人に、寿命と呼べるものは存在しないと言って差し支えない。人は死なない。自らその身をほどいて還るときを選べる。創造した生物たちのように、星の営みが繰り返す年月の中で老いていくことはない。
一日が重なって、一月。一月が重なって、一年。四つの季節を繰り返して一巡りするその時間は、人にとってとても些細なものである。一年で命を終え種から芽生える草花や、一年ごとに年輪の数を増やす木々。季節に合わせて恋をして子を作る獣たち。それらほど、人は時を思うことがない。
瞬きほどの意識で、一年はあっという間に過ぎる。人は創造者であり、観測者だ。星と愛し合い、魔法を繰って環境を変えていく以上、その変化を見つめるのは義務である。世代を重ねて育ちゆく創造物を見て、人はやっと時が過ぎたと認識するのだ。
エメトセルクもその認識から外れることはなかったし、普段常識から外れてばかりだと評される悪友も、それは変わりないようだった。とりわけ、彼女の時間感覚は鈍い。ちょっとそこまで〜、と近所に買い物に行く感覚で海を渡り、森に分け入り、数年行方不明になったりする。帰ってきても、久しぶりの一言もなく、遠い昨日の続きを話し始めたりする。
人にとって、一年は、短いのだ。今回を逃したとて、次はすぐにやってくる。惜しむことなどない。何の特別も存在しない。エメトセルクも世間一般と同じく、そう思っていた筈だった。
ある日、報告書に日付を書いていた時、ふと思い出したのだ。彼女が産まれた日が近いと。
彼女は、きっとただの世間話の一環でそれをエメトセルクに教えた。人は何百、何千の年を過ごしていくのだから、同じだけ味わうそれの一度など、些細に違いない。エメトセルクだって、自らのそれをそうと認識している。ただ……恋しい相手のそれは、妙に浮かび上がって見えた。
日々は繰り返しに溶けていくが、人の始まりと終わりは、一日ずつしかない。産まれた日を特別とする文化はないものの。たまには、理由がないと甘やかせない彼女に、理由をこじつけてしまってもいいんじゃないか、とエメトセルクは思った。
彼女は珍しく、アーモロートに滞在している。
祝うと決まって数日、エメトセルクはそれなりに悩んだ。それほど重くないものがいい。形に残るものじゃないといい。深くエメトセルクが考え込んだことなど彼女が気付かないように、流れるように贈りたい。
結局、選んだのは酒だった。一夜で消費する、ただの娯楽だ。彼女は酒を好んでいる。飲めばいつも以上にからからと笑って楽しそうにしている。口数も多くなって、巻き込まれるたびに自制しろとエメトセルクは言うのだが、案外彼女のその姿が、エメトセルクは嫌いではないのだった。
日付と時間を指定して、お前の家に向かっても構わないか、と訊ねても、アゼムは特に何か思い至ることはない。どうしたの、とだけ聞いてくるから、いい酒が手に入ったからたまには、と返した。アゼムは驚いた顔をしていたが、ふにゃりと笑って大きく何度も頷いた。
「ふたりきりは久しぶりだね」
エメトセルクとしては、アゼムがヒュトロダエウスを呼ぶものと思っていたから、内心では驚かされていた。彼女がそう言うなら、それを否定する理由はない。そういうことに、なった。
当日、エメトセルクが取り出した葡萄酒に、アゼムはわっと歓声を上げた。なまじ酒を好む人種なだけに、その銘柄の希少性は一瞬で理解したらしい。調理された肴たちをテーブルに並べた中で、そわそわとした手が固い栓を抜いていく。とくとくとく、ふたつ並んだ透明なグラスに、赤い液体が注がれた。
細い脚を、女の手がそっと掴んで掲げる。エメトセルクもそれにならって掲げると、軽く触れ合わせる。ちん、と高い音を響かせたのち、アゼムはするするとエメトセルクの想いを口に流し込んでいく。
一口、含んで黙ったアゼムを、エメトセルクは静かに眺めていた。じっくり味わうように舌で転がしたあと、こくり、こくり、と喉が動く。
「美味いか」
訊ねると、アゼムは伏せていた目を開けた。仮面はとうに外されていて、魂と同じ色をした瞳がエメトセルクを阻むものなく貫く。瞳はふにゃり、甘く細められた。
「……ん、美味しい」
「そうか」
「…………ねぇ」
自らもグラスに口を付けたエメトセルクは、金色の瞳をアゼムに向けた。アゼムは少し微笑んで、エメトセルクを見つめていた。その穏やかで優しい色合いに思う心を悟られたくはない。しかし、目を逸らすのは勿体なくて出来やしなかった。
「もしかしてだけど、私が産まれた日、覚えていてくれたの?」
「…………」
否定はしない。肯定もしなかったが、雄弁だっただろう。アゼムは嬉しそうにくすくすと笑った。ゆらりとグラスの中の赤い液体を回し、煌めく水面を覗いている。
「あのね、誕生日に拘るヒトなんて、なかなか居ないって思うんだけど……私、実はこの日が好きなの」
「……意外だった」
「だってさ、お母さんがこの日に産んでくれたから、私はきみに会えたんだよ。全部の始まりの日だ。それを、きみが。こんな上等なワインを私に貢いでまで、祝ってくれるなんて。……ふふ、ふ……」
同じことを思っていると、とても言えるはずもなく、エメトセルクは誤魔化すように葡萄酒を口に含んだ。思いは伝わらなくていい。ただ、……彼女の始まりを祝福して。繰り返す中の特別なほんの一日を、腹の中に収められれば、それだけで、良かった。だから。
「ねぇ、アゼム? 変わった花瓶だねぇ?」
「んふふ、いいでしょ?」
「ワタシは呼んでくれなかったんだ」
「そんな日もあるんです!」
まさか後生大切に、窓際の特等席で空いた瓶が飾られるなど知る由もなかったし、旅を好んで平気で街を離れる彼女が自ら、来年も同じ日を過ごしたがるなんて、思い付くはずがなかった。
