オニオングラタンスープ

 ぐっ、と伸びをする。見上げた時計はもう寝たほうが良いんじゃない? と囁いているが、まだ作業にはもう少し掛かりそうだ。
 縁結びの加護を与える護符の製作依頼が入ったのは、昨日のこと。だから納期はもう少し先なのだが、依頼人である少女の不安げな顔を見ていたら、少し作業を早めてあげたくなった。赤い糸に、祈りを与えて清めた小さな色とりどりのガラスビーズを通しては、丁寧に編み込んでいく。細かい作業は好きだから苦にはならない。けれどまあ、時間はかかるし目や肩は凝る。ついでに言えば。
 くぅ、と腹の虫が鳴いた。森に居た頃は三食食べなくても問題はなかったし、空腹感にも強かった筈なのだが、街で暮らすようになって腹が贅沢を覚えてしまった。集中力が切れたな、と作業机の前から立つと、仄かに灯っていたランプを消した。
 代わりに灯すのは、隣室にあるキッチンの明かりだ。ベッドで眠る同居人に悪いから、明かりはひとつきり。暗い中でぽう、と作業台の周囲だけが照らされる。ほかに見えるのは、窓を通して微かに注ぐ月の光だけだ。
 野菜を入れた籠の中から、オニオンをひとつ。皮を剥き、半分に切る。まな板の上に寝かせて、薄くスライスする。今すぐ食べたいものだから、そんなに手間は加えない。火を着けたコンロの上に小さめの鍋を置き、バターをひとかけ。じゅわ、とすぐにとろけていく金色の水面に、スライスしたオニオンをぱらり。
 無音の部屋に、野菜を炒める音と、木べらとフライパンが触れる音が控えめに広がった。まぁ、この程度なら彼は起きないだろう。火が入るとオニオンは透き通って、黒鉄の色がよく見えるようになる。きちんとするなら飴色に、だが、今日はこの程度で。
 買い置きしていた水の樽の取手を捻り、カップへ。そして返して、鍋へと注ぐ
。熱を持った金属が少し騒いだが、すぐに静かになる。木べらでぐるりと鍋の中を混ぜると、薄いオニオンたちが解けて水中を泳いだ。手を伸ばしてポットに入っている固形ブイヨンをひとつ、鍋の中に。全く最近は便利になったものだ、と思う。新進気鋭の商会が扱うこの気軽なスープベースは、こういう日の為にあるんじゃないかな。
 ぐつぐつと鍋の底から泡が立つ。お玉でほんの少し掬い、小皿の中に。薄く色づいたスープが白い皿に映える。ふうふう、と少し吹いて冷まし、啜る。うん、ちょっと味を整えるだけでそれなりになりそうだ。壁に据え付けた棚から岩塩と黒胡椒の入ったミルを取り出し、鍋に向かってごりごりと削る。お玉を回して、もう一匙。うん、うん、十分でしょう。
 しかし、舌先に触れた味わいは呼び水となってしまったようだ。スープを一杯、で終わらせるつもりだったのに、もう少し食べたくなってしまった。
 戸棚に手を伸ばして中を探ると、昨日買ったばかりの長いバゲットがある。紙袋に包まれたそれを引っ張り出し、さてさて、どれくらい切ってやろうか。
「いーにおい」
「へっ?」
 不意に背後から声がして、僕はパンナイフを手に取ったまま恐る恐る背後を振り返った。寝間着のゆるいコットンシャツを着た彼が、ドアの隙間からこっちを見ている。するすると獣みたいに隣へとやって来た彼は、作業台に手を置き、身を乗り出した。
「俺のぶんは?」
「明日の朝ごはんにしたら?」
「お前だけずるいぞ」
 ちゃんときみの分も考えて作ってはいたけれど。朝温めて、出してあげたら良いかなって考えは覆された。周りのキツネ色に色付いた皮に、パンナイフを当てて隣を見る。もーちょい、とナイフは左にずらされた。その位置でナイフを押し、引くと、見た目よりしっとりとしたバゲットは細かなくずを出しながら分厚く切れた。二枚、三枚、四枚。ふたり分を切り出し、再び戸棚へ。
 ゼニスが切り出したバゲットをフライパンに並べている。僕の手には、とろけるタイプのチーズがお出まし。手に持ったまま、棒状のチーズに専用のナイフを滑らせる。パンと同じ枚数だけ切って。くるりとひっくり返し、焼き目の付いたバゲットの上へと乗せていく。温まったパン越しの熱が、ふつり、ふつり。チーズに内側から気泡を生じさせて、ぱちんと弾けた。
 スープカップを戸棚から。ほい、とゼニスが出した手に渡す。彼はたっぷり一杯分、カップに琥珀色のオニオンスープを注ぎ入れた。本当はオーブンで温めたほうがとろけるんだけどね。二枚のパンを上に乗せてやれば、簡易的なグラタンスープの完成だ。
 そういえば、二人とも起きたのに部屋の明かりを灯していない。天井を見上げる僕をよそに、ゼニスはキッチンの小さなランプを手に取り、ダイニングテーブルへと持っていく。
「暗くない?」
「いいんだよ。いいだろ?」
 ひみつって感じで。
 きみが起き出してしまったのだ、誰に対する秘密かは分からない。しかし確かに。仄かな灯りと月の光だけが照らす中に漂う香りは、なんだか背徳感を誘うのだ。穏やかな橙の光の前にかたん、音を立てて座る。
 ひっそり、誰にともなく隠れて息を吹いた。ふう、ふう。口を開けて、ひとくち。薄暗がりの背徳の味は、じんわりとからだをほぐす温かさだった。