だいっきらい

 きっと仕方のないことなのだ。アゼムが何かをしようとする時、それは大抵エメトセルクの溜め息を誘発させる。だから、クリスタル片手に意気揚々と執務室に飛び込んできたアゼムを見て、事情を聞く前に今度は何をしでかすつもりだと怒鳴りつけるのも、何ら不思議な言動ではあるまい。
 だがまぁ、それはそれとして、腹は立つのだけどね! ぷすー、とソファに横たわってむくれた顔のアゼムは、もう一週間も自分の家には帰っていない。アゼムの家は、エメトセルクの家と同一である。外部任務の際は数ヶ月単位で都市を離れることもあるから、さして長いとも言えない期間ではあるのだが、帰れない訳でなく帰らないのは今までにないことだった。
 その間どこに寝泊まりしているのかと言うと、勝手知ったる親友の家である。事情を話せば、ヒュトロダエウスは二つ返事でアゼムを家に招き入れた。それどころか、全力でエメトセルクから彼女を庇うことに決めたのだ。
 エメトセルクとアゼムは同じ職場の同僚であり、議事堂ではもちろん顔を合わせる。しかし互いに忙しい身だ。それぞれに与えられた職責に忠実に過ごしていると、弁論以外ではほとんど仕事が被らない。常日頃共にいると思われているのは、アゼムがエメトセルクを呼び出すか、エメトセルクがアゼムを追いかけるか、そのどちらかが行われている故であり、会おうとさえしなければ他人でいられるのだ。
 そこにヒュトロダエウスのサポートが入ればもう、完璧である。会いたくない、と言うアゼムのために、エメトセルクが偶然を装ってアゼムの働く現場に近付こうとしたとき、こそりと遠見をしては、通信で教えて離れられるように誘導した。エメトセルクも素直ではないから、わざわざアゼムと仲直りするために会いたいです、と言えるはずがない。向こうだって、移動しない夜の間、アゼムがどこに居るかも視えているだろうが、これも同じく素直でないので、訪ねてくるのは著しく困難なようだった。
 アゼムは今回こそ、正真正銘、害のない存在だった。今回こそ、と前置きを付けなければならない時点で反省するべき点がいくつか見当たるのだが、まぁ一旦全て腕で横に押しのけよう。
 アゼムの持っていたクリスタルは、エメトセルクへのプレゼントだった。エメトセルクは真面目な堅物だが、文化人として戯曲などを愛する心がある。今回、かつて活躍していた有名な劇団の地方公演の記録を、アゼムは遠征先で写させてもらえた。映るのは、今はもう還ってしまった名優ばかり。さぞ喜ぶだろう! とワクワクしたが故の意気揚々であったのに、説明をする間もなく疑ってかかられたから、アゼムでなくても拗ねるというものだ。
 せっかくの休日、どこにも行かずぐうたらとソファに伸びて雑誌を読むアゼムに、ヒュトロダエウスが声をかけた。
「ね、ワタシ呼び出し食らってるんだけど、何か伝言あるかい?」
 アゼムはぱちばちと目を瞬いた。対象の名は出ていないが、ヒュトロダエウスの楽しげな口元を見れば誰に呼ばれたのかはすぐ分かる。アゼムは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「ヒュトロダエウスのオススメがあればそれで」
「え〜、ワタシが勝手に喋っちゃって本当にいいの? 危機感煽るならいくつか思い付くのはあるけれど」
「どんなのさ」
「一番簡単で即効性が高いのは『きみのことなんか嫌い!』だと思うよ」
「彼、私にそんなこと言われた程度で傷付くタマかぁ〜? どうせ『清々する』って返されるのが関の山だと思うな」
「キミがそう思うんなら、試してきてもいいね?」
「どうぞお好きに」
 ヒュトロダエウスが家を出て、他人の家に一人きり。アゼムはごろんとソファに仰向けになり、行儀悪く肘掛けに足を引っ掛けて投げ出した。ファンの回る天井を見ながら、考えるのは仏頂面の男のことである。
 確かに、私の常日頃の言動は、まぁアレなんだけとも。……せっかく気まぐれでちゃんと恋人をしようとした私に水を差したのだ、それくらい言われて然るべきだろう。
「そうさ。エメトセルクなんか。エメトセルク、なんか…………」
 アゼムはむくりと起き上がった。くしゃりと顔を歪める。
 実際に口にしようとしたら、胸でつっかえて、喉にすら上がらなかった。だめだ、心にもないことで傷付けるのはよろしくない。言いたくない。伝えちゃいけない。アゼムは急いで髪を括り、ヒュトロダエウスの家を飛び出した。

 アゼムには魂を視て捜索するなんて芸当は不可能だ。ただし、長い付き合いであるのでこんな時に二人がどこで会うのかは知っている。プライベートで彼が好む隠れ家的な酒場は、少し込み入った話をしたい場合に最適なのだ。
 アゼムは店の前まで辿り着くと、大きく深呼吸をした。ちら、とドアを開けて中を覗く。いつもの奥のカウンター席。
 ばちり、気だるげな金の瞳と目が合った。当たり前といえば当たり前か。視覚的な確認が取れずとも、意識する相手が近付けば彼らにはよく分かる。
「おい、ヒュトロダエウス」
「あれ、アゼム本人が来ちゃったねぇ?」
「返せ」
「絶対嫌だけど?」
 何やら揉めているようだ。返せ、とは何の話だろう。首を傾げるアゼムの前で、エメトセルクがヒュトロダエウスの懐に手を突っ込もうとしている。ヒュトロダエウスはひらりと避けて、くるりと宙に指を回して鳥を創り出した。そのまま打ち出すように指を突き出すと、鳥は一直線にアゼムの腕の中に飛び込んでくる。
「わっ、なに!?」
「アゼム! それを私に渡せ!」
 鳥は消え、手の中に残ったのは封のなされた手紙であった。席を立とうとするエメトセルクをヒュトロダエウスが全身で止めている。非力な彼の時間稼ぎは、暴れるわけにはいかない店の中とはいえ、長くは続かないだろう。ヒュトロダエウスがアゼムにぱちんとウィンクした。心得た、とアゼムは頷いてぴりぴりと封筒の端を破った。
「どうせ彼女宛だったんだ、別にいいじゃない」
「向こうから来たんだぞ。目的は達成されている。アレを伝えなくとも」
「………………なーるほど、ね?」
 かさり、開いた便箋には、几帳面な堅い文字が並んでいる。上の段から順番に読んでいきながら、アゼムは口の端がにやけていくのを止められなかった。
 回りくどく濁す書き方をしているが、要するに「よその男の家に逃げ込むのをやめろ」「お前の顔を見られないのは案外こたえる」「話をする準備はあるから帰ってこい」である。謝罪から始まらないあたり、お前も悪いんだぞと言わんばかりの態度が滲み出ているものの。「妬いている」「会えなくて辛い」と書かれれば、嫌な気持ちはしない。
 アゼムはつかつかと近付いて、顔を背けているエメトセルクを見上げた。
「エメトセルク」
「……帰るぞ」
「だいっきらい」
 いつも下がっている口角が、ぴくりと引き攣った。おお、本当に効くのだなぁ、と思いながら、アゼムは手を伸ばして頬の輪郭を挟みとる。
「って、心にもないこと。私に言わせないでね……?」
 悔しげに、けれど安心したように、溜め息を吐くのを見て、アゼムは小さく笑った。
 その後、きちんと話をして無事元通り、アゼムは我が家に帰ったのだが、滅多に掴めない彼の弱みであると同時に、滅多に形にならない彼の愛の言葉だ。
 もちろん、そのときの手紙はまだ大事にしまってある。