「エメトセルク、好きな人居るって、本当?」
書類を整えていた手が一瞬止まった。その後、何事もなかったように再開したが、アゼムはエメトセルクを仮面越しに見つめながら、本当なんだ……と呟いた。
「仕事をしろ」
「してるって! ……そっかぁ」
アゼムは完全に止まっていた、ペンを持つ手を動かし、署名を施していく。内容の確認は終わっているのだ、あとは勝手に手がやってくれる流れ作業でしかない。ちらり、ちらり。横目で何度も顔を覗き見るアゼムに、エメトセルクは仮面を手で覆って溜め息を吐いた。
「何だ、私が愛情を持つのがおかしいとでも言いたいのか?」
「そんなこと言ってない! でもさ、ヒュトロダエウスには教えてるのに私を除け者にするなんて酷いじゃないか」
エメトセルクは「出処はあいつか……」とボソリと呟き、宙を睨んだ。面白そうだから、という理由でアゼムに教えていたとしても不思議ではない。ある種の悪い意味での信頼である。
「私は、一切、自分からそれを教えたことはない」
事実だけを述べる。恋愛ごとの話など、自分から明かすことはまずない。勝手に向こうが察知しただけだ。「視る目」だけはある男なのだから、他の誰に悟られたこともない感情が暴かれても、仕方のないとこだと思える。
ただし。……完全に書類を横に避け、ペンを置いたアゼムを一瞥して、エメトセルクは首を横に振る。これに明かすのだけはやめて欲しかった。
「ねぇ、どんな人?」
「仕事を」
「終わった!」
ガタン! と勢いよく椅子を弾いて立ち上がったアゼムは、ずいずいとエメトセルクの隣までやってきて、肩を揺すった。ぱん、と片手で弾いてわざとらしく書類を持ったが、アゼムが取り上げて整えてしまう。エメトセルクは横目で睨んだ。
「お前には関係ない」
「……ないかも、だけど! 聞き出すまできみに纏わりついてやるからな!」
「お前が纏わりつくなどいつものことだろうが」
しかし、アゼムは頑固かつ粘り強く、そして行動力のある女である。下手にこの、二人きりの室内から持ち出されて、人目のあるところで「好きな人のこと教えて!」などと大声を出されたら迷惑以外の何物でもない。ミトロンあたりに同族意識を持たれたらどうしてくれるんだ。
肘を机に突き、軽く項垂れる。アゼムがぱっと顔を明るくさせた。
「まずは! えーっと、かわいい?」
「かわ、いい……? 何だそれは」
「うーん、見た目が好みかってこと」
「お前は人を見た目で測るのか? そういった観点は品がないと思うが?」
「駄目かな、可愛いって尺度。そうか……」
「見た目なんぞよりも、魂の美しさの方が余程」
「そこ! そこのところ詳しく!」
「食い付くなうるさい」
エメトセルクは、目を輝かせて身を乗り出してきたアゼムの額を押して距離を開けた。何が悲しくてお前に話さなければならない。あからさまな舌打ちをしてみせたが、アゼムへの威力はいつもと同じくゼロだ。
「どんな魂なの?」
「聞いてどうする?」
「何でも! きみに、好きな人がどう見えているのか知りたいんだ」
要するに興味本位か。アゼムには、魂を視覚的に視る力は備わっていない筈だが。ヒュトロダエウスに言って見付け出してもらう! などと言い出さないだけマシか。どうせ分かるはずもない。
「……魂は、美しい」
ぽつりと呟いたエメトセルクの言葉に、アゼムは驚いたように口を開けた。
そのまま何かを言いかけたが、結局言葉にはならず、むにゃりと飲み込んでしまう。滅多に見ることのないアゼムの様子に、エメトセルクは片眉を上げた、
「何が言いたい」
「いや、うん、ええと……。思った以上に、きみの言葉の威力が強かったもので、びっくりしちゃった」
「似合わない、と。分かっているなら聞くのをやめろ。鳥肌を立たせるだけだぞ」
「違う違う! もっと、聞かせてほしい。……どんな性格の人? 優しい?」
こわごわと訊ねるのに、エメトセルクは小さく笑った。惚気でも聞きたいと? そもそも恋人でも何でもない相手のことを? 元々エメトセルクとアゼムは、そんな会話を交わすような間柄ではない。怯えたような顔をするくらいなら、初めから聞いたりしなければ良いのに。
「多くの人間は、優しい人と言うんだろうな」
「きみにとっては?」
「優しいやつではないだろうよ」
「なのに好きなの?」
改めて口に出すには、気恥ずかしい。エメトセルクは無言を返した。アゼムはそれを見て、ほぁ……だとか、よく分からない溜め息を漏らした。
手をきゅっと握って、アゼムはエメトセルクの顔を覗き見た。まだ続ける気か、と視線を向けた先で、アゼムはぴかりと光る瞳を瞬き、結んでいた唇をほどいた。
「きみの隣に居てほしいと、願うかい」
エメトセルクは目を伏せた。ひらりと片手を振って見せる。
「そうだと答えたら、お前は解決してくれるのか?」
アゼムは黙り込んだ。視線がうろうろと迷子になっている。珍しい沈黙に、ふっと息を漏らす。恋愛の類はこいつの得意分野ではない。そりゃあ、困り事と見るや奔走する女だが、アゼムが動いたら最早「こっそりと協力」なんて上手く出来る訳がないのだ。
どうする、と静かに待っているエメトセルクを前にして、アゼムはがたん、と音を立てて、空いた椅子に腰掛けた。どことなく投げやりな態度だ。
「解決するのがアゼムだと思っている」
不機嫌な唇に、頬杖を突いたまま待つ。フードを目深に被り直したアゼムが、表情の全てを隠すようにそっぽを向いた。
「……ねぇ、エメトセルク」
「何だ」
協力するよ、と言われたら断る支度をして、エメトセルクは声を返した。アゼムは行儀悪く椅子の上で膝を抱えて縮こまる。
ぽつん、と似合わない小さな声が聞こえた。
「その人っていうのは、私よりも、きみのことを好きなのかい?」
エメトセルクは手を伸ばし、フードを引きずり下ろした。わっ! と大きな声を上げて、アゼムが勢いよく振り返る。その頬は薄く色付いている。
「み、見ないで!」
物理的に目を塞ごうと真っ直ぐ伸びてきた手を掴む。全く、ここまで予測してけしかけて来たのなら恐れ入る。おおよそ甘い空気には似合わない、苦虫を噛み潰したような顔を、アゼムは呆然と見上げた。
「自分から奪うのは、いくらお前でも無理なんじゃないか」
