だめ

「しばらく、会わないようにしたいんだ」
 大事な話がある、と呼び出され彼女の家に赴いたエメトセルクは、緊張した様子でそう切り出したアゼムに、ほんの少しだけ、口元を強張らせた。
「あえてそう告げるということは、旅に出る訳ではなさそうだな」
 会わないように、と宣言するまでもなく、旅に出たのなら自ずと顔は合わせなくなる。アーモロートに滞在しているのにも関わらず、避けたいと。大事な話だと前置きされた上で恋人にそう言われれば、不安になる気持ちは少なからず生じる。……このような感情、表に出すのは憚られるが。頷いたアゼムに、エメトセルクは努めて冷静に、視線を向けた。
「……何か、私がしたのなら言え。遠慮するのはお前らしくもない」
「あ、や、……ええ、と」
 アゼムは指先を擦り合わせながら、俯いた。ほんのりと耳が赤くなっているのに、エメトセルクは目を瞬いた。負の方面に伸びる感情ではないらしい。しかし、だとするならばなおさら、自らの感情のままに振る舞うアゼムらしくない言動である。
 怪訝な顔をしたエメトセルクに、もごもごと、アゼムが聞き取りづらい声を漏らした。
「きみは何もしてないし、別れるとかそういう話でもない。ただ、その……」
 アゼムの頬が更に染まる。どこを取っても珍しい姿だ。エメトセルクは軽く咳払いをした。相手が真面目に話そうとしている以上、好感情を抱きすぎるのもよくはない。会わないようにと自分で言い出しておいて、などと思うのは完全な八つ当たりである。
 ちら、ちら、と恥ずかしそうにエメトセルクの顔を見上げ、アゼムは髪を耳にかけ直した。
「ほら、私、きみのそばにいると、あの、……仲良くしたくなってしまうからさ? 年がら年中発情期なわけじゃないけど、きみのことが大好きなので……これはこのたび、非常によろしくない案件と言いますか……」
 エメトセルクは眉をひそめた。何言ってくれているんだこいつ。理性の下で生きる人として、限度はあるが。仮にも愛し合って関係を作っている恋人にそう言われて、煽られずに居られるとでも思っているのか。
 そわそわとした手を掴むと、アゼムがびくりと肩を震わせる。怯えたような、期待したような、そんな眼差しがなおさらに煽る。エメトセルクは低く囁いた。
「何の問題がある。耽りすぎるのは考えものだが、愛し合いたいと願うのは自然な感情だ。……私だって、お前に求められたら素直に触れたくなる。今も、そうだ」
 ぐっと軽い身体を引いて、赤い耳元に唇を寄せようとすると、アゼムが慌ててエメトセルクの胸を押した。
「だ、だめ!!」
「…………」
 見下ろしたエメトセルクに、アゼムは真っ赤な顔で目を逸らした。唇がわなないている。どこからどう見ても熟れきった果実であるのに、齧り付かずに居ろとはどういう了見だ。言え、と視線で促すエメトセルクを、アゼムがこわごわと見上げた。再び目を逸らして、唇を尖らせる。
「赤ちゃんできちゃうから、だめ」
 エメトセルクは少し固まって、それから、額を押さえた。なるほど、言いたいことがやっと分かった。
 創造魔法によって命を創り出す種族であるヒトも、生き物であることには違いない。ヒトの身にヒトの魂。正しい「人間」を産むための手段は、一般的な動物と同じく男と女の交わりに他ならない。
 ただし、人の寿命は殆ど永遠と変わりなく、その命の終わりは自ら選んだ時だ。選ばない限りその数を減らさない人の生殖能力は、他の生き物よりも遥かに低いものだった。出産の適齢は限りなく長いものの、受胎できる機会が少ないのだ。増える必要がある動物のように、年に数度の発情期など存在しないし、恒常的に妊娠が可能な身体でもない。
 人のその機会は、大体五年に一度程度だ。子が欲しいと強く望めば、誘発剤などを飲むことでそれを行えるが、自然に任せていれば、妊娠可能期間は排卵時期の一ヶ月程度。だからこそ、人の交わりは子を成す目的よりも、愛を確かめ合う要素が強いものになるのだが……。
 男という性別に生まれた以上、好いた個人に種を付けたいと思ってしまうのは本能に他ならない。一瞬過ぎった熱を噛み殺して、エメトセルクはアゼムの頬を指で擽った。
「まだ、早いからな」
 その言葉は、いずれ、そういう意図で抱き潰すという宣言であった。アゼムはじわ、と頬を赤く染めて小さく頷いた。
「まだ、きみも私もすることいっぱいの真っ盛りだし、お互いに、そうなったら困る、だろ……」
 実を言えば時折、「そう」してしまえば彼女はどこにも行かないだろうか、と。せめてあとほんの少しだけでも、自分の身を案じてくれるか、と。魔が差しそうになることもあるのだが、そのようなことに命を用いるのは不謹慎以外の何物でもない。それに、欲こそ抱けど、実際にそうしてしまうのは惜しい。自由で向こう見ずな彼女が、エメトセルクの愛したアゼムなのだ。
「……しかし、だからと言って全く顔を合わせないのは、正直堪えるものがあるな」
「…………ほんと?」
「嘘をついて何になる。……お前は旅に出たら、便りのひとつも寄越そうとしない。その分、手の届く場所に居るなら抱き寄せたいと思うのは自然の摂理だろう」
「そ、そっか……そう、なのか……」
「行為に及ぶだけが愛情でもない。たまにはただ、傍らに在るだけの時を過ごすのも悪くはないと、私は思うがな」
 アゼムはそれを聞いて、視線をうろつかせた。不安げに眉を寄せたあと、エメトセルクに擦り寄り、ぴたりと胸に貼り付いてみる。存在を確かめるようにその後頭部と背を抱き寄せてやると、アゼムはぽそ、と小さな声で囁いた。
「私が我慢できなくなったら、何してでも止めてね……。多分私も、何でもすると思うから……」
 不穏極まりない。というかお前、それほどに。エメトセルクは一瞬詰めた息を、長く吐き出した。理性を固め、揺らがないようにしなければならない。何をしでかすつもりなのか、考えると恐ろしいものがあるが、彼女との未来を思えばこそ負けられない戦いである。
 エメトセルクはアゼムの背をとんとん、と優しく叩いた。
「……飢えたあとに食う料理が何よりも美味いのだと言っていたのは、お前だったな」
「…………っ」
 アゼムがぱっと顔を上げる。丸くした目には期待が植わっている。むずむず、と唇を震わせて、アゼムは堪えきれないようにエメトセルクのローブの胸元を強く掴み勢いよく叫んだ。
「絶対、絶対だよ! 今の言葉忘れちゃ駄目だからね! 無駄撃ちしないでね! 全部ぶつけてくれなきゃ許さないから!」
「無駄撃ちとか言うな」
 苦笑いとともに、アゼムの手を上から包み込む。身を屈めて頬に口付けると、アゼムは眉を寄せてエメトセルクを睨んだ。
「煽って、後で泣くのはきみだからね……覚悟しておけ……」
「我慢をする素振りくらいは見せろ」

 ただ隣に並んで、触れて、囁いて。たまに返り討ちにして。後に恒例行事となる、二人の先のための禁欲期間は過ぎていった。
 久しぶりの夜が、毎度大層盛り上がることになるのは、言うまでもないだろう。