「ハーデスのー? ちょっといいとこ見てみたい! そーれ」
「厭だが」
手拍子をしようとした手をエメトセルクは叩き落とした。どうしてこの女はいつもこうなんだ。頭が痛い。自分が何を言っているか、認識が甘すぎる。
アゼムは叩き落とされた手を握り、エメトセルクをきらきらとした目で見上げた。抱いた要望が全て叶えられるに違いないと信じている目である。相変わらずのアゼムを睨んで、エメトセルクは溜め息を吐いた。
「いいか、転身というものは、己の力を誇示する行為だ。人としての枠を超え、適応した身でこそ振るえる力はある。私も、命の危機など致し方ない事情があればその行使を否定するものではない。ただ、お前の求めるそれは何だ? もう一度言ってみろ」
「カッコいいと思うから私、とてもきみの転身が見たい!」
「黙れ」
「言えって言ったのきみだろうが!」
アゼムはふんすと鼻を鳴らした。
今日、顔を合わせるなりアゼムは「きみの転身が見たい!」と主張した。それに対して拒否の姿勢が取られ、この数十分、問答を繰り返している。
人の身は、多少の毛色や身長、体格の差こそあれど、ヒトという種族の枠から外れた見目にはまずならない。人という生き物は星の管理者である。その役目は、等しく星への献身でもって示されるべきだというのが一般的な考えだ。その枠から外れるような行いは恥ずべきことであるし、枠を外れた個を主張する行為はもってのほかである。
しかし、人にはその常識から外れた「身体」によって行使する魔法が存在した。
転身。人として生まれ持った身体以外に、その秘めたる資質に最適な身体を創り上げる魔法だ。その見目は用いる魔法や寄ったエーテルの属性によって大きく異なる。
画一的なローブや仮面で個性を殺した姿でこそ、対等な弁論が為されると考える多くの市民にとって、その姿は好ましいものではない。人の身を超えた様々な行動が可能になるとはいえ、それを人前に晒すのは常識的に考えてあり得ないことだ。
ああくそ、とエメトセルクは呻いた。どれだけ困難な戦闘でも、人の身でのみ行うべきだったのだ。
数日前、アゼムの召喚に応じたエメトセルクは、相対した創造生物の強大さに仕方なく転身を行った。星を育むという目的とは相反した、ただ命を奪うために暴れるそれを鎮めるためであった。その判断により、大きな被害を出さずに滅することが出来たのだから、正しい行為をしたと言える。
瑕疵があるとすれば、召喚者のアゼムにその姿を見られたこと、その一点に尽きる。
アゼムは召喚が為された時、意識を失いかけていた。然るべき星を喚ぶ召喚術式は思考の外で行われたもので、命の危機において切り札を手繰り寄せるものだった。血溜まりに沈むアゼムに、どんな状況であるか一瞬で認識したエメトセルクは、恐らく正しい切り札だったのだろう。迷わず転身を行い、得手とする活性の破壊術式で敵を討った。そこまではいい。
アゼムは大地に臥せながらも、その瞳は開かれたままだった。指一本動かせない状態で、目の前で行われる戦闘の全てを眺めていた。意識を失うまで、目に焼き付けた彼女が数日後、何を言い出すのか、普段の彼女を知っていれば予想は出来たのかもしれない。
医務室のベッドの上で、ようやく目を覚ましたアゼムは、むう、と唇を尖らせた。
「そんなに転身って忌むべきものかな。私は、その人の一番『らしい』姿だと思えるけど。人が使命に生きるのは当然の行いだろ? 使命を行うのに最も適した姿が、なんで恥ずかしいものなのか私には分からない」
「お前みたいにローブを脱ぎ捨てて走り回るような行為を正当化出来るのは非常に稀なことだ、諦めろ」
「いいや、私は! きみの転身がとても好きだ! 見たい! 触りたい! して! お願い!」
「だ・ま・れ!」
まだ傷も完全に癒えていない怪我人のくせに、アゼムはベッドから半分身を出してエメトセルクのローブを引っ掴んだ。その指を丁寧に外しながら、エメトセルクはこめかみに青筋を立てた。
「お前は大概常識をかなぐり捨てているが、そんなお前でも守るべき概念があることをきっちり理解してもらわなければならないようだな」
どれだけ言葉を尽くしても、聞き入れようとはしないだろうことを理解しつつも、ここで引き下がれないのがエメトセルクという生真面目な男だった。一旦スリプルでも掛けて、眠っている間にひたすらに鎮静魔法を掛ければ真っ当になるだろうか、と実力行使を思ったところで、アゼムの手がエメトセルクの手を握った。
きゅ、と丸い爪の並んだ手の掴む様を、エメトセルクは見下ろした。
「きみの手が好きだ」
アゼムは真剣な瞳で見上げた。
「その手が武器を振るう様は、ともに戦っていて非常に心強いものだ。……きみの転身は、新たに得た腕が鳥の翼のように広がるのだね。その大きな手が私を守る様を、私はとても嬉しく思った。意識を失う直前、私の身体をそっとその手が抱えあげようとするのを見たし、感じた。鋭い爪と太い腕は、強大な力の象徴だったろう。でも、私に触れるとき、それはとても丁寧で、きみの心の繊細さを知ったものさ。きみの手が、好きなんだ。もう一度、触れられてみたいと、思う」
エメトセルクは声に詰まった。こいつは何を言っているか、やはり理解していない。個人の持つエーテルの有り様を、肉体として固定する術。それに向ける想いの意味を、分かっていないのだ。それが、どれほどに生々しいものであるか。知っているなら、口には出来ない筈なのに。
「二度と私に、転身をさせるな」
言えるのは、それだけだった。その意味はきっと、伝わらないだろう。
