露出されたままの額をつんつんとつついた。
「ご、ごめんなさい! もうしません! 許して!」
「お前、一度やったことは戻らないんだぞ、理解しているか?」
「反省してる!」
エメトセルクは、深く息を吐いて、アゼムの前にしゃがみ込んだ。まっすぐかち合った瞳に、しおれたアゼムが肩を跳ねさせる。伸ばされた手が輪郭を撫でるのに、ぞわぞわと肌が粟立って、アゼムは頬を赤くした。
この人は、正気でこれを、やっている。それはからかうだとかそういう意味合いであったらひどく楽だったのだろうけれど、残念ながら今のエメトセルクの瞳にそんな色はない。そればかりか、照れて俯こうとするアゼムの視線をわざわざ追ってくる始末なのだ。
逃しては、もらえなさそうである。
「きみの親愛の情を無理やり覗いたのは、本当に悪かったと思ってるよ……」
「それだけか?」
「それだけ、って?」
へたりこんだままのアゼムのローブを、エメトセルクの膝が踏み付けて押さえる。どんどん物理的に塞がれる逃げ場に、アゼムはおろおろと視線を彷徨わせた。
「返す言葉のひとつもないのか、……と、言いたいところなのだが。本当に心当たりがないらしい」
エメトセルクの両の手が、アゼムの顔の輪郭を挟みとった。大きな男の手に包まれて、慌てて袖口を掴む。
「まって! この体勢なに!」
「お前、どうせ覚えていないんだろうが。言ったんだぞ、自分の口で」
「ねぇ私キスされるの!? なんで!?」
「…………は?」
途端に不機嫌そうに眉を顰めたエメトセルクに、アゼムはハッと息を呑んだ。もしかして私がすごい勘違いしてない?
「ごめ、キスとかするわけないよな! いくらきみがあんなに私に対して親愛の情を示していたとしてもそれは別に恋愛のそれとかではないし」
「するが?」
「ギャーッなんでぇ!」
悲鳴を上げたアゼムに、エメトセルクは舌打ちをした。
アゼムは混乱していた。エメトセルクが自分に対して恋人として振る舞ったのは、アゼムの刷り込みによるものである。そのさなかで判明してしまった彼の素直な心は、友人としての心配だとか、そういうものに多少色が付いただけだったはずだ。
それがどうして、今日もまた恋人の続きをしようとしているのか。まさか……。ある一つの想像が出来てしまい、目を伏せていたアゼムは、恐る恐る金の瞳を見上げた。
「きみの私への好意は、恋愛の、それなんでしょうか……?」
チッ。肯定の舌打ちなんてものがあるのかクソッ。一瞬逃避で喧嘩っ早い部分が反抗しようとしたが、状態異常が付与されていて敵う相手でないことは、アゼム自身がよく知っている。ぷるぷると震える手でエメトセルクの袖を必死に掴みながら、アゼムは半分泣いた声で呻いた。
「やっぱり私が変なこと言ったから意固地になってるんでしょ! ごめんって!」
「言っておくが、お前が気付いてなかっただけで、勘違いでもないし、昨日判明した訳でもない」
「ひえっ」
アゼムは顔を赤くした。ど、どうしよう。そんなこと考えたこともなかった。エメトセルクが、私のことを、好き?
黙り込んだアゼムに、エメトセルクが溜め息を吐いた。
「恋人なのだから、あの時そのまま口付けても構わなかったと言ったが。お前こそまさか、恋人と名付けた相手になら何されていいとでも思っているのか」
「……私が言ったの? それを? きみに?」
「泥酔していたせいでまるで覚えていないようだが。ああまったく、記憶喪失に振り回されたのは私の方だったようだな!」
アゼムはエメトセルクを抑えるのを諦めて自分の顔を覆った。耳も、ローブから覗く首も真っ赤だ。
「私は、きみのことが好きなんでしょうか……」
「知るか。頼むから、私以外に流されようとしてくれるなよ。嫉妬で狂いそうになる」
喉で悲鳴が潰れる。エメトセルクは押さえていた裾から退き、固定していた頭を解放した。そうして距離を取ろうとしたのに、伸びてきた腕がエメトセルクの胸元を掴んでいた。
何がしたいんだこいつ。エメトセルクの視線に、アゼムは涙目のまま近付いた。
「ちょっと一回どんなものか試してみてもいい……?」
「早速流されようとしているんだが?」
「きみ相手だからだよばか……きみならいいでしょ。きみ以外に許すほど私は尻軽じゃないもん……」
唇が近付く。
「後悔するぞ」
囁く声に、同じ声量を返した。
「後悔させないって、言って」
ちなみに後日、件の創造者は十四人委員会の呼び出しを受け、「イデアの設計は悪くないが、付与する工程として制御に不安の残る創造生物を介するのは頂けない」との指導を受けた。議長から説明を受けている間、二名ほど絶対に視線を合わせない委員がいたのだが、彼らに何があったのか知るのは当人たちと、委員会にアドバイスをした創造物管理局局長のみである。
