終わりの先まで、さようなら

 天からは煌々と白い光が降り注ぐ。闇の多い深い森と言えど、残った世界の全てに通じる理であるから、覆い茂る緑の隙間から、こぼれた布のように光は広がっている。
 完全に意志まで焼かれた魂ではないとはいえ、召喚者たる身は光を嫌う。他所に比べればマシ、程度のこの森を、わざわざ光の痛みなど知らぬなり損ないと歩き続ける道理もない。エメトセルクは、野営の準備のために走り回っている光の戦士たちを樹の上から見下ろし、欠伸をひとつした。
 眠るのは嫌いではない。機を待つのに適した時間のやり過ごし方だ。正常に産み出された訳でもないこの器には不要なものであったが、眠ることは出来る。
 しばし、世界から目を塞ぐ。

 

 その日も、エメトセルクはひとつのイデアを片手に、眉の間に深い皺を寄せていた。右の手にはふわりと浮かぶ水晶球。刻まれたメッセージを再生する記録機のイデアだ。
 いつだってあいつは一方通行だった。悠久の時を過ごす人間が多い中、互いに忙しなく動く身だ。必ずしも同じ時を過ごせる訳ではない。
 だが、だからといって、毎度毎度その姿の欠片も見せずに言伝だけ残し、通話を可能とするもののひとつも身に着けずに旅立っていくことに苛立たない訳でもない。彼女に与えられた執務室から出てきたエメトセルクは、声もなく息を吐いた。
「やぁ、エメトセルク。今日はどうしたんだい?」
「どうしたもこうしたも、ない」
「アゼムなら、北の森へ行くと言っていたなぁ」
「何故お前が知っている」
 飄々と声を掛けてきた長身の男、……一応、友人と呼べる身か。ヒュトロダエウスは、顎に手を当ててわざとらしく宙を見た。
 アゼム……エメトセルクの目的であった女と、目の前の男は大変に気が合うようで、馬の合う悪友と呼ぶべきか、合流すると大変に厄介で手に負えない。
 この間もイフリータのイデアを貸し出しておおごとにし、それでいて被害も出さずに片付けてしまった。街一つ焼き払うような災害の種をわざわざ呼び出すのに、本来であれば数度は書類を通さなければならない事柄であるが、なまじ創造管理局の権力を持つ男と、遊軍としての権力を持つ女だ。互いに言葉を交わして頷けば、細かい皺寄せは全て周囲に流して解決してしまう。
 話が逸れた。ヒュトロダエウスは面白そうにくつくつと笑っている。
「キミたち、最後に会えたのはいつ?」
「……必要がなかっただけだ。あいつからの用事は、これで済むのだから」
 ぽう、と水晶球が光り、文字が浮かび上がる。それと同時に、聞き慣れた女の緩い声が再生された。『用事が出来たので行ってきます』。何処に、何故、何時まで。力の備わった大の大人なのだから、いい加減怒られずとも残せるようになって欲しいものだ。
 北の森へ。やっと手に入れた行き先は、恐らくエメトセルクが持ち込もうとした用事に他ならないのだろう。委員会で議題に上がったばかりの水質汚染を一体何処で聞きつけたのかと問えば、きっと『だって相談されたから』と何でもない顔で言うのだ。世界各地、どうしてそこまで顔が広いんだあいつは。
 周囲ももう少し考えてほしい。「アゼム」の座に就いたのは、自由過ぎる奉仕活動が評価された故だが、その活動は既に一個人の枠を超えている。
 額の皺をつついて唸ったエメトセルクに、ヒュトロダエウスはひらりと両手を振った。
「会えなかったのなら仕方がないね。キミの仕事もそれが最後だったんだろう? 余計な仕事を押し付けられないうちに帰ってしまったらどうだい?」
「余計な仕事を持ち込む筆頭が何を言っているんだ」
「いやぁ、ワタシたちが善意で動いた結果を、キミが善意で拾っているだけじゃないか」
 のらりくらりと答える男に、エメトセルクはやれやれと首を横に振った。事実、彼の言った通り、これが最後の仕事だ。彼女への用は、委員会の中でも彼女を捉えるのに長けた……と周囲には思われている、エメトセルクに鉢が回ることが多い。
 最近、海の向こうから聞こえる「災厄」のせいで、アーモロートの中も騒がしい。委員会の面々も、押し寄せる議題に帰宅できない日も増えてきた。突如湧いた凪の夜は、確かに物珍しく、貴重なものだった。
 エメトセルクは踵を返し、ひらりと手を振った。ヒュトロダエウスは、静かな笑い声だけを返していた。

 

 人間に上下の別は無いが、それでも座を与えられた人物の家は広い。親やきょうだい、子と共に過ごすのであれば丁度いいものであったかも知れないが、住んでいるのは一人だ。寝るのなど何処でも変わるものか、とエメトセルクは呟いた。
 しかし彼が見上げた一室には、光が灯っていた。自動点灯のシステムが作動したわけでもなく、遠くから既に灯されていた柔らかな光に、エメトセルクは眉を寄せた。扉に手を這わせれば、術式が解けて解錠された音がする。
「おかえり」
 エメトセルクは何度目か知れぬ溜め息を吐いた。
 返事のないこちらを、ひょこりと覗く頭がある。顰めっ面のエメトセルクに、相手は……アゼムは、からからと笑って見せた。
「どうしたの、ご飯出来てるよ」
「お前、何故ここに居る」
「恋人にする態度じゃないな」
「恋人にする態度を、お前が言えた義理か?」
 そう尋ねられたアゼムは、少しだけバツの悪そうな顔をして、向こうから歩いてきた。外で立場を合わせる為の仮面はしておらず、ローブの内側では柔らかい髪がさらりと流れている。どこか幼げな表情が残る女は、少し上にあるエメトセルクの顔を見上げた。
「私は、必要とされれば行くよ。必要があれば手繰るのさ」
「じゃあ、お前がここに居るのは何だ? 私が必要としたとでも?」
 棘のあるエメトセルクの声に、アゼムは胸を張った。首を横に振り、いいや、違うと堂々と言い放つ。エメトセルクは、次の言葉は何だと静かに見下ろしていた。
 アゼムは、手を伸ばした。魔法を編めば汚す必要の無い筈の手は、どこへともなく出掛けていくせいで荒れて、皮が厚くなっている。その手で、エメトセルクの手を取った。節だった男の指を、女の細い指がするりと撫でた。
「私が会いたかった。そろそろ足りなくなるところだったから」
 念入りに、かたちを確かめるように触れる指に、エメトセルクはそっと眉を寄せた。不快な訳ではない。快いと思う心を、目の前の女にだけは悟られまいと思ったのだ。彼女は少し微笑み、エメトセルクの手を自分の頬へと当てた。
「私はひとところに留まらない。求められればどこへでも行く。常に寄り添うことは出来ない。双子の星にはなれない。……けれども、逢うべき時に逢える、そういう星さ」
「…………」
 エメトセルクはそっと指を滑らせた。柔らかな女の輪郭だ。自分より小さい造りをした女が、勇ましく禍根を散らしていく。それに寄り添うなど、こちらとしても御免被る。だからこそ、彼女とは共にあった。
 常に寄り添わずとも、心を交わすことなど易く出来る。……あぁ、確かにコイツは機を知った女だったと、少し前の苛立ちを思ってエメトセルクは唇を結んだ。振り回されるのは好かない。振り回している自覚はないのだろうな、きっと。好かないが、こいつであれば、仕方がなかった。
「次の討滅の目処が付いてね。少しだけ時間が空いたから、きみを補充しに来た。……私と食事を共にして頂けない?」
「淑女の真似事か? 白々しい」
「何でも、水源の荒れは怒り狂った一角獣が原因だそうだ」
 恭しく手を取り、そっと口付けたアゼムの額をぐいと押す。わあ、とわざとらしく声を上げた彼女は、にこにこと花が咲くような笑顔で身を翻した。
「今日は一緒を過ごす時だよ、」

ねぇ、……    。

 

 エメトセルクは、不意に呼ばれたような気がして目を薄く開いた。開くとそこはギラギラと眩しい光の世界だ。太陽もなく輝き続ける空に、影は移動しない。眠りに入った時と同じく影の中ではあったが、青、それから穏やかな光と闇に包まれたあの都市とは、比べようもない。
 さて、英雄様の支度は済んだか、と樹の下を見下ろす。旅の仲間と共に火を炊く後ろ姿が見えた。しかし何だか忙しなく、きょろきょろと周囲を見回している。
 何か探しているのだろうか。小動物を観察するように、エメトセルクが頬杖を突いて視線を向けた時だった。
 彼女は突然に上を見た。上、つまりこちらだ。戦う娘なだけあって、大変に目の良いことだ。一瞬で捉えた彼女の瞳が。
 きらりと瞬くように光るその瞳から、エメトセルクは目を逸らした。
 比べるな。色もかたちも、似ても似つかない。瞼の裏にはいつでもあの日の善き彼女がいる。矮小ななり損ないと重ねても意味のないことだ。微かに奥歯を噛む。
 英雄と呼ばれるアレは、砕けたアゼムの欠片を重ねた生き物だった。魂の色を見間違う筈もない。どこまで薄まってもあいつはどうしようもないお人好しなのだと、突きつけられる現実に彼女の魂を想う。ばらばらに砕かれてなお、使命のように尽くす生を繰り返すアレを、彼女と呼んでたまるものか。
「おーい、エメトセルク!」
 たた、と樹の下まで駆け寄ってきた英雄は、エメトセルクに向かって大きく手を振った。成人した身に相応しくない、やや幼さを纏ったその仕草にも腹が立った。エメトセルクは顔を顰めてみせた。
「うるさい、睡眠の邪魔をするな」
「ご飯が出来たんだよー! 一緒に食べよう!」
「誰が食うか」
「もう作っちゃったよ!」
 はぁ、と溜め息を吐き、額に手を当ててゆるく首を振る。無闇矢鱈な行動力も薄まった筈なのだが、理性も薄まってしまったか。ラケティカの大樹を前に彼女は革製のグローブを嵌め直し、樹の皮に手を付いた。そして、適当な窪みにブーツの先を掛けた。
「おい、来るな」
「エメトセルク、そこまで登るから待ってて」
「来てどうする。まさか私が這い上がったとでも思ってないだろうな」
「なんかこう……すごいアレで登ったんだと思うけど、私には無理だから! びゅんって行かないでね」
 よーし、とよじ登ろうとする英雄を、暁の面々がにこやかに眺めている。割かし日常茶飯事なのであろう。エメトセルクは詠唱もせずに身を空間へと溶け込ませた。現れる座標は、間抜けの後ろだ。
 歪んだ空間を見上げた英雄は、あっ! とうるさく叫んでいる。そして周囲を勢いよく振り向き、こちらをやっと見付けた。人懐こい笑顔がじりじりとこちらを照らしている。
「一緒に食べよう、エメトセルク」
「必要はないんだが」
「食べれないの?」
「可能だが、必要性を感じない」
「食事は交流の元だよ。きみも、私たちを知りたいから来たんだろう? 私も、……その、アシエンを知りたいよ。だから、一緒に食べよう」
 やや宙を彷徨う視線が、理由をこじつける為に多少頭を使ったことを示していた。エメトセルクは、ひらりと手を振った。苔の茂る湿地を、似つかわしくない靴が歩いていく。
「私は皇帝もやっていた身なんだが」
「大丈夫、ナナモ陛下も大満足の調理師なんだから、私!」
 騒がしい足音が、エメトセルクを楽しげに追いかけた。
 二つの足跡が、揃って、残った。

 

 

「どうしたの?」
 落ち着いた声色に尋ねられて、光の戦士は顔を上げた。すっかり没頭してしまっていたらしい。細い指が本のカバーをなぞり、パタンと閉じた。使い込んだ手帳からは、紫黒の栞が頭を覗かせている。
 彼女愛用の手帳だ。旅路を書き込んだそれを眺める姿は、暁の血盟に属していれば、誰だって知った光景だった。彼女が旅を始めてから、第七星暦を迎え、皇都に蒼天をもたらし、紅蓮の解放者となり、そして世界の反逆者を討って、それから。今までの全てが、その分厚い手帳には刻まれていた。
 彼女はたくさんの想いを連れてきた。重たいそれらが、きっと彼女の背を押している。
「ヤ・シュトラ、私、時々考えるんだ」
 彼女は閉じた本の栞を指先で弄った。栞など挟まなくとも、開きぐせの付いたページが何であるか、親しい人間は気付いていた。しかし、賢人はあえて指摘もせず、言葉を待った。
「私の旅の中で、長く対立したアシエンと共に過ごす時間なんて……本当に、一瞬だった。あれで良かったのかな、って。もっと、……もっと、知れていれば」
 道は、違ったかもしれない。
 もしも、あの時に。今を生きるヒトの中に、これを考えたことのない者が居るだろうか。ヤ・シュトラは、色を失った瞳をすっと細めた。視力を失った視界には、少しだけ、周囲よりも濃い彼女のエーテルが映っている。
 エメトセルクというアシエンは、大罪喰いの光を溜め込んで、制御しきれなかった彼女に失望した様子で去っていった。彼の裁定は不合格だった。もしも。道を変える原因はいくらでもある。蝶の羽ばたきですら、遠い未来を変えるのだろう。
「それでも、今はここにしかないわ」
 彼女は、彼女の手で冥王に穴を開けた。幸いと呼べるのだろうか。罪喰いと見まごうほどに輝いて色も見えなかった彼女の、今にも砕けそうだった魂は、もう一人の英雄に支えられて今確かに生きている。少しでも歯車が違えば、辿り着いた答えは違っただろう。
 これで良かったのだと、生きる人間にはそう言うしかない。言うしかないのだ。
「……そうね、後悔する気持ちは分かるわ。けれど、長い月日、彼は彼の世界を負って歩いてきた。あなたも、そうでしょう。どちらかが、諦める必要があった。そしてどちらも、譲れない願いだった。違うかしら」
「ヤ・シュトラ……」
「どのように生きてきても、どんな結末でも、きっと後悔は訪れる。それでも、今を最良と思うしかないわ。それが、生きて選択した者の、責任だから」
 光の戦士は、顔を上げた。そして、小さく微笑んで頷いた。その笑顔は窓の外に向き、失われた。鋭い視線の先では、終末の「塔」が禍々しく光を発し続けている。
「私は、奪ったんだ。彼らの未来を。貰ったんだ、私の未来を。だから、終末なんて、訪れさせない。終わらせてたまるもんか。じゃないと、死んでも死にきれないよ」
 彼女の視線の強さに、ヤ・シュトラは頷いた。これ以上彼女に言葉は必要ないだろう。

 背を向けた賢人を見送った光の戦士は、最後にもう一度、ページを捲った。
 あの日。彼の最期となった、あの日。アルバートの魂を受け取った自分に、彼は驚いた顔をしていた。何を見たのだろうか。
 想像は出来た。第十四の座。星を紡ぐひと。その名を、アゼム。
 けれど、……それだけでは、あの瞳を説明できない気がするのだ。
 瞳が揺らいだ。お前、どうして、ここに。皇帝ソルでも、エメトセルクでもない、ハーデスの顔は、あんな姿をしていたのだろうか。
「     」
 彼が呼んだ「私」の名前を、私はまだ、思い出せない。
 例えば、そう。いつか。星の海で出会えたのならば、その時は教えてくれるのだろうか。

 

 

 

「ねぇ、ハーデス」
 夜、ふと目を覚ますと、アゼムは普段の騒がしさなど鳴りを潜めた様子で、一人静かに窓の外を見上げていた。月の灯りが優しく、窓枠と彼女のシルエットをシーツに写し込んでいた。
 なんだ、と声を返すと、アゼムは軽く振り返った。さらりと長い髪が肩を滑って落ちていく。
「終末が来るそうだよ」
「……最早、それを知らない市民は居ないだろう」
 海の向こうで星が降ったと聞く。創造魔法の暴走で、醜悪な獣が人を食っていると聞く。恐怖は海を渡ってやってくる。逃げ場などない。静かな夜などあといくら数えられるか、そんなことも、知れなかった。
 荒れた手が伸びた。多くの人を救ってきた手だ。ハーデスは自分から迎えて絡め取った。
 彼女は行くのだろう。そんなこと知っていた。アゼムという人間を知っていたなら、誰だって想像のつく話だった。アゼムは薄く微笑んだ。月明かりがその輪郭を柔らかく撫でる。
「私ときみは、永遠にそばにいる星じゃない。でも、愛している。愛しているんだ」
 エメトセルクは、静かな声色で素っ気なく返した。
「知っている」
 アゼムは、満足げに睫毛を揺らした。
 すり、と指の股を擦り合わせる。音のない空間で、心音さえ聞こえそうな気がした。
「きみの瞳は特別だ。どこへ行っても、きっと私を見つけ出してくれるだろう」
「わざわざ私に探させるつもりか?」
「どこにでも飛んでいってしまうもの」
「お前だからな」
「私だからね」
 自由で、気ままで、勝手で、……故に、愛していた。自分とはまるで違うその生き方が、好きだった。
「私も、きみを手繰る。大丈夫、きっと逢えるよ。そういう星だもの。どんなに世界が荒れ果てても、きみは私を見付けるし、私の止り木になってくれるに違いないんだから」
 だから。
 彼女は、――     は、美しく笑った。いつまでも、忘れられない笑顔で。