「……アゼムのことだが」
十四人委員会議長であり、幻想生物創造においては右に出る者の居ない星の重鎮。その重く開かれた口に、エメトセルクは仮面と全く同じ表情になった。
「私に言ってどうする……」
沈黙が降りる。他に誰もいない談話室には、重厚な意匠の施された柱時計が時を刻む音だけが鳴り響いていた。ラハブレアは腕組みをして、エメトセルクは手に持った資料から目を離さないまま、いくつも振り子の音を聞いていた。
いくらかの時間の後、エメトセルクはこめかみに手を当てて呻いた。
「……街では私のことをお悩み相談係係だと思っている市民が多いようだが、きっぱりと否定させて貰うぞ」
「……お前とアゼムは、それぞれ個でしかない。それは私も勿論理解をしているところだ。また、他の誰よりも彼女の行動に頭を痛めているのがお前であることもわかっている」
「ありがたいことだな……」
はぁ……とエメトセルクは溜め息を吐いた。先程からすっかり視線は文字を読み取ってくれない。諦めて資料を弾き、机に放る。柔らかい真紅のソファにもたれて天を向き、エメトセルクは顔を手で覆った。ラハブレアは相変わらず腕組みをして目を瞑っている。
「お前はあれの恋人なんだろう」
静かに切り出された発言に、エメトセルクは一瞬耐えようとしたが、結局堪えきれずに噎せた。まさか堅物極まる議長からそのような言葉が出ることになろうとは。大きく息を吸い込み、肩を上下させて跳ねた心臓を落ち着ける。
確かに、アゼムはエメトセルクの恋人である。しかしそれは公言していることではない。ミトロンのように傍目から見て完全に同僚に入れ込んでいる男は居るが、一応個と個が対等な立場でなければならない委員会の所属として、好ましくはないのだ。特にエメトセルクは節制の男であるから、他人の目に付く場所で触れたりはしない。アゼムの方も、普段他人との距離が近い分、エメトセルクを特別とはしていない。
だが、……重ねた年の功か。直接的な言及がなされるとは思わなかったが、察するなど容易いことだったのだろう。色恋の話を好むような男ではないとはいえ、子も居ると聞いていたし、事故で死に別れたらしいものの、配偶者も居た一個人だったのだ。
ただ、ミトロンでもあるまいし、同僚とそんな会話をしたい人種の人間ではない。エメトセルクは居心地悪くソファに座り直した。
「成り行きで、『そう』なりはしたが……それを理由にあいつに甘い顔をするつもりも、過干渉になるつもりもない。委員会の仕事には差し支えないようにする。それで十分ということには出来ないか」
「…………いや、確かにあれの行動に対して思うところがあるのは、お前と同様であるのだがな……。『エメトセルク』のことは信用している。そこを誤ることはないと思っている。これは、『ラハブレア』として言及する内容ではない。戯言だと聞き流しても構うことはない」
「…………?」
エメトセルクは、眉間に皺を寄せてラハブレアの顔を眺めた。いつも通り、髭を蓄えたその顔に穏やかな表情が乗ることはない。腕をほどいたラハブレアが、とん、と指先でこめかみを叩いた。それからひとつ、息を吐く。
複雑な色は容易には読み解けない。戸惑うエメトセルクを前に、ラハブレアは口を開いた。
「手綱を、握れずとも離さないで貰いたいものだ。私に言われるまでもなく、お前が一番理解していることだろうが……あの手の女は、思考が規範の外にある。純粋に、自分の願いしか見えていない。どこまでも、人間らしさから外れたがる……。目を離すなよ。気付けるのは恐らく、お前だけだ……」
おおよそ、恋人について語る言葉とは思えない苦々しい色を見て、エメトセルクは曖昧な顔で首をゆるりと横に振った。
「……それは、経験談か?」
「…………戯言だと思っていいと言っただろう」
「それは、また……あんなとんでもない女がそこらに転がっているとは思わないが……難儀だな」
「…………」
まさかこの男が、そんな手合いを配偶者に選ぶような人間だったとは。出会った頃には長くラハブレアを務めていた、委員会の中でも特に完成した姿の男が振り回されている様は、若輩には想像もつかないのだが。先を生きる人として、似た道を辿る男が居たならば、らしくもなく口出しをしたくなるもののようだ。
「二度とこれに言及することはないだろうから、ついでに言っておくか……。これこそ、戯言だがな」
「先人のお知恵を頂戴しようじゃないか」
いっそ面白くなって、エメトセルクは頬杖をつき、ラハブレアを眺めた。
ラハブレアは、静かに口を開いた。
「子を成したいと言われた時のことは、考えておくのだな……」
予想外の一撃に、ごほ、とエメトセルクは再度噎せた。性の生々しい会話はやはり向いていない。ああ厭だ厭だ、想像もしたくないものを思い浮かべてしまった。
……こう言うからには、この男、浮かれたのか、弾みだったのか……。創造魔法の大家として尊敬する気持ちは揺らがないが、完璧な人間性、とは見られなくなってしまいそうだ。
そして何より。
「……善処する」
想像しかけた彼女の顔と言葉を散らして、エメトセルクは長く息を吐いた。子を持つ父としてのありがたい言葉だ。他意はないに違いない。間違っても、彼女とのそれを想像されるなど、そんなこと。
……とりあえず、らしくない言葉は交わすものではない。
再び降りた沈黙は、ミトロンが勢いよく扉を開けるまで続いた。どうしたんだと訊ねる彼に、エメトセルクとラハブレアが答えることはなかった。
