春の雫

 あんまり怖い顔をしているものだから、私は最初、これが抜き打ちの査察なんじゃないかと誤解をしていた。
 彼は、普段私達の前に現れる時に付けている、あの特別であることを示す赤い仮面を付けていなかった。しかし、普段から私達は、個人を見た目なんかよりもエーテルの波や色で見分けているから、それが彼であることなんか一目瞭然だったのだ。彼は大通りを挟んだ向かいに佇んで、腕組みをし、口元をきゅっと引き結んで、私の店をじっと見据えていた。
 私はしがない花屋である。主に扱うのは切り花だが、部屋を飾り心を落ち着かせる観葉植物なども置いているほか、種や苗なども少し扱っている。
 うちでは、イデアそのものの扱いはない。
 美しい花が欲しいのであれば、管理局でイデアを借りて、創ってしまうのが一番早いだろう。同じ花でも、誰が創ったかに重点が置かれるなら、選ばれる手段はそちらだ。同じ設計だとしても、使用者のエーテルは少し混じってしまうもので、だからこそそれが良いと選ぶ人も多い。
 一方で、人の手によらない、自然が育てたものという付加価値を見出す人も、それほど少なくはないのだ。もちろん、設計さえ緻密に施せるのであれば、望んだものを得られるのは創造魔法産である。自然の育むものは、いかに人が手を掛けようとも、病や風雪に耐えられず枯れてしまうことがある。一番美しい瞬間は、育つまで待つしかない。切り取った瞬間に、魔法でもかけない限り急速に命は失われていく。
 手間暇は掛かり、効率的でなく、最優という訳でもない。しかしそれでも、人は命の営みの儚さに惹かれるのであった。特に花というものは、感情を贈り、空間を彩るものだ。最も優れた設計などなく、美しさは移ろいゆくもの。だから私は、彼らを贈る仕事に就いた。
 人類の総体として、魔法や創造の進歩により、汗をかいて手を汚すだとか、そういう仕事とはあまり縁がなくなった。でも、時魔法の陣を巡らせ、枯れゆく命の面倒を見るのはそれなりに気を配ることもあるし、案外重労働も生じる。花屋とは美しいばかりの仕事ではない。けれど、私はこの役目が好きだ。人の好意をかたちにする。それは美しく、尊いことだと思う。
 さて、こちらを睨んでいるものの、これはどうやら査察ではないようだ、と気付いたのは少し経ってからだった。
 彼らは人類そのものの取りまとめ役のような存在であるから、新たに役目を得たい人のために既存の仕事に調査が入ることもあり、その手のものかと思っていたのだけど。彼が見ているのは私の仕事ではなく、店先に並べられた花々だった。時折私の方にも視線が向いて、彼のいかめしい顔に戸惑っていたのだが、長くその距離感を保っているうちに気付いたのだ。
 ああ、なんだ。どう切り出したら良いか迷っているときの、お客さんの顔じゃないか、と。
 彼だから特別に思ってしまったけれど、そんな顔は今までにいくつも見てきた。男性に多いかな。配偶者などに花を贈りたいが、どう選んだら良いか分からない、だとか。花として想いを贈ることに慣れていなくて、店主にすらそれを知られるのが恥ずかしい、だとか。
 ううん、どうしたらいいかしら。彼の様子は既に、通行人にはかなり目撃されている。私のように、皆が査察だと勘違いしてくれるならいいのだけど。先程通りすがったのは、噂好きのご婦人だったしなぁ……もう遅いかな……。
 とりあえず、彼を道の反対に放置しておくのはよろしくないと思う。うちのお店としても、彼が現れてからぴたりと客足が止んでしまったので。私は動かしていた自動ハタキを一旦静止させて、店の外に出た。
「こんにちは。もっと近くでご覧になってはいかがかしら」
 近付く私に気まずそうな顔をしたものの、エメトセルク様が退却を選ぶことはなかった。ややあって、頷くと、先導する私に従って店のドアをくぐる。
「随分長く悩まれていましたけれど、何かお手伝いできることはありますか?」
 彼は店内に並ぶ色とりどりの花を前に、顔を強張らせた。花に囲まれてする表情とはとても思えず、少し笑ってしまいそうになるのをお腹に力を込めて耐えた。当代のエメトセルク様といえば、とても職務に真面目で、自分を厳しく律されているお方だと評判だ。魔道の何もかもを、そのエーテル界から通じる膨大な魔力を元に完璧にこなし、その目は様々なものを見通すと言う……そんな彼が、こんなに親しみやすい表情をされる方だったなんて。
 よし、先入観は捨てましょう。彼はただの、ひとりのお客人だ。普段何の使命に生きているか、この空間では関係がない。
 と、なれば。何からフォローすれば良いものか。
「……選びたいのは、贈り物でしょうか?」
「……ああ、花を」
 ようやく短いながらも答えてくれた彼であるが、何とも渋い表情である。こう、何というか。悔しそう、が一番近いだろうか……? 贈り物には少々遠いような表情だが、私はピンときた。相当に照れていて、どんな顔をすべきか自分でも理解されていないのだ。
「初めて贈られるのかしら。そういう方が迷われるのはよく分かりますわ。ご相談に乗るのも私の仕事ですから、良かったら少しお話を聞かせては頂けませんか? どなたに贈られるのでしょう」
 私は彼の顔を伺いながら微笑んだ。
「友人、ご家族、……それとも。恋人、かしら」
 エメトセルク様は、諦めたように額に手を当てた。ええ、ええ、最初から分かっておりましたとも。恋人かどうか、尋ねたときの表情と言ったら、それはもう。ものすごく苦いものを噛み締めたような顔だった。……おおよそ恋人の話題の顔ではなさそうだけれど、おそらく彼と恋人の関係性に由来している。私も日々様々な人と会話を交わす職種なので、噂はきっちり耳に入っているのだ。
「……最近、恋人になった相手だ。長く友人であったもので、今更どう恋人の顔をしたらいいか分からない」
「あらあらあら……!」
 これは、尚更張り切ってしまう。初めての恋人としてのプレゼントなんて、これから先、どれだけ長く生きても一度きりでしょう!
「それは悩まれるのも無理はありませんわ。いいえ、むしろ存分に悩みましょう。いくらでもお付き合いいたします。きっと素晴らしい思い出になるように、是非ともお手伝いさせて頂きたいものです。まずは、そうですね……」
 贈る相手が確定したならば、次は込める気持ちだ。
 気持ちは不定形で、二度と同じものを贈ることは出来ない。そんなかたちのない心を、モノという形にする。選び方に正解はない。
 どんなものがふさわしいか、選び取るその人それぞれで変わる。だから私に出来るのは、どう選ぶか、ヒントのカードを広げることだけだ。
「例えば、選び方にもいくつかありまして。相手の好きなものを考えて選ぶのも楽しいですし、植物自体に込められた概念を元にするのも乙なものです。あなたがこんな風に見えているという、イメージフラワーを選び取るのも良いかもしれません」
「なるほどな。世間一般のそういう話とは無縁だと思っていたのだが……」
「今まで経験がなくとも、思い立った時が始め時ですわ。恋人さんの好きそうな雰囲気とか、色とか、思い当たるものはありますか?」
 彼は花々を眺めて、しばし固まった。大輪の花、小ぶりで可憐な花、花弁の多いもの、少ないもの、華やかな色に淡い色。イデアを掛け合わせて、あるいは自然の中で発生して、日々新種が生み出されているのだ。一言に「花」と括るには種類が多い。
 その視線がゆっくりとそれぞれに触れる。その度に、何だかやりづらそうに首を捻るのだった。
「……どうでしょう?」
「……あいつの好きなものを、考えたのだが」
「……ええ」
 神妙な顔に、こちらも背筋を伸ばして見上げる。エメトセルク様は、目元を片手で覆い、溜め息をついた。
「足が生えて動き出すのやら、触手で動物を絡め取って喰らうのやら、そういうのの方が気に入りそうな気がする」
「……なるほど、なるほど」
 私は「彼女」を思い浮かべた。もう誰であるか百も承知なので、私は微笑みながら頷くしかないのである。悟られているのは相手も分かっているだろうから、あえて指摘することもない。
 彼女は、体躯だけならどこにでもいる普通の女性である。しかし、確かこの間は、森の中で自然繁殖していた虹色に光る魚を捕まえて、びちびちと跳ねさせながら運搬していたとか、何とか。同じ名を名乗っていた前代も、そのたおやかな見目とは結び付かない激しさを隠し持つ女性だったが、当代はそれに輪をかけた感じというか。そんな彼女たちであるからこそ、その名を持っているのだけれど。
「残念ながら、あいつほど奇っ怪なモノへの嗅覚は発達していない。……そういうモノを求めるなら、自分で飛び出して行き、未踏の地が何だろうが突き進むような奴だ。そもそも渡そうとすること自体が間違っているのか」
「お待ちなさって」
 私は慌てて両手で制した。いけません、と首を横に振る。人はいくらでも後ろ向きになれるものだ。そう考えて逃げてしまうのは容易いこと。せっかく店まで足を運ぶ勇気を使ったのだから、そのままもう少し頑張った方がきっと良いと思うのだ。
 ついでに言えば、私個人としても、せっかく面白いエピソードが聞けそうなお客様を逃す手もないので、もうしばらく付き合わせてほしい。
「贈り物の本質は、欲しいものを貰う喜びだけではないと思います。相手のことを考えながら選んだものには、それだけで代えられない価値がありますから。それこそ、欲しいものならいくらでも創ればそれで済んでしまいますが、そこに思い出はあるでしょうか?」
 エメトセルク様は唇を結び、顔を背けた。そこに滲むのは照れだ。欲しいといったから、それを渡す。それ以上の感情が、この行動には灯っている。
 私はぴんと指を一本立てた。
「他の道筋でも考えてみましょう。花は見た目の設計だけでなく、言葉や詩篇がイデアに内包されていることがあるのです」
「それが、先程言っていた概念、か」
「ええ、花言葉と一般的に言われるものですね」
「果たして、あいつにそういうものを察知できる程の情緒があったものか……」
 言葉だけを捉えると、あらっ、本当にこの方たちお付き合いされておられたのかしら? と思ってしまいそうだが、仕方ないなと言うように呟かれる声色は、どことなく甘さの滲んだものである。きっと、気付いていたなら、その言葉を発することもなかった筈だ。私は口元に手を当てて笑った。
「何も、最初から知っている必要はありませんよ。いつか、ふとした時に気付いて、じわじわと効いてくるものなのです」
「毒のような言い回しをする」
「薬ですよ、エメトセルク様。まずは飲ませてしまってから考えましょう?」
 彼女ほど好奇心のある人なら、いつか自分で紐解いてしまうような気さえする。創造の産物なら、元々のイデアに言葉を含ませてしまったり、自然に分かたれた種であれば、それから読み取った人が新たに概念を付してみたり。モノ自体の研究と同じくらい、ロマンを求めて名付ける人も活発なのだ。いつか出会ってもおかしくはない。
「これは、希望。これは、初めての恋。愛情、なんて真っ直ぐなものもありますね。あなたは美しい、あなたを想う、だとか、贈る人の感情を名付けたものもあります」
 ガラスドームの内側で時を止めた生花のひとつひとつを示しながら、私は彼の表情を伺っていた。相変わらず険しい顔をしている。
「どうしました?」
「……いや」
 ゆるりと首を振った彼は、壁に飾られた蔓を伸ばす緑の鉢を睨んだ。それは、「あなたは私のもの」だ。
「歯の浮くような愛の言葉が多くて居たたまれないだけだ。何分、こういったことには初心者、と言って差し支えない」
「……そうですねぇ、愛の言葉は贈り物には人気の概念ですから。創造者がこぞって創りたがる分野ですの」
「理解はする。そういうのが申請されたら些細な改良だろうが承認しそうな人間もいるしな」
「花屋としては、ありがたい限りです」
 しかし彼は腕組みをしたまま、視線を動かすばかりだ。やはり、気に入ったものはないのだろうか……? 来て頂いたからには、とびきり素敵なものを見繕いたいのだが、見繕ったところで、受け入れてもらえないなら意味がない。
 私は声を潜めて尋ねた。
「……ところで、何故、お花を贈ると決めたのか、伺っていませんでしたね」
 少しだけ、間が開いた。言いづらいこと、この上ないのだろう。彼は口元を隠すように手で覆い、低く息を吐いた。言いづらくても、ここまで来たのだから聞かせてほしい。引き下がらずに微笑む私に、エメトセルク様は諦めたように軽く俯いた。
「……長く友人をやっていたもので、新しい関係の始め方がどうにも、な。友人の延長が続いていて、恋人らしいことのひとつもしたことがない。それを相談した友人から、持ちかけられた。恋人なら、花でも贈ってみれば、と」
「なるほど……つまり、その方が挙げられたのが花だったというだけで、あなたはそれほど乗り気ではなかった、のかしら」
「いや、……そう、悪くない提案だったのは理解している」
 ふ、と彼が口元を緩ませた。しかしそれは、温かいものというよりはむしろ、自嘲したような。
「実用品の類は渡したくなかった。今までと変わりがない。一番喜ぶのは、旅の助けになる物だろう。それくらい、分かっていた」
 提供している身ではあるが。花というのは、生活に必須のものではない。
 必ずしも必要とはなり得ないが、間違いなく心に作用するものであるだろう。薬効のある草花なども一部認められるし、その分野も創造は盛んだ。けれど、必ずしもその効能だけが必要なのであれば、そういった魔法や道具を使ってしまった方が楽に違いない。
 空間を飾り、空気を明るくさせ、その見た目や香りで人の心を和ませる。物質として実用的な訳ではなく、それでいて、その形は確かに在るのだ。不思議な存在であると思う。
 私は大きく頷いた。
「そこまでご自身を理解されているのなら、もう迷うことはありません。あなたの想いを形にいたしましょう。花は今のあなたにふさわしい贈り物です」
「……伝わるだろうか。大概、鈍い相手なんだが」
「そうですねぇ、……合わせ技は、いかがかしら? 数を打てば当たると申しますか、いくつかの方法で選んでみて、どれか一つでも理解して頂ければよしとする」
「よく上手い謳い文句が出てくるものだ」
「うふふ、稼ぐことが目的ではないとはいえ、商売ですもの。それに、アレンジメントは私の腕の見せどころです。……軸はどんな花が良いでしょう。たとえば、あなたから見た恋人さん、とか」
 そう尋ねると、エメトセルク様は迷わず一つのドームを指さした。見ればそれは、陽に向かって真っ直ぐに背を伸ばし、見つめ続ける金の花。太陽に向かう様は一途な恋にも例えられるし、その見た目から花自体が太陽に例えられることもある。花言葉は、「あなただけを見つめる」。
 時魔法の陣でもあるケースから取り出せば、花の時間は進んでいく。だからまずは、選定を先に。私は店内を歩く彼を静かに待った。
 時折、示された花の言葉を返しつつ、待つ時間は悪くない。想いを伝えるために悩む人の姿は、どんな時でもいじらしくて、可愛いと思う。大の大人に直接言うのは失礼だから決して口にはしないが、彼のように普段凛とした青年が悩む様なんて、ことさらに!
 私が知るのは、この店で彼らに花を渡すまで。その先は知りえず、店の外側で物語は進んでいく。上手くいくといい、といつだって思っている。
 しばらく無言が続いた後、彼は私を呼んだ。
 選ばれたうち、ひとつは、夜に花弁が発光する変わり種。他の花にはあまり見られない特徴を持ったそれは、彼女が興味を示しそうなものだろうか。もう一つは、小振りでいて鮮やかな、可憐な花。花言葉は「変わらぬ心」。気恥ずかしかったのか、愛ほどには直球ではないが、気付けばきっと彼らしいと思うのだろう。
「……これで、頼めるか」
「ええ、お任せ下さいな。すぐに仕上げますわ」
 私は、それぞれの花を取り出した。永遠に保たせる魔法も無いわけではないけれど、枯れゆく命に価値を見出す人からはそう好まれるものではない。茎をハサミで丁度いい長さに整え、水分を失わないように保護剤を掛けてまとめ合わせるのだ。
 主役は太陽の花がいい。華やかなそれを引き立たせるように、今は純白の夜光花と、長く保つ小ぶりの花を組み合わせる。角度や位置を調整して、宙で指をくるりと回せば、レースやリボンがしゅるりと波打って現れる。指でくるくると絵図を描くと、望んだ通りに花をデコレーションする。きらきらと薄く光る生地に包まれたブーケが、ひとつ出来上がり。
「いかがでしょう?」
 ブーケを両手で差し出すと、壊れ物を扱うように、彼の手がそっと受け取った。大きくはないが、そのままテーブルなどにも飾れる造りにした。
 ほう、と溜め息がつかれる。
「見事だな」
「ありがとうございます。想いがきちんと伝わりますように、私も微力ながら願っておりますわ」
 彼の口元がうっすら緩む。やはりこの瞬間は堪らなく嬉しい。私の心まで温かい気持ちに包まれるようだ。
 ああ、そうだ。私は彼に少しだけ待ってもらい、店の奥に引っ込んだ。ふと、眠らせていた貰い物を思い出したのだ。まだ自然に根付かぬそれは、うちに花を納品してくれる園芸家に貰ったものの、店に並べるか悩んでいた品だ。イデア研究者の試作品であり、数の少ないそれを、一体いつ活かそうか考えていたのだが、今がそのタイミングのような気がする。
 私は木の小箱に綿を入れ、くぼみを作った上にそっとそれを置いた。
 店に戻ると、彼は気難しい顔をして佇んでいた。声を掛けると、手にしていた花から顔を上げてこちらを見やる。私は小箱を彼に手渡した。
 まだ蓋をしていないそれを覗き込み、エメトセルク様は首を捻る。
「……これは?」
「種です」
「それは、見れば分かる」
「ですよね」
 私は口元に手を当てて小さく笑った。綿に乗せられたそれは、見た目は何の変哲もない、丸くて茶色い種だ。何とも言えず怪訝そうな顔をした彼に、もしかするとあの人は、何かを差し出しては、こんな視線を返されているのかしら、と思った。
「友人から貰った試作品なのです。創造者曰く、何物にもなり得る植物を作りたかったとか」
「……と、言うと?」
 彼は指先ほどの大きさのそれをつまみ上げ、目を細めて見つめた。エーテル界も見通すというその瞳には、何か見えるものがあるのかもしれない。
「与えられたエーテルによって、違った色の葉を茂らせるそうです」
「何故それを、私に?」
「あなたの恋人は、旅をする人でしょう?」
 種から芽生えた後、それはゆっくりと光と栄養を得て育ちゆく。特にこの種は、いずれ鉢には留まらない樹に育つという。それまでは長い月日が掛かるようだ。
「帰ってくる度、姿を変える植物があったら、彼女にとっても帰還が楽しみになるのではないかと、想像してみたのです」
 ふ、と穏やかな吐息が零れた。目を細めたエメトセルク様は、種を小箱に戻した。私がその蓋を閉めると、大切そうにそれを懐に仕舞う。
「頂いておこう。……成長を目で見れば、あいつもいかに人を放っておいているか理解するかもしれない」
「ええ。その種が、あなた達の助けになれば、きっと」
 花束を手に、背を向けた彼にお辞儀をして見送った。願わくば、触れた人生が幸多きものになりますように。
 ふたりの手が触れたら、どんな豊かな色が生まれるのか。見られないのが残念だと思うなんて、この短時間で私は彼らのことが特別好きになってしまったみたい。今後の噂に期待して、私はまた、いつもの仕事に戻ることにした。

 

 

 

 勝手知ったる他人の家だ。古い馴染みであるので、互いの家など数え切れない程に行き来している。しかし、用があるとわざわざ呼び出されるのは久しぶりかもしれない、とアゼムは思った。大抵、会いたいからという単純な心に従って押しかけるのが常だ。
 やって来たアゼムを迎えたエメトセルクは、いつにも増して奇妙な仏頂面をしていた。リビングに通されながら疑問をぶつけてみようか考えたが、一旦保留にしておく。
 定位置であるソファの上に座って、エメトセルクから切り出してくるのを待つことにする。きっと、用件と関連しているのだろうというのは予想がついた。一体何だろう。わくわくと胸を躍らせるアゼムに、低い声がかかった。
 振り返ったアゼムは、驚いて目を見開いた。不機嫌そうな顔のエメトセルクが、花束を手に立っていたのだ。
 まじまじと、手に持ったものと、エメトセルクの顔を見比べる。に、似合わない。非常にアンバランスだ。ちょっと面白い。恋人相手に散々な感想を抱きつつ、アゼムは期待を込めて彼を見上げた。
「それ、きみが他の女の子に貰ったとかじゃないよね?」
「何故わざわざお前を呼び出して見せ付ける意味がある」
 そっぽを向いたエメトセルクに、アゼムはソファから立ち上がって近付いた。自然と口元がにやついてしまうが、致し方ない。だって、こんなの。
「私のために、きみが、これを」
「腹の立つ物言いだな」
「噛み締めてるだけさ」
「要らんなら捨てる」
「そんなこと一言も言ってないだろう?」
 アゼムはそっと手を伸ばし、エメトセルクの手を包み込んだ。節張った手の中のブーケはひどく可愛らしく映る。
 手ごと包んだまま、アゼムはその花束に鼻を近付けた。柔らかく透き通った香りだ。目にも鮮やかなそれは掛け値なしに美しいが、彼の手から受け取るから尚更に素晴らしく見える。
 花屋に行くしても、園芸家に頼むにしても、強面の彼に頼まれたら驚いたんじゃないかな、なんて思う。彼本人としても、あまりそのような場所もやり取りも得意ではなさそうだし。その上で、完成したこれを持っている。唇がむずついてしまう。
「似合わないことをしたのは私が一番理解している」
「うん、似合わない」
「……お前相手に花というのも相当に似合ってないぞ」
「確かにねぇ?」
 からかって言うアゼムに、エメトセルクは唇を結んだ。照れている。このひと睨みで敵を退けられそうな男のことを可愛いと思う日が来るとは。アゼムも体験してから、まさかなぁと思っている。
 離そうとしない手から、アゼムはブーケをもぎ取った。
「要るのか」
「当たり前だろ?」
「……品そのものよりも、私を楽しんでいないか、お前」
「あはは、……んー、それもあるにはあるけど」
 怪訝そうなエメトセルクを前に、アゼムはブーケを胸に抱えた。愛おしい、と思う。
「……きみに貰ったことが、嬉しくてたまらない。ありがとう、エメトセルク」
 花と同じくらい鮮やかに、アゼムは笑顔を浮かべた。それを見てエメトセルクは、少し肩の力を抜く。らしくもなく緊張していたらしい。やりづらいことこの上ない、と照れ隠しに毒づいた。
 花を抱えて満足気に目を細めていたアゼムが、ふとエメトセルクを見上げ、首を軽く傾げた。
「ところで、どうして気付いたんだい?」
「……何に?」
「あれっ?」
 アゼムは失言をした、と口を押さえる。エメトセルクはすかさずその手首を掴んだ。
「今度はお前の番だな? 隠さず言え」
「いや、えっと」
 アゼムは視線をうろつかせた。じっと睨むエメトセルクに、そろそろと視線を合わせる。にこ、ととりあえず笑ってみたが、それで誤魔化されるような関係性ではない。
 薄くアゼムの頬が色付く。
「……普通の恋人がすることを、ちょっとだけ、してみたかったんだ。それこそ、似合わないと知りながらね。きみにねだるのも恥ずかしかったし、鼻で笑われるだけだと思っていたよ、正直」
 エメトセルクは、はぁ、と溜め息をついた。手首を掴んでいた手を離し、アゼムの背に添える。ぐっと引き寄せる動きに逆らわず、アゼムはエメトセルクの腕の中に飛び込んだ。
 元々、距離の近い間柄ではあった。しかし、小脇に抱えられることは多々あれど、正面から抱き合うことはアゼムの喜びが頂点に達したときくらいしかなかった。逆に言えば少ないとはいえあった訳で、距離感のおかしさを再確認する事案ではあるが……。何だか嬉しいけど緊張するな、とアゼムは額を肩に寄せた。
「もう一つ、受け取ってもらえるか」
「うん……?」
 耳元の囁きに、アゼムは顔を上げた。胸の間に距離を開けると、エメトセルクが腰を抱いてソファに誘導する。二人分の体重で沈んだ上で、エメトセルクは取り出した小箱をアゼムに手渡した。
 一度ブーケを脇に置き、アゼムが受け取って蓋を取る。
「種……かな?」
「育ててみないか。育て方によって面白い変化が起こるらしい」
 エメトセルクはわざと、アゼムの気を引くようにそう言った。しかしアゼムは、小箱を見下ろして、静かに考え込んでいる。そして少しの逡巡の後、首を横に振った。
「ごめん、私は育てられない。せっかくきみに貰ったものを枯らしてしまったらと思うと、受け取れない」
「枯らさない努力は?」
「そりゃあ、アーモロートにいる間はいいよ。園芸家の手伝いすることもあるし、私も植物の扱いは苦手じゃない」
「なら、お前でも」
「ううん、私は結局、旅に出るから。その間に…………」
 視線を落としていたアゼムは、長い沈黙を挟んで、突然はっと顔を上げた。そしてゆっくりとエメトセルクの顔を振り向き、にっこりと笑う。
 エメトセルクは唇を歪めた。
「今度は何を思い付いた」
「大丈夫、悪いようにはしないから」
「お前のそれが大丈夫だった試しがあるか?」
 アゼムは明るい笑顔をもって答えた。労を惜しむな、せめて口答えをしろ、とエメトセルクは思ったが、咎めたところで今更であることも十分過ぎる程に理解している。
 エメトセルクは肩を竦めた。どうせ何を言っても聞きやしない。
「何だ、言ってみろ」
 アゼムは目を輝かせた。そして、隣に腰掛けるエメトセルクの膝に両手を突いて軽く乗り上げる。無邪気に甘える仕草で視界の半分を占領して、アゼムは口を開いた。
「明日、家を引き払ってくるよ」
「…………はぁ?」
「きみの家に居候する」
「お前には、もう少し順序立てて物事を説明する気はないのか?」
 エメトセルクはアゼムの頬をつまんで引き伸ばした。いひゃい、と甘く笑って、膝の上に転がる。
「どうせアーモロートに居ないことも多いし。きみの部屋、職務相応に広いんだから私の荷物くらい運び入れられるだろ? 元々たまに泊まったりもするんだし、今更そう変わらないじゃない?」
「……で、何がどうしてそうなった?」
 その声は咎める音にはなり得なかった。それは、エメトセルクにも分かっている。
「私は貰った種を育てたい。きみとね。私が枯らしてしまうのは嫌だ。きみに返して育ててもらうのも味気ない。ふたりなら、丁度いいだろう? だから、居候させて?」
 エメトセルクは、とんとん、と額を指先で叩き、そしてアゼムの髪を片手で掻き混ぜた。
「お前は、同棲しようとか、真正面から言えないのか」
「分かってるなら良いじゃないか。ね?」
 くふくふと楽しそうに笑うアゼムに、エメトセルクは眉を寄せて苦笑した。
 正直に言えば、ここまでの好転は期待していなかったのだ。花のような笑顔を見られただけで、満足していた。これがまさか、こんな大物が文字通り転がり込んでくるとは。
 エメトセルクは植物の育成も、土弄りも特に経験はない。必要な物品のイデアを借りに行ったら、悪友がどんなに笑い転げるものかと想像すると、好ましいばかりではないのだが、それはそれだ。
 一歩ずつ、進む。初めのしずくの一滴は、土に染み込んでいき、ひとつの色を芽吹かせるのだろう。