ともに手を叩こう

 げ、と出てしまった声に、彼はゆっくりと振り向いた。多分、最初っから私の存在には気付いていたのだと思う。あからさまな顔をした私を、不思議そうに都市民が眺めて通り過ぎて行った。視線の先に気付く人は、誰もいない。
「どうして、アシエンがここにいるわけ」
 つかつかと大股で近付いた私の囁きに、彼は肩を竦めた。ミィ・ケット野外音楽堂。グリダニア旧市街に位置するそこは、市民の憩いの場だ。間違っても、第一世界を光に呑みこませようと暗躍するアシエンが居ていい場所ではない。ましてや、依り代である「彼」は、敵対する帝国の、死んだ皇帝なのだ。黒く重たいローブ姿に詰め寄る私に、彼は片眉を上げて鼻で笑った。
「私を誰だと思ってる。世界の狭間を跳躍するなんて朝飯前だ。英雄殿ですら可能なのだからな」
「それは、そうだろうけど。私は、どうして、って聞いてるの」
「お・ま・え・が? 原初世界の用事なんか思い出すからだろう? はぁ、世界ひとつ救おうというのに、全く呑気なことだ」
 ぐうの音も出ない。「大罪喰いの情報を集める間、少し休んでいて」と仲間に言われた結果、バレないように働こうと次元を飛び越えてきてしまったのが今の私だ。最近はどう? と声を掛けながら街を歩いていたら、音楽祭の手伝いを頼まれて、ここに至る。
 さっきまでいなかったはずなのにな。荷物の搬入は済み、行方不明になっていた楽譜も先ほど取り返してきた。一件落着な空気に、ちょっとオシャレをして、ゆっくり音を楽しもうと思ったら、こいつに見つかってしまった。むむむ、と眉間に皺を寄せる。
「……アシエンに、音を楽しむ情緒がないとでも思っているのか?」
 私は言葉に詰まった。ラケティカの森を歩き、思ったよりも彼が近しい感性を持つ「人」であると、今の私は知っている。
「古き都でも、音楽の創造は盛んでな。反響を計算して設計されたホールに集い、美しい音色に耳を傾け、音が消えれば手を叩いて賛辞を伝え、幕を引いた後は夜通し感想を述べあったものだ」
 遠くを眺める瞳が、ふと、陰った。金色が、ゆるりと私に向く。
「などと言っても、お前には理解の出来ないことだろうが」
 蔑むような言葉選びでありながら。
 私は、むんずと彼の手を掴んだ。誰にも認識されない影なき影も、私には触れられるようだった。珍しく真っ当に驚いた様子の彼を、引きずるように連れ歩く。
「今、理解すればいい。私一人を世界に連れ込むなんて、アシエン様には簡単なことでしょ?」
 木のベンチには、ぎっしりと人々が寄り集まっていた。誰も彼も、ステージの上に並ぶ楽器が鳴らされる瞬間を想像して、きらきらと瞳を輝かせている。
 征服王たるソル帝は、芸術を愛し保護に努めていたのだと、とある帝国の劇団と関わった時に聞いたのを思い出した。未熟な私達を馬鹿にするけれど、案外、彼のいう「善き人々」も、舞台を前にしては同じ目をしていたんじゃないか。そんな人々を、彼はきっと。こんな目で。
 誰にも見えない彼の席は、少し詰めてくれた優しい人のおかげで、私の隣に空いている。
 握った手がほどかれた。厭がる素振りなんかじゃなく。私と一緒に、迎える手を叩くために。