嗚呼美しき鐘の音よ

「どうか、お願いします!」
 アゼムは手を握られて、どうしよう、と隣を見上げた。エメトセルクは、面白そうに唇を歪め、視線を返した。
「私に出来ることを、させてください!」
「いやでも、ああ、えっと……」
 普段から見返りなしに困り事があれば拾い集め、解決に導いてきたのが、アゼムという生き物である。そんな彼女に対し、どうかお礼をさせてください! と詰め寄る市民の姿などありふれたものだ。非常によく見かける光景である。
 しかし、それに対して困った顔をするアゼムは、かなり珍しい。礼をされることに慣れているから、いいよいいよ〜となだめつつも、どうしても、と返されるなら受け取ることが相手のためであると知っているのだ。甘い果実や酒、本、歌。固辞することは殆ど無い。
「アゼム様!」
「ほら、彼がね? ね?」
 市民の言い出したお礼、それが問題だった。今回アゼムとエメトセルクがたまたま都市外で救った彼女は、エターナルバンドのプランナーだと言う。エターナルバンドとは、絆で結ばれた二人が、久遠の心を誓い合う儀式のことだ。戸籍上の処理が行われる結婚ともまた違う、魔法的に通じるものなのだが、まあ同一視されることがほとんどである。
 そんな儀式を、プランニングさせてほしい。端的に言えば、彼女のお礼はそういうことだった。
「ねぇ、エメトセルクも黙ってないで! きみが発言しないと私、丸め込まれちゃう!」
「お二人が強い絆で結ばれておられることは、市民の身でもよくよく伝わってくるのです!」
「いやでも、駄目だよ流石に! ほら、ね? エメトセルクも駄目だって言ってる!」
 はぁぁ……とエメトセルクが溜め息を吐いた。アゼムはそれを聞いて、肩を強張らせた。
(わかってる、最初っから! これは、片想いなんだから!)
 アゼムも、言われたタイミングがあと三ヶ月早ければ、じゃあお願いしよっかな、なんて笑顔で言っていたかもしれない。間違いなくアゼムにとっての久遠の絆は、エメトセルクと結ばれるものだろう。少し前まで、素直にそう信じていた。いつ言い出そうかな、くらいに思っていたのだ。
 けれど、最近アゼムは気付いてしまったところだった。自分がエメトセルクに対して恋愛感情を抱いていると。バレたくない、嫌われたくない! 抑制してなんとか今まで通りに過ごしてきたのに、そんなことしたら嬉しくてボロが出るに決まってる! アゼムは半分泣いていた。
「せめてお写真だけでも!」
 市民の言葉に、アゼムが縋る瞳でエメトセルクを見上げる。腕組みをしたエメトセルクは、結んでいた唇を開いた。
「その程度なら、良いんじゃないか。減るものではないだろう。新たな依頼とでも思えばいい」

 

 確実に、何かが減っている。磨り減っている。普段慎ましやかに揃いのローブを身に着ける市民と言えども、晴れの場である儀式では、装飾を纏うことが許される。アゼムは鏡に写った自分を見て、唖然としていた。ヴェーネスやエリディブスのような、何にも染まらぬ純白のドレスだ。
「こちらへどうぞ!」
 扉が開き、アゼムはいざなわれるままに高いヒールでそろそろと歩いた。スタッフがヴェールと裾を持ち上げて後に続く。
 撮影用のスタジオに入ると、立ち尽くすアゼムの周囲でスタッフたちが場を整えるべくテキパキと準備をしてくれる。そっちのお手伝いのが性に合っているのになぁ、とアゼムは肩を落とした。
「出来ました、エメトセルク様、どうぞ!」
 アゼムはハッ、と顔を上げた。控室の扉が開き、アゼムと同じく白を基調とした衣装を身に着けたエメトが現れる。まじまじとその顔を見つめたアゼムと、エメトセルクの視線がかち合った。その金色の瞳が軽く見開かれる。
 スタッフの指示に従い、アゼムの隣にやってきたエメトセルクに、アゼムは囁いた。
「どこの誰かと思ったよ」
「お前が言うか」
 返ってくる軽口に、アゼムは少し安心して息をついた。よかった、いつもの延長線上だ。衣装が特別なだけで、中身は普段と変わらない。大丈夫、やり通せる筈だ。
「アゼム様、これを」
 スタッフが白い花を組み合わせたブーケを手渡してきて、指示通りに胸の前で構えた。投げられるそれを追ったこともなく、こんな場合でなければ一生手にすることはなかったかもしれない。強い香りを放つそれを、アゼムはぼんやりと眺めた。隣にはあまり、視線を向けたくない。
「エメトセルク様、アゼム様の腰にお手を」
「えっ」
 アゼムはうっかり隣を振り返った。そして、抵抗する様子もなく触れた手に、慌てて視線を落とした。いやきみ、そういうキャラだっけ!? ぐっと引き寄せる動きに抗おうとしたが、残念ながら履きなれない高い踵の靴では、そう踏ん張ることが出来なかった。
 寄り添う形に、アゼムの心臓がばくばくと激しい音を立てている。エメトセルクが、堪えきれなかったように小さく笑った。
「遊ばないでくれないか……ッ」
 押し殺した声に、エメトセルクが囁き返した。
「お前が百面相をするのが悪い」
 仕方ないだろうが! と叫んでやりたい気持ちはやまやまなのだが、どうして? と訊ねられたらそこに広がるのは星の海なので、言い返すことが出来ない。アゼムは彩られた唇でもごもごと喋った。
「大体、きみが乗り気なのがおかしい。そんなに私が面白いか。きみに恋人ができたなら、こんな写真は灼熱の火種だぞ」
 周囲では撮影機の調整が続いている。いつもとは反対に、アゼムが苦々しく眉間に皺を寄せる。
「予行練習とでも思えばいい」
「きみにとってはちょっと肩寄せて寄せてパシャリ、かもしれないが! 私は恋人が知らない女とこうしていたと知ったら、とても穏やかな心ではいられない!」
 必死なアゼムに対して、エメトセルクはどれだけ言葉を重ねられても余裕の表情である。金の瞳が細められるのに、アゼムがむっと唇を尖らせた。
「そりゃ、ここまで来て引き返すとかは彼女たちに悪いけど、いざこうなるとだな」
「お前、その顔で隠し通せる気でいたのか?」
「……は?」
 アゼムは表情を引き攣らせた。な、何のことだ。腰に添えられた手が密着させようと誘うのに、普段なら手の一、二本出してやるのだが、あいにくと可愛らしい花束で塞がれている。
「言ってやらないと分からないか?」
 口をぴったりと噤み、目を逸らす。エメトセルクは何も知らず、ただ挙動不審なアゼムを見て、かまをかけてきた可能性がある。尻尾を出してなるものか。
 撮影機が練習用の光を瞬かせている。撮影時間になればうやむやに出来るかもしれない! 開き直って終わらせてしまおう! 努めて心を無に近付けたアゼムの耳元で、エメトセルクが笑った。
「お前が、私のことを」
「わーっ、わーっ、ストップ!」
 呼ぼうとしていた無は一瞬で掻き消えた。叫んだアゼムが習慣で距離を取ろうと後ずさったが、細いヒールがステージを滑る。ぐら、と姿勢を崩したアゼムの身体は、支えるエメトセルクの腕に委ねられることになった。アゼムは真っ赤な顔でエメトセルクを見上げた。
「な、な、な、なんで……ッ!」
「ところで散々お前は私の心を勝手に代弁してくれたものだが」
 あ、良いですよエメトセルク様、アゼム様! そのまま見つめ合っていてください! そう離れていない筈のスタッフの声が遥か遠くに聞こえる。
「私は一言たりとも、厭だ、とは言わなかった筈だが?」
 そのポーズで最初のお写真撮りますね〜! 明るい声も届かず、アゼムの頭の中はフラッシュに白く塗り潰されていた。
 その後のことは、正直よく覚えていない。

 

 覚えていないことも、切り取って残すのが記録媒体のお役目である。疲れ果ててドレスも脱がずに椅子に腰掛け、ぐったりと項垂れていたアゼムの元に、スタッフが軽やかなブーツの音とともに駆け寄ってきた。
 机に広げられた小さな写真たちに、ゆっくりアゼムは視線を向けた。最後の方はもうやけくその満面の笑みであったようだ。スタッフの女性は頬に手を当ててはにかんだ。
「早速いくつか見繕って現像してみました! ふふ、長くお付き合いされているとは思えない初々しさで最初はどうなるかと思いましたが、照れの抜けてきた最後の方など」
「ん?」
 聞き捨てならない言葉があった気がする。アゼムは顔を上げた。
「オツキ……アイ……?」
 まるで初めて発する言葉のように呆然と口にしたアゼムに、女性は不思議そうに首を傾げたのち、鼻息荒く頷いた。
「ええ、あなた方の仲睦まじさは、我々の耳にも届くところです。照れて否定されていても分かりますよ!」
 な、なるほど、あの押しの強さは……そういうことか……ッ! アゼムはこうなった経緯を思い返していた。
 この星の住人は、善き人々ばかりである。やることなすこと、大体心の底からの善意だ。彼女は本気で既にデキているエメトセルクとアゼムに、記念の一日を贈ろうとしていたのだ。慌てふためくアゼムの抵抗も、照れた可愛い恋人に映っていた。
 あああ……と声を漏らしながらアゼムは化粧を施した顔を覆った。ど、どうされましたか! 慌てるスタッフに、どう伝えるべきか。
 無言でひたすらぐるぐると思考を回したのち、アゼムは静かに首を横に振った。
「気にしないで、ちょっと行き違いに驚いただけだから。うん、大丈夫だよ」
 二人の関係は間違ってはいない。
 事後承諾だが、そういうことになってしまったので。
 友人に叩き付けて彼の後悔を最も誘える一枚はどれだろうか。額装してもらう写真を選ぶべく眺め、唇を舐めた。散々遊んでくれた礼をしてやろう。
 自分も同じだけ心に傷を負うことには、綺麗に蓋をした。還らばもろともである。おおよそ花嫁とは思えない笑顔を浮かべて、アゼムは一枚の写真を指さした。