いけないこと、して

 なんとなくこれは、いけないことなんだと思う。
 普通、市民はみんな、揃いのローブに揃いのブーツ、揃いの仮面で個性を隠す。そこから外れるのは、十四人委員会って偉い人たちと、極稀にいる役目を終えても生きる人だけ。大人から子供までみんな、肌が見えるのは手と顔の下半分くらいだ。
 私はちょっぴりそれが窮屈だ。長いローブは走りづらいし、フードがあると聞こえづらい。仮面は視界を狭くしている。だから、私はしばしば勝手に取れたんだ、と言い張ってフードを取り去ったり、引っ掛けたと言い訳をして裾を破り捨てたりしていた。それを最初に叱るのは、いつも決まって彼だった。
 なのに。覆うもののない、彼の金の瞳を、私は間近で見上げている。吐く息が絡まった。いつもむっと結ばれている唇が、ふわりと柔らかいこと、私だけは知っている。私は手を伸ばした。彼の細くて柔らかい白の髪を、するりと指先が通っていく。彼の手が私の頬を撫でた。少し開いた唇が、また私の唇を食んだ。
 クリスタルにさえ収められていない古書たちは、日に弱いから、分厚く光を通さないカーテンで守られている。でも、そんなもの、ほとんど忘れ去られている。小部屋の窓からは微かに光が漏れていて、きらきらと空中の埃をサーチライトのように照らしていた。

 しい、と最初に唇に指を当てた日。私は特に深いことなど考えていなかった。ただイタズラがバレて、隠れ場所に辿り着いただけ。私を捜すことに長けた彼だけが、ここにやってきただけ。本棚の陰に隠れていた私は、怒った顔で覗き込んだ彼を、無理矢理に引っ張り込んだ。
 床に無造作に置かれた箱には、何に使うかわからない計測器具がみっちり詰まっていた。それに足を取られた彼はバランスを崩して私の上に落ちてきた。おい、と彼はやっぱり荒らげた声を上げたのだけど、細い子供同士の手足が絡まって、ばちんと視線が合った瞬間に、何故だかお互い何も言えなくなってしまった。
 仮面の奥で、彼の瞳が揺れたのを見た。もっと見たい。衝動に駆られた私は、躊躇せずに彼の仮面に手をかけた。
 ああ、こんな整った顔をしていたのね。いつも鼻から下しか見えない幼馴染の顔をまじまじと見るのは初めてだった。見開いた目を揺らした彼は、すぐに仮面に手を伸ばした。取り返すためじゃなくて、私の付けているものに。
 流石の私も、仮面は人前でほとんど外したことがなかった。ことん、と古い木の床に落ちて響いた音が、合図のようだった。
「ひみつ、だよ」
 私は囁いた。とても悪いことをしているような気がした。でも、胸の高鳴りを抑えられるほど私は大人じゃなかった。私は彼の首の後ろに手を回して、引き寄せた。

 たまに、私と彼はお互いの顔を見せあった。それは何か約束をした訳じゃなくて、何となくの気分だ。どうしようもなく胸がざわついて、とにかく彼を暗がりに引きずり込みたくなる日がある。そんな日、私が一人で隠れこむと、気付いた彼がやって来る。優等生の彼がこんなことしてるなんて、私しか知らないだろう。それがとても、私にとっては誇らしかった。
 角度を変えて唇を触れ合わせる。手を繋ぐだけだってドキドキするけれど、同じ肌の筈なのに、格段に感じるものが違う。何でこんなに気持ちがいいんだろう。彼の手が私の耳をすりすりと揉み込むと、背筋がざわめいて息が漏れた。薄く開いた唇に、ちろりと彼の舌が触れる。私はびっくりして目を開けた。
「大人は、こうするって」
 彼の目元は赤くなっていて、金の目がじとりと半分伏せられている。
「おとな。おとな、かぁ……」
 はふ、と私は吐息で笑った。まだ身体は育ちきっていないから、子供に違いないのだけど。おとなという響きにはそそられるものがある。私は目を伏せて、口をゆっくり開けた。
「教えて、ハーデス」
 彼の手が頬の輪郭を挾みとる。
「きみとなら、こわくないよ」