光とは、停滞なのだと言う。
(まだ、生きているみたいだ)
目を覚ましたときに、真っ先にそんなことを考えてしまうのが、既に罪であるように思う。目を開いた先に広がる景色は、クリスタリウムにおける自室の天井ではなく、どのような素材で作られたのか私には皆目検討もつかない、つるりとした薄青いものだった。目を開いたのに呼応するかのように、ぽうとライトにあたる部分に光が灯って、暗かった室内が照らされる。
私はあまりにも大きすぎるベッドの上で、右の手を伸ばした。目を眇めるまでもなく、私の視界に入る私の体は、煌々と内側から輝いていた。光を蓄えすぎたのだ。もはや私の中は白く塗り潰されていて、薄い皮一枚で光を辛うじて閉じ込めているだけ。とは言え、まだ、壊れていない。まだ、生きている。意識はある。罪喰いのように心は死んで、体だけが生前の遺志に動かされているわけでは、……恐らく、ない。
恐らく、と言ってしまうほど、今の私にはもう意思と呼べる力はなかった。
ベッドの上で身を起こし、窓の外を見る。
この街は、海の底にあった。元々海の底にあったわけではないが、海底に沈むほど長い年月がこの街には過ぎ去っていた。光が灯り、幻想によってかつての姿を取り戻したこの街は今、海底で淡い空気の層を纏いながら、静かに佇んでいる。人の気配はあるけれど、ない。
光降り注ぐ「空」とはかけ離れた遥か上方を見上げると、優しい色をした「空」の向こうを巨大な魚が悠々と泳いでいた。あれは、第一世界の水底を泳ぐ名も知らぬ魚だろうか。それとも、彼、もしくは、彼が創った誰かが創った、今は亡きイデアなのだろうか。空の色は優しく、穏やかで、あんなに眩しく空を覆っていた忌ま忌ましい光も、今や遠い存在だった。
私は逃げ出した。逃げて、誘われて、ここまで来た。暗くて静かな、嵐の底へ。
耐えられなかった。私が守りたい人達の一番の敵に、他の誰でもない、私が成り果てたことに。
本当に私が英雄だったのなら、何もかもに絶望して逃げ出すなんてしなかっただろう。目が覚めて、心配してくれる皆の声を聞いて、心の底からの思いやりの声が、どこまでも鋭く私に刺さった。取り戻した筈の夜を遮る真っ白な光に照らされて、本当のことを知らない街の人たちは、きっと「闇の戦士」がまた夜を取り戻すと信じていた。夜を奪ったのは、私なのに。
私がもっと強かったら。……私が本物の「人間」であったなら、きっとこうは、ならなかったろうに。
人の目から逃げるようにローブを纏って、私は走り出していた。最初に夜を取り戻した、紫の森をただ、走る。英雄の亡霊の声も、私の輝きを信じてくれた甘い妖精の声も、全部を振り切って、走った。走って、走って、心は割れそうなのに、ぴしりと光の割れる音にはどうにか爪を食い込ませて耐えるしかない。私は殺したくない。私の好きな人たちを。大好きな世界を。でも、私がこの光を抱えている限り、いつかは私が皆を殺す。
膝を突いて、肩で息をして、どうにか抱え込んで苦しみながら、泣くことも出来ないでいる私の耳に、砂を踏む足音が聞こえた。
「随分、早かったじゃないか」
呆れた声色に、私は笑った。ざまぁないね、と。残された世界は小さくて、人が走ったって逃げられる場所なんか、もう一握りもないのだ。それでも、……彼ならば、どこか、闇の底へと連れていってくれると信じていた。宛もなく走っても見付かるとは思っていなかったのが、まさか本当に迎えに来てくれるなんて、驚きはしたけれど。
「……どうも、光を使いこなせているようには見えないのだが?」
そうだよ、光に追い立てられてここまで来た。来てしまった。口元は薄く笑ったまま、私は猫背の彼を見上げた。闇の使徒だと言う彼の背後は空。ただ眩しく光輝くそれが、彼を天の御遣いのように仕立てあげていた。
彼が手を伸ばした。白い手袋に包まれた大きな手を両の目でじいと眺めて、一瞬だけ躊躇って、……けれど振り返らずに私はその手を取った。ぴり、と闇を纏った聖水を被ったときのような痛みが指先に走った。拒まれているのだ、と知っているのに、彼はおずおずと差し出した私の手を掴み直した。
そうして周囲の空間が歪んで、気が付けば私は水底の、何もかも大きな「人間の世界」に招待されていた。
光の下にはないと言うのに、この街は停滞そのものだった。壊れる前のその瞬間を止めて、何度も繰り返している。
『まぁ、小さな子。迷子かしら?』
『君のような魔力が弱い子供もいるのだね。君にも創れるイデアを探してあげるから、練習をしたらいい』
かといって、私の存在を拒むことはない。本当に、彼の言ったように、この街は「善き人々」の街だった。無限に近い時間を過ごすから焦ることはない。明日のその先がいくらでもあるのだと、押し合うこともなく、静かに順番を待つのんびりとした人たち。海の向こうで起きている災厄は、停滞に泥濘む街に吹く風だと頬笑む人さえいる。怖いものだとしたって、指導者を信じているからきっと大丈夫。あくまで穏やかに、当然に繋がってくる明日を待って静かに時を刻んでいく。
でも、明日なんかない。
『おや、ワタシに用事かな?』
「あなたは私の知らないことをたくさん教えてくれるから」
『きっと、彼もそうしてほしいと、どこかで願っているのだろう』
ヒュトロダエウスと顔を会わせると、彼はおっとりと微笑んだように見えた。
この街の人々の時は決まっていて、明日のその先を誰一人として知ることはない。けれど彼だけは特別で、創造者の雑念の飛沫とやらが、私の大きな情報源となっていた。よく彼と話しているが、彼は他の人のように先を尋ねても壊れてしまうことはない。会っていることは知っているだろうに、創り変えてしまうことはないのだから、エメトセルクという古代人はなかなかにやさしい男だと思った。
彼がそう創っているのか、繰り返しの毎日だからと言って、毎度毎度私は初対面を繰り返すわけではないようだった。名も知らぬ誰かが『今日も見学かい? きみほど熱心な子供なら、大人になったときにはどんなに有用なイデアを産み出してくれるんだろうね!』と笑いかけてくれる。私はこの街の異物である筈なのに、少しずつ、取り込まれていく。
ただ、この街で先へと進むのは二人きりだった。私とヒュトロダエウスは、大きな椅子に腰かけたまま、カウンターへと一列に並ぶ巨大な人影を眺めていた。
「あの人、は……。……優しい人、だった?」
歯切れ悪く言う私に、穏やかな声が返ってくる。
『あれ、今日は世界のことは?』
「いいんだ。聞きたければ、いくらでも時間はあるだろうから」
『そうだね』
ヒュトロダエウスは、顎を指先でちょいと引っ掻いて、私のことを見下ろした。見つめ返す先の表情は、皆で共有したイデアで編まれた仮面に阻まれていて、よく見えない。少し困ったような口元だけが、私の視界には映った。
『紛れもなく優しい人だったよ。誰かの犠牲を見つけたら、手当てをしてやらないと、と自分のことなど後回しにして走っていくような人だ』
「お節介で、お人好しの」
『それは、彼が言ったのかい?』
私は頷きかけて、動きを止めた。「何かのために戦う」理由をなくしてしまった癖に、この街の人に「困っていることはありませんか」等と尋ねだした私を知った彼が、二人きりで囲む静かな食卓で言ったのだ。呆れ返って言った瞳が大層懐かしそうに見えたから、きっとそれは、私を通したどこかの誰かへの「全く、お前は本当に、」であったのだろう。私へ向かって口にした。だけれども。
それから、お前は罪喰いになっても、惰性で人を救おうとするのだろうなと笑われた。そうかも、と私も笑ってしまった。私を私足り得る存在にするのは、その概念なのかも知れない。けれど罪喰いと化した私が行えば、ただの迷惑な破壊に成り下がるだろう。人を守ろうと獣を狩れば、罪喰いを増やすばかり。それでもきっとそうしてしまう。意志のない私が、「好きになってしまった」街の歯車になりたがったように。
私は、「あの人」のばらばらになった欠片を重ねたに過ぎない生き物で、「あの人」ではないのだ。現に私はどこかこの街を居心地よく思いこそすれ、何一つ思い出すものを持っていない。思い出さないか。そう、残念そうに言った声を聞いたのは、つい最近のことだ。
世界を統合しないと彼は彼の大切な人に会えないし、世界が統合されれば、私は私の大切な人を失ってしまう。魂の擦りきれそうな長い時間をかけて彼が歩いてきた目的は、私のちっぽけな旅路と比べるべくもないのかもしれないけれど。
「私は、随分残酷なことを言ったんだなぁ」
なるつもりのないなりそこないに面影を見るのは辛いだろう。
足をぷらぷらとさせながら、人の背を見送る。彼らは幾度も幾度も、自分の身を捧げて意思を呼ぼうとする。明日も、明後日も、明明後日も。エーテルに還ったことは間違いないが、力に願って編み上げられたイデアに魂が籠ったならば、それはひと続きの彼らなのだろうか。途方もない話で、私が理解できる日は来ないだろうけれど。彼らでないとしても、また会いたいと願うことが間違いとは、もう言えないのだ。
『案外に、彼はキミを気に入っていると思うけれど』
私は驚いて、ヒュトロダエウスを見上げた。からかうような声色でもなく、ただひっそりと呟かれた言葉が頭のなかに響いて、何故だか少し取り乱してしまった。停滞に揺蕩いながらこの街を知っていく生活の中では、そう味わうことのない感覚だった。
上手く言葉を返せないまま、私は顔をしかめた。それこそ、残酷なことだ。
ヒュトロダエウスが立ち上がった。彼はもう行くらしい。明るさの変わらないこの世界の一日が過ぎていく。手を振って、私も椅子から飛び降りると、広い廊下を歩いて、議事堂へと向かった。
古代の民に上も下もないようで、彼に対してあるものは、従属ではなく信頼だろう。
エメトセルクに会いに来た、と口にすれば、もう顔馴染みの古代人は当然のように私を奥へと通した。歩き慣れた道を曲がれば、執務室として宛がわれた部屋がある。扉を首が痛くなるほど見上げて、少しだけ不思議に思った。古代の人は私たちよりも大きいけれど、何故彼は、愛せない今の人間の体でいるのだろう? ヒューランの家具をララフェルが使うのに多少苦労するような感覚だろうに、自分の体を作り替えることのできる筈の彼に私が取り残されないでいるのが不思議だった。ソルの身体はお気にいりなのだろうか? 聞いてもきっと答えないのだろうが。
扉をノックして、耳を澄ませてみたが、しんと音のひとつもすることはなかった。害する気はないのだ、構わないだろうと扉を押して部屋へと入る。
彼は大きなソファで、肘掛けに凭れて目を閉じていた。
絨毯の敷かれた部屋を歩いて、彼の顔を覗き込んだ。
目を閉じた顔をじっと眺める。若いとは言えないが、その体の最初が死んだときよりかは遥かに若く作られたらしい体。やつれたような表情に見えるのは、この世界に対して厭だ厭だと繰り返しているのだから、顔の組織に染み付いてしまっているのだろうなぁと思った。
この人のすることは、悪でしかなかった。
霊災を起こしてしたことは、謂わば大量殺人だ。そもそも霊災の起きた原初世界の私たちには生き残る可能性があったとは言え、統合された世界は存在の全てがエーテルになって消えてしまう。世界を殺すことをこの人たちはやって来た。だから、私は対立した。今だって、対立しなければならない筈だと思っている。思っているのに。
そっと手を伸ばした。指の先が、頬に触れる。ぴり、ぴり、私の中の真っ白な光が、反発して小さな痛みを産んだ。ソルの瞳が、ゆっくりと開く。
「何が楽しいのか、理解できないな」
「何でこんなことしてるんだろうね」
反発しているのだから、相手にもきっとこの小さな痛みは生じているだろう。けれども何だか、無性に触れてみたくて堪らなくなった。する、と頬を撫でる私に、彼の眉が奇妙に歪んだ。
「起こしてしまって、ごめんなさい」
ならば痛みを生じさせるその手をやめろと怒られて然るべきだろうが、払われるまでは何となく触れていたかった。彼は私を見て、はぁ……と深い溜め息を吐いた。
「まさか触れられるまでぐっすり寝ている……、なんて思っていないだろうな」
私は首をかしげた。よく考えたらそうだ。命を狙われることの多々ありそうな人生を送ったりしていた様子のアシエンが、こんな簡単に、私に寝首を掻かれる筈もない。しかしそれならそれで、触れられるまでまるで無防備なように装って見せるのも奇妙な話だった。
「お前は気配が煩いんだ」
「それは申し訳ないことをした」
「今お前、戦闘時のように気配を遮断してやれば良かった等とは思っていないだろうな」
ぴん、と指先が私の額をつついた。ぱちん、とやっぱり痛みが光る。肩を竦めて、私はようやく手を離した。
まあ、やってみてどんな反応をするのか試してみてもいいのかも知れないが……。と、そこまで考えて、どうも光の割れそうになるまでのような思考だと思った。今の停滞に侵された私と、繁栄が故の長い安全に浸かっていた古代人は少し近いような気がするけれど、彼らもこんな風に、たまに現れる奇妙な気持ちを楽しんだりしていたのだろうか。
「やっても無駄だぞ」
じとりと睨まれて、曖昧に笑って見せた。エメトセルクはやれやれ、といった様子で自分の額を手で覆った。
「お前は今、何よりも濃い光だ。お前のような光に晒されるのがどんな気分か考えてみたらいい」
確かによく考えてみたらそうだ。光の強い土地に現れるのも少し嫌がっていたようなアシエンに、私の存在は鬱陶しかろう。私一人でこの世界の空を照らしてしまうような光を蓄えているのだ。なのに。
「その割に、私の要求は飲んでくれた」
ぽろっと口から言葉がこぼれた。エメトセルクは手の下で、私から目を逸らした。
この土地で私が、まだ、私のままでいられるのは、ある約束をしたからだ。
『私が壊れるまでは、待っていて貰えないかな』
この海底の街に初めて通されて、なされるがままに住民登録なんてものを済ませて、エメトセルクの執務室でぼんやりとしたまま創造魔法のあれやこれ、動いているこの街の「今」をレクチャーされた後に、やっと私が口にした一言は、途方もないわがままだった。
「光を制御できるまでは、の間違いではなく?」
「光を制御して、まともなままで、アシエンの協力者として私が統合を押し進められるとでも思ってる?」
「ここまで来ておいて、まだ英雄様のような口振りだ」
「英雄だったらきっと、光を制御して、あなたの腹に穴を開けているだろう」
その必要が分かっているのに、そう出来ない私はやはり英雄でも、戦士でもない。
「……まあ、お前の魂だとして、今のお前の器では、溢れさせないのが限界だと知れた話だが」
溢れさせないのが限界で、一人では制御をしきれないのが分かっているし、体感でこれはどうにかなる問題じゃないと理解をしてしまって逃げ出してきた私が、偉そうな口をきいたものではないだろうが。霊災を越えて濃度を増した魂も、世界中の光を抱えるにはあまりにも脆い。世界の統合を果たすことがなければその器が補強されることもないことを知ってもなお、口にしたい。最後のわがままのつもりだった。
「私が、大切なものを壊したくないだけなんだ。どこまで逃げても逃げられないなら、引き延ばせる限界まで守ったと思い込んで……」
終わりの瞬間は、繭に変わるその時にしかないと思った。抗う力は、壊したくないというそれだけの欲求しかなかった。
空を光が覆っている。燦々と刺す光が人を、大地を貫いている。最良の形では決してないだろう。夜を取り戻した時の人々の笑顔が脳裏に浮かんで、胸の内側から剣を刺されているようだった。
ごめんなさい。
「みんなと一緒に終わりたい」
世界中で片手の指の数も残らなかった「人間」として、長い間抗っていた人には、どんなに愚かに映るのだろう。
鼻で笑われることを覚悟で言った言葉に対して、エメトセルクは頬杖をついて私を静かに眺めていたが、やがてゆるりと首を振った。
「待てだなんて今更だ。お前のような命が終わるまでなんぞ、私たちにとっては一瞬のことだからな」
それから、ため息混じりに笑って、こう言った。
「まぁ、お前にとっての長い時間は心変わりをするのなんか簡単なんだろうが」
心変わりって、何だろう。私が抗うのをやめること? 私が抗い続けて、抗い過ぎて、彼の腹に穴を開けたがること? それとも、何かの奇跡が起こって、光をねじ伏せた時に、私が今よりずっとこの街の人になっていたら。
そんなことを考えて、今度は私が首を横に振った。……いいや、そんなことはある筈がない。どちらにせよ、彼の想定するハッピーエンドに私は居ない筈だ。
私はどうやらあの人の一部であるらしいから。私は原初世界の住民で、統合を受ける側とは言え、彼が会いたい人のイデアに塗りつぶされる器でもあるわけで。どうしたって最後までは、居られない。
それを悲しく思うくらいには、心変わりでこの人の都合よく転がるまでもなく、私は既にこの人のことを救いたかったのだ。
私のままでは、もう、誰も救えないけれど。私が最期までみんなを守ったら、その先で、この人を救いたかった。
「全部、救えたら、救いたかったよ。今でもね」
薄く微笑んだ私に、呆れた顔でエメトセルクはゆっくりと目を閉じた。
「お前が終わるまでは、よろしくされてやろうじゃないか」
光とは、停滞なのだと言う。
前に進めなくなった私が、立ち止まったまま耐えているこの状況は解決になど一歩も進まなくて、迫る刻限を遅らせるだけの手段だった。
循環のない幻想の街で終わりを待つ。外が壊れていくことから、目を逸らしたまま。
誰にもゆるされない私と、この世界にとっての悪の時間は、痛いほど緩やかに、流れていくのだった。
