聴いて、感じて

 その時間の間、やつが大人しく座って、眠らずに耳を傾けていられるものか、不安ではあった。
 活動的という言葉そのもの。一瞬だってひとところには留まらないのが、アゼムという女だ。想像する笑顔はどれもこれも、彼女が動的に走り回って起きるトラブルに付随するもの。同行者としては全く適さないのだろう。それこそ、ヒュトロダエウスなどの方が相応しいはずで。
 それでも。手に入れたチケットを、私は彼女に提示した。楽団が交響曲を奏でる演奏会だ。芸術は、星の生態系を豊かにするものではないのかもしれない。だが、心を震わせるそれは、人が生きるに足る歓びを与えるものだろう。夢見がちな言葉が全く似合わない自覚はあるが、安らぎと興奮を与えてくれる美しさを、私は愛していた。
 愛するものを、共有できたなら。それもまた、歓びとなる。
「エメトセルク、パンフレットだって。大判だけど、本棚は新しく創っちゃえばいいよね?」
「お前の部屋に新たな本棚を創るスペースがあるのか?」
「きみの部屋にはあるだろう?」
 はぁぁ、と溜め息を吐くが、いつもより毒は含められていない。アゼムは今回の公演に合わせて創られた関連イデアの数々を、興味深げに覗き込んでいた。自動で譜面を演奏する再生機器を手に取り、ラッパ形の発音機構に耳を寄せる。人気のイデアですよ、と会場スタッフに微笑まれ、じゃあこれを! と即決していた。
 広いコンサートホールのロビー、沢山のポスターが並ぶ中を、跳ねるようにアゼムが歩いていく。まさか本当に来るとは思っていなかった。彼女の退屈だと、思っていたのだ。
 ロビーを行きかう人々の間で彼女が振り返る。もうじき開演時間だが、焦らずとも間に合うだろう。アゼムが案内図を指さしている。隣に立つと、首を傾げて視線を向ける。
「結構後ろの方だね? ステージから遠いや」
「ああ、反響を計算してあるからな。いい音を聴くには適している。……変わり映えしない光景、お前は目を開いていても微睡みに誘われるかもしれないが」
 お前のためになるべく良い席を押さえた、なんて。伝わりかねない言葉には苦みを混ぜて元通りを目指す。アゼムは目を瞬いて、それからふわりと笑って見せた。
「もし微睡むなら、幸せなひとときだろうね。でも、うん。きみがせっかくくれた一度きりの時間なんだ。……私は、芸術の善し悪しというものは分からないが。今日この日、聴いて、感じて、考えることは、きっと、今後長い人生の中で、何度も振り返りたくなるものになるのだと思うよ」
 ああくそ、らしくない。私はアゼムの手を掴み、歩き出した。アゼムはくすくすと笑いながら後ろをついてくる。慣れたホールを迷わず歩く。
「くだらないことを言った。まずは楽しめ。何の知識もないお前が、ただ思ったことは何も間違いじゃない。……解説を望むなら、いくらでも、付き合ってやっていいが。それは、後の話だ」
 アゼムの手が、ぱっと振り払って、指を掴みなおした。絡んだ体温が、扉をくぐり、ざわざわと期待に囁く音の中を進む。座席の列、番号を確かめながら歩いた。
 手がほどける。脚を避ける市民に会釈をしながら辿り着いた座席に並んで座り、視線は舞台へ。
 光が消える。声が消える。慣れたこの一瞬は、いつだって、今が最高の瞬間だった。