「あれ、アゼムどうし」
「――〜ッ!」
飛び上がらんばかりに驚いたアゼムが勢いよく振り返り、手を振るった。朗らかに話しかけようとしたヒュトロダエウスの言葉が止まる。アゼムはヒュトロダエウスに飛び付き、建物の深い影へと隠した。
「ダメダメ、バレちゃうから!」
抑えた小声で叫ばれ、ヒュトロダエウスはこくこくと頷く。そして喉をとんとん、と指で指した。アゼムは申し訳無さそうにしながら、指先で喉に触れる。
「……ふぅ。人に向けて沈黙魔法を放つなんて、随分乱暴だなぁ?」
「ご、ごめん。でも、それには訳があって」
「何か覗いてたよね?」
「う、うーん……えっと……」
歯切れの悪いアゼムは、ヒュトロダエウスのローブをそっと掴んだが、好奇心が強いのはお互い様だ。初めに声をかけた時のアゼムと同じように、ヒュトロダエウスはこっそりと建物の壁から頭を半分出した。
ははぁ、と視線の先を認めて頷く。アゼムもやっぱり気になるのか、同じようにしてあちらを覗く。見えたのは、見慣れた友人の姿と、見たことのない小柄な女性の姿だ。
「エメトセルクと女の子、だね? 彼に用事なんじゃないの?」
わざと何でもないように訊ねた声に、アゼムは背中を丸めて俯いた。
「よ、用事は、特になくて」
「そうなんだ? ……しかし、珍しいね。彼があんな風に談笑するなんて」
二つの視線の先には、ころころと笑う女性と、柔らかな雰囲気を出す彼の姿がある。彼を知らない人から見たら、笑顔という訳ではないので分からないかもしれないが、長い付き合いの二人にとってはあからさま過ぎる空気の暖かさだ。
「ヒュトロダエウス、あの子、見たことある?」
「ワタシはないなぁ。アゼムは?」
「私も……」
「うーん、キミも知らないなら、最近アーモロートに来た子かもね」
「なんか、なんかさ、……うーん」
「どうしたの?」
自らのローブの胸元を掴みながら唸るアゼムに、ヒュトロダエウスは善人の顔をして訊ねた。ただし内心は彼女の様子に大興奮である。いつものアゼムなら、エメトセルクを見掛けるなり飛び出していくのに、これは明らかな特殊事案だ! 面白くない訳がない!
「彼らしくないというか、見たことない顔してるからどうしたらいいか分かんなくて。こう、この辺がもやもやする」
アゼムは、ぎゅっとローブを握る手に力を込める。不安げに自分を振り返る彼女に、ヒュトロダエウスは神妙な顔で頷いた。それはヤキモチだね! と最初から答えを言ってみても面白そうだが、折角初めての感情で戸惑っているのだ、自分で答えを探させるのは今しか出来ない。
「エメトセルクに春が来たのかもね」
「……春?」
「そう、春」
ヒュトロダエウスは目を眇めて、話し込む二人を見た。
「彼女、綺麗な魂の色をしているなぁ……」
どこかの誰かに似た、とは付け加えないでおく。アゼムはびくり、と肩を跳ねさせ、慌てた様子でヒュトロダエウスのローブの胸元を掴んだ。
「きみたちみたいな目の人の感性ってそうなの!?」
「彼がどうかは知らないよ?」
ぎりぎり、と手に籠もる力の必死さにヒュトロダエウスはアゼムの手の甲を軽くタップした。割と普通に首が絞まる。あ、ごめん、と手を離したアゼムは、上目遣いで窺うように小さく口を開いた。
「ねぇ、その、ヒュトロダエウスはさ? 彼に恋人が出来たら寂しいよね? もう、三人で遊べなくなるかもしれない……」
ワタシも含めるあたりがキミだよねぇ、とも思いつつ、ヒュトロダエウスは少し意地悪くにっこり笑ってみる。
「ワタシは気にしないな。ワタシたちもいい大人なんだし、彼に出来ても、キミに出来ても、ワタシは祝福するよ」
「う、うらぎりもの……!」
そもそも、彼に出来るのとキミに出来るのは同義語だと思ってるし、というのも笑顔の裏に隠してしまう。アゼムはぐぬぬ、と唸って再度観察に戻った。
「何話してるんだろう……っていうか彼って星の運営以外に盛り上がる話題ある? あのエメトセルクだよ?」
確かに和やかな雑談をするタイプではないし、大抵の場合仕事以外で彼が話しているのは、アゼムと自分の話だなぁ、と思ったが、ヒュトロダエウスは曖昧に微笑んだ。
「ここからじゃ聞こえないから分からないな。でも、共通の趣味の話題とか、好きなものの話とか、普通の男女なら探せばあるんじゃない?」
「彼の趣味。好きなもの…………仕事の話……?」
「そんなに気になるなら、ワタシにいい考えがあるよ」
「えっ、なになに、どんなイデア?」
振り返ろうとしたアゼムの両肩に、ヒュトロダエウスの手が乗った。何か付与型の魔法か何がだろうか? 盗み聞き用のモノがポンと出てくるなんてさっすがヒュトロダエウス! と、アゼムが思ったのも束の間である。
「えいっ」
「うわッ!?」
結局は物理であった。勢いよく突き飛ばされ、アゼムは抵抗することも出来ずに表に飛び出した。叫びながら現れたものであるから、当然少し先にいた二人の視線がアゼムへと突き刺さる。
体勢を崩して膝をつき、呆然、といった状態のアゼムと、事態を認識するなり苦いものを噛み締めたような顔になるエメトセルク。それから。
「あ、アゼム様だーっ!」
わあっ、と突然歓声をあげて駆け出した女性に、アゼムの肩が思い切り跳ねる。慌てて立ち上がるのもそこそこに、駆け寄った女性はアゼムの目の前で飛び上がらんばかりにはしゃいでいた。基本的に動じないアゼムでさえ、その様子には目を白黒させる。
「あのっ、あのっ、握手してください!」
「えっ? 何これ?」
「わたし、あなたのファンなんです! 覚えてないと思いますが、まだ地方にいた時、母があなたに助けて貰ったことがあって! その後もたくさん噂を聞くからどんどん好きになって、都に出たら絶対会いにいくって決めてました! 議事堂に行っても居ないから訊ねたら『本人を直接捕まえるのは難しいが、エメトセルク様ならあるいは』って。本当に会えるなんて! うふふ、本当にエメトセルク様が言った通り、優しくて面白くて可愛い人ですね!」
「なに? なんて?」
「そんなことは一言も言ってない」
顰めっ面でそっぽを向いたエメトセルクと、よく分からないまま女性に手を握られているアゼムに、ヒュトロダエウスは呼吸困難になりながら物陰から這い出した。認めるなり物凄く厭そうな顔をしたエメトセルクの隣までなんとか近付き、震える手を肩に置く。
「フ、フフッ……キミさぁ、さっきの顔、もうちょっとアゼム本人にも見せてやりなよ」
「知らん」
「可哀想じゃない、……ッフフ、一丁前にヤキモチ妬いてたんだよ、あの子。それが、キミ、あんな顔で話してた内容が、まさか」
「笑うのをやめろ」
ぶんぶん、と女性は放心するアゼムの手を大きく振っている。
「そ、そんな目で見ないで……私……私……」
「これからも応援してます!」
「うう……っ、あ、ありがとう、頑張るね……」
「ワタシも応援してるよ」
「うん……? ありがとう……?」
エメトセルクは深く溜め息をつき、手のひらで口元を覆った。どんな顔をしていたか自覚はないが、ないからこそ対応に困る。ちらりと隣を見ると「知りたい?」と言わんばかりの悪友の笑み。
いや、知ってたまるか。知ったら何かが崩れそうだ。きつく睨むエメトセルクに、ヒュトロダエウスのツボがまた押された。
まだまだ、春は遠い。
