もしも。
歌うように背後から囁かれた言葉に、ボクは首だけで後ろを向いた。とろりと眠たげな垂れ目をした女の子の眼差しが見つめ返してくる。意図を掴みかねて困っているボクに、彼女はもう一度言った。
「ねえ、もしもここを出られたなら、ポエナちゃんは何がしたい?」
安っぽい、じゃなくて安いヒューラン用シングルベッドの上で、ボクは目の前の窓を見上げた。背後から絡まる白い腕、爪の先は爪紅で紅く彩られている。細くて柔らかい腕には、ビアストのような硬質さを持った真っ白な鱗が絡まっていた。ウルダハでは珍しい、アウラ、という種族の特徴だ。
「ん〜……?」
よくわからないので、ボクは曖昧に唸る。ごろごろとクァールの仔が喉を鳴らして甘えるような仕草で、彼女――ツルバミはボクのことを抱き締めた。すりすりと額を肩口に寄せられる。硬い鱗は少し冷たいけど、温かい体温と一緒に受け取ると心地よく感じるものだ。耳の代わりに存在する角は、ぶつかるとちょっと痛いんだけどね。
もしも、かぁ。ボクはぼんやりと呟いた。幾度となく聞いてきた言葉である。大抵の場合、ボクが名前を覚えられるだけそばにいたヒトは、そんな言葉を漏らしている。
もしも、……ならば。今とは違う今があると仮定して、想像を膨らませるための言葉だ。ここにある現状を見ないふりするための言葉。ボクの気持ちとしては、とうとう来ちゃったか〜、といったところである。
ちょっぴり残念なのだ。これを聞いたとき、だいたいその先は長くない。
「あたしはね、ここを出たら結婚して、子供を産みたいの。三人くらい。男の子でも女の子でもいいなぁ」
ボクと同い年って言ってた気がするから、十八を数える年頃だ。多分世の中の女の子はまだ恋をして経験値を貯める頃合いかも知れないけど、確かにその先も意識できるように身体は完成している頃合いでもある。身体だけはしっかり大人なので、そういうことをしてお金を稼いでいても、ウルダハで検挙されることはまずないのだ。
ツルバミは、アルバレストという錬金術師が主体の組織において、お金を稼ぐための道具だった。一晩買われて、どこかに出かけていく。なまじ母体が錬金術師の組織なせいで、ここにいる間は孕む機能が動くことはないんだけど、もしも、もしもここを出られたなら、薬の服用が止まるので、動き出すんだろう。
ツルバミの白い手がボクをぎゅっとかきだく。温かな体温は、生きているってことの証明だ。彼女の脚の間でちょこんと座ったまま、ボクは月ばかり見ていた。
「あたしは、あたしを買い戻すの。あたしの身体は、あたしの物になるのよ」
彼女は随分大きくなってからこの組織にやって来た。一般的に見て、ツルバミはものすごい美人らしい。とろりと眠たげな瞳は色っぽく男を惑わせる魔性の瞳なんだって。おっぱいが大きいのはそういうのに疎いボクでもわかるよ! こうしてぎゅっとされてるとものすごくやわこいんだ。手足も細くて長くて、華奢で、小枝みたいにポキっと折れてしまいそうなのが良いらしい。
そんな彼女の身体は、彼女の言うとおり彼女の物ではなかった。
父親が東方からやって来た商人で、ウルダハで破産して首を吊ったらしい。死んでも消えない借金のために売られたのが、一緒に東方からエオルゼアにやって来ていたツルバミだ。自分にはどうしようもない理由で自分の所有権が消えたのを嘆きながらも、幾度買われても彼女は上を向いていた。色んなヒトに搾取されて手元にやって来るお金は極わずかでも、いつかヒト一人分のお金になるって信じてるのだ。
「ポエナちゃんだって、自由になりたいんでしょう?」
「……みんな、そーいうねぇ」
自由ってなんだろ? 砂漠の中のアルバレスト本部から出て、ウルダハの貧民街に設けられた拠点で今は暮らしてる。別に牢屋に閉じ込められて折檻されてる訳でもなく、ボクの手は好きにモノを掴めるし、好きに歩けるのだ。それって自由ってことじゃないのかな?
だってだって、買い食いだって出来るんだよ? 少ないかもしれないけど、お仕事をするとお金が貰える。お仕事がなくて盗みを働くしかないヒトがいるこの街で考えたら、これ以上のない贅沢じゃないの? ボクは現状に満足していた。なのにみんな、口を揃えて言うのだ。
もしも、この組織を出られたら。
「ボクはねー、この暮らし以外しらないから、もしもなんて、わかんない!」
決まってそう返すボクに、みんな、同じ目をする。その目は嫌いなものの少ないボクにとって珍しい嫌いなもののひとつだった。
「いつか、一緒に空を見ましょうよ。自由な空って、気持ちがいいのよ」
月が雲に隠れようとしていた。
やっているのが悪いこと、っていうのは知ってるんだよ、ボクだってね。
ごめんねぇ、と笑いながら見下ろした先は、汚れた服を着て倒れているハイランダーの男だ。これからお仕事なんだよ、見られちゃいけないんだ。見られちゃいけないのに見られるなんて、ボクが悪いねぇ。ボクが悪いのに、地面に倒れて許しを乞うのは見た側のヒトなんだから、審理の天秤は壊れてしまって久しい。
ぴっ、とナイフを振るうと血飛沫がぱた、とでこぼこした土の上に跳ねた。ブーツの裏でゴシゴシと踏み付けて誤魔化したけど、うーん、駄目だね! 赤いね! でもお仕事に遅れるわけには行かないので、どうせカラスにつつかれるだけの人のお相手は終わりにする。
鈎手の付いたロープをグルグルと振って、屋根に向かって飛ばす。屋根の出っ張りに引っ掛かり、引っ張ってもララフェル一人分は余裕で支えられるのを確認して、ロープをよじ登る。
今日のお仕事は、とある富豪の家に侵入して、その首をもらうやつだ。強盗に見せかけることになっている。というか、強盗も兼ねてる。うちの組織の備品を壊してしまったので、その分の代金を耳を揃えて払ってもらうことにしたのだ。まさか非合法の組織が領収書を切って手渡すわけにも行かないので、必要な額は物理的にむしり取ろうってことになってる。
ボクは別に恨みはないんだけどね。お仕事だから。これでお賃金貰ってるので、組織がやると決めたらやるしかないのだ。裏路地から壁をよじ登ったボクは、軽やかに屋根の上に着地して、ロープを回収し、カウルの下に収める。月はいつかのように雲に隠れて、薄ぼんやりとその輪郭を漂わせるだけだ。
屋根の上を駆け抜ける。目的のお屋敷は貧民街からは随分と離れているけど、同じ街の中だからそれほど遠くはない。下を歩いている人の服は段々と変わっていき、見た目だけならまるで違う世界に来たようにも思えてくる。でも実際は人と人に差なんかなくて、ナイフを付き立てれば全員死ぬのだ。この世界はひどく平等だね。
家と家の間を助走をつけて飛び回り、ついにターゲットのお屋敷はすぐそこ。カウルのフードを目深に被り、ぴょんと地面に飛び降りた。都市部の建物は密集しているけれど、成金が建てたお家の敷地は広めで、屋根伝いでは行けないのだ。困ったことだ。
正面突破、してもいいんだけど、盗みに入るならやっぱり物陰からが普通なんだよねぇ。また鉤爪付きのロープを張って、屋敷の裏手から石組みの塀を無理やり登る。静かに静かに、ひっそりと。そして敷地内に侵入すると、巡回する警備員の死角で懐中時計を開いた。時刻は真夜中と呼べる時間。頃合いだ。
すう、とひとつ息を吸い込み、止めた。気配を消し、タイミングを見計らう。バイザーを被り、ホーバージョンで武装した剣術士は、退屈そうにあくびをしていた。
姿勢を低くする。腰に下げていた双剣を逆手に持つ。息を詰めると、心臓の音だけが耳の中で鳴り響く。
……三、ニ、一。
地面を蹴り付けた。瞬間、月が雲の中から覗いて、ナイフの刃をきらりと閃かせる。
背後から飛びかかれば、手の中に衝撃。ホーバージョンに覆われていない首の後ろから肉の繊維を咬んでいく刃は、まっすぐにうなじから喉へ向かって突き刺さる。振り返ることも出来ない警備員の喉から、こひゅ、と空気の漏れる音がした。ボクより遥かに背の高いミコッテのおじさんの膝ががくんと折れて、地面にぶつかる。突き刺したナイフを抜くと、どくどくと血液が流れ出す。
とりあえず、ひとり。
ぷは、と口を開けて空気を取り込んだ。足元でじんわりと赤い範囲が広がっていくのを一瞥して、ボクはナイフを振り血を払う。仕事を始めたらやりきらないと。
門の方向へ向かうと、そこにも警備員が一人。ララフェルのおじさんだった。門の外ばかり見ていたので、敷地内の方向からナイフを投げたらあっさりと急所に突き刺さった。崩れ落ちた身体の傍に走っていって、内側から門を開ける。
それを見計らって、門に二つの影が近付いてきた。見るからに大きなルガディンの男と、尻尾の長いミコッテの女。今日の決行役の仲間二人だった。
「首尾はどうだ?」
「じょーじょー!」
「手筈通りにね」
警備の手薄になった敷地内を堂々と歩き、金細工のされた趣味の悪い大きな扉を鍵師のルガディンの男が開けてくれたので、遠慮なく侵入する。
暗い屋敷の中は、ランプによってうっすらと照らされていた。周囲を見回して、小さく舌を出す。
うーん、全体的に趣味が悪い! 変な絵とか変な像とかツボとかいっぱい置いてある! 芸術はよくわかりませんなぁ! ……というか、よく分からないなりにこれは芸術を愛して置いているというよりかは、財力を誇示するために見せびらかしているみたいだと思った。
はるか頭上を見上げて首を傾げる。
「どれが高いの?」
「どれもそれほど高くはない。バラして売れる貴金属の類が狙い目だし無視だ。……お前にはどうせ分からんだろう。さっさと行け」
「ほーい」
強盗のお仕事は二人がメインだ。確かに言うとおりボクは目利きなんか全然出来ないし、高いものを鞄にしまい込んだらチャリチャリ鳴っちゃってお仕事にならない。ボクと同じく用心棒であるミコッテのおねーさんに大きな鍵師のことは任せて、赤い絨毯の敷かれた階段を登っていく。
目的の部屋は二階の奥にある。ツルバミが教えてくれた。巨大な裸婦の絵が飾られた寝室で、天蓋付きのベッドに寝てるのよ、 なんて言っていた。まさかお得意様を殺すことになるなんてねぇ、とひとつため息を吐く。契約書なんかやり取りしてないお得意様は、いつだってかんたんに裏切れちゃうのだ。
でも、それもこれも、ルールを破ったこの人が悪いんだよねぇ。
辿り着いた木製のドアーの前に立つと、コンコンコン、と淑女らしくノックしてみた。しーん、と静まり返ってお返事が来ない。熟睡中かなぁ?
「旦那様、旦那様、起きてくださーい」
結局我慢できなくなって、拳でガンガンガン、とドアを殴り付けた。そして、耳をぴったりドアに押し付けて中の様子を探ってみる。
「こんな時間に何のようだ……」
しゃがれた、おじさんの声がした。ボクはぱあっと笑顔になった。
「起きた!」
わっ! と歓声を上げてしまったのがいけなかった。どたん、と部屋の中で何かがひっくり返る音がした。あ、やば。うっかりメイドさんじゃない声出しちゃったよー。
うん、バレたね! そうなっちゃあ仕方がない! ボクはかばんに忍ばせていた金属製の小さな水筒から、中身を煽った。何でも、瞬間的に筋力を増強させる薬らしい。つよい、つよいやつで、飲んだ瞬間に胃の中が熱くなる。そしてぐるん、とエーテルが体内を駆け巡って、身体全体に熱が広がっていく。
「そおれ!」
鍵の掛かったドアノブを、無理やり回して押し開く。みしみし、と木の悲鳴が聞こえたあと、それはあっけなく抵抗をやめた。金属部品がひしゃげて、木製のドアから分離する。手の中にはシリンダーの壊れたドアノブの残骸が残っていたからぽいと放り投げて、ドアノブがあった位置に穴の空いたドアを蹴飛ばした。
「誰だ、何のために、……誰か! 誰か居ないのか! おい、誰か!」
「ざあんねん、誰も来ないよ!」
広い部屋の中には、ツルバミが言った通りの裸婦の絵が飾られていて、ミッドランダーのおじさんが天蓋付きのベッドの傍らでこっちをギョッとした顔で見ていた。ボクは出会わなかったけど、最終的にこのお屋敷は火を放つことになっているし、出会った使用人は全員始末することになっている。きっと、ミコッテの暗殺者が斃してくれているだろう。
腰に下げていた鞘からナイフを取り出す。ぼんやりと灯っていたランプの灯りが、刀身を橙の色に染めた。それを見てミッドランダーの男は腰を抜かす。
「どこの手のものだ! 儂に楯突いて無事で居られると思っているのか!」
「ふーん、キミ、そんなに色んなとこから恨まれてるの?」
「勝手に妬んでくる奴が居るだけだ! どうせ目当ては金だろう!?」
「お金もなんだけどー、それだけじゃあこっちのプライドがねー?」
無様に床に転がっている男が、ボクが近付くのに合わせてじたじたと後退る。でもベッドサイドのチェストに阻まれて、逃げるのは叶わなかった。チェストに背中を打ち付けて、その上から落ちたクリスタルの彫像が毛足の長い絨毯に当たってぼすりと音を立てる。
一歩ずつ、距離を詰める。
「いくらだ、いくら欲しい、ここで引き下がるなら」
「見逃してくれるってー? わあ、やっさしー!」
いやいや〜見逃すって言葉を使っていいのはこっちだけでしょう! ボクだってそれぐらいわかるよ〜。ガタガタと震える男を笑顔で見下ろした。
命乞いの言葉は聞き飽きたけど、命乞いさせてあげるだけまだ温情だと気付いてほしい。その気になれば悲鳴も上げさせずに息の根を止めることくらい出来ちゃうのだ。どうせ今回も殺すことは決定事項なのだから、最初からそうしてあげてもいいんだけど。ボクには彼に聞きたいことがあった。
脂汗を流してこっちを見上げている男の目は、一足先に瞳孔が開いていた。
「うちの備品を壊したので、賠償金を取り立てに来たんだよー、思い当たるフシはある?」
「備品?」
「そうだよー、これからたーっぷりお金を稼げた道具を壊しちゃったキミには、稼げた分をお支払い頂くことにしたんだ!」
「まさか」
女か。震え声が聞こえた。
ツルバミはある日、帰ってこなかった。この男の屋敷にまた呼ばれた日のことだった。おっかしーなー? 契約はあくまで一日のはずだけど。追加で買われてお金をもぎ取ってくることにしたのかな? そう思っていたんだけど、うちの人間が次の日に見つけちゃったのだ。
貧民街のごみ捨て場に置かれた汚い絨毯の中から、裸のアウラの女の遺体。首には男の手で絞められた痕があった。
「それなりに高かったでしょう? 残念だけど、キミが今までくびってきた貧民の女とは違うんだよねぇ」
まあ、うちのヒトはそうなることを見越して売ったんだろうけど。同じように見付かった貧民の女達の遺体の数を知っていれば、どうなるかぐらい理解していてもおかしくはない。ツルバミも知っていただろう。このところ貧民の娼婦の失踪が相次いでたこと。屋敷に入るキャリッジの乗員の数は、入るときと出るときでは差があること。
でも、お仕事だからねぇ。お仕事を逃げ出せる人間なんか居ないはずだ。信用問題だもの。
「首を絞めると締まるらしいねぇ。気持ちよかったかい? 七天を拝めたかい?」
「違う、事故だったんだ。殺すつもりでは」
「ねえねえねえ、キミはザル神にお金を貢いでいる? ウルダハでいっぱいお金を稼いでいるなら貢いでてもおかしくないと思ってさ。ああ、別に答えなくていいよぉ。どうせ行き着くところなんて何もないんだから。死んだらそこでおしまいさ」
「やめろ、待ってくれ、頼む、あの女が一生で稼げる額なら財産から」
「ヒトの値段って、いくらが妥当なのかしら?」
どんな金額を口にしても、ボクにとっての正解はないだろう。一生で稼げるお金が、その子の額かしら? だから貧民の命は軽いのかな? ううん、それって違うと思う。
少なくとも、ボクにとっては。どんなヒトの命だって平等に金額は付けられないくらいに。
そもそもお金なんてさ、価値はころころ変わるものだよ。遺跡から出てきた石ころと、とっても切れるナイフの金額が釣り合うなんておかしいじゃない。見る人にとって変わるものを、可視化するなんてそんなのきっとおかしい。
「さようなら!」
煌々と燃える屋敷に、火事を知らせる鐘がうるさく鳴り響く中、ボクらは貧民街の拠点に戻ってきていた。ジャラジャラとぱんぱんに膨らんだ鞄の中から取り出した貴金属を並べる男たちをいつかのベッドの上から見守りながら、ボクは疑問を口にした。
「ねえ、あの子の死体は?」
検品していた錬金術師の男が、こちらを見向きもせずに、ああ、と無感動に声を発した。
「死体愛好家が引き取った」
ボクは彼が指差した先の金貨袋を手にとった。あらまあ、こんなに小さくなってしまって。
この手の中の金貨と、あそこにある貴金属や宝石たち。これがあれば、彼女は彼女の身体を彼女の物に出来たのか?
うーん、とボクは首を捻った。
死んでしまったら、どんな豊かな財産も使えないのだ。もしも、なんか想像せずに、ずっと一緒に居られたら、それで良かったのに。
他人がどんな目でボクを見たって。手足が動いて、心臓が鳴っているのだから。
今生きている。ここが、ボクの七天だ。
