詰めていた議場に、緊急の要請だ、と事務官が慌てて飛び込んできたのと、缶詰にしていた筈の気配が遠ざかっているのに気付いたのは、ほぼ同時だった。
「実験中の暴発により、複数のイデアが同時に展開され、キメラ生物化! 丘陵地帯の環境に異常適合して、元々存在していた風と土と水のプネブマを取り込み、著しく巨大化しています! 近くには集落もあり、このままでは人的被害も……!」
「私がすぐに出る」
エメトセルクは立ち上がり、かぶりを振った。ああ厭だ、と呟く様子を眺めながら、議席に座っていたラハブレアが頷く。
「ああ、恐らく適任だな」
「人的被害が出そうなら、そうなる前に討滅するしかないわよね。……アゼムの方が適任なんじゃ?」
アログリフがラハブレアを振り返った。「アゼム様ですね!」と執務室に向かおうとする事務官を制止し、ラハブレアは余裕の面持ちでエメトセルクに視線を送っている。エメトセルクは小さく溜め息を吐いた。
「伝えなくていい。もう向かっている。私がするのは住民の保護と後の始末だ。……ああ、ファダニエルに伝えておいてくれ。現地環境の修復用に、イデアの手配を頼む、と」
アゼムは事務仕事が嫌いだ。やるべきことがある! と何もかも後回しにして、取り返しが付かなくなるほど溜め込むのが日常茶飯事である。
彼女が現場主義で書類作成に向いていないのはカピトル議事堂に勤める人間であれば誰でも理解しているところで、事務官たちも無理に彼女をせっついたりはしないのだった。甘やかされていると言ってもいい。どうしても彼女でなければ問題の生じる署名関係以外は、目を通されることもなく代理で書類が回されたりもする。
ただ、そうして負担を軽くしようと山は少しずつ積み上がる。また、それらはいつか、片付けなければならないものだ。そんなわけで、一年に一度ほどは執務室に溜まった書類の山の前に彼女を拘束する時間が設けられていた。そろそろ限界だろうな、とはエメトセルクも思っていたのだ。
恐らく彼女の情報網に直接呼び掛けられたのだろう。空っぽの執務室には目もくれず、エメトセルクは現場である丘陵地帯に転移した。
で、現場に来たらこれだ。集落のエーテライト広場に降り立ったエメトセルクは、荒れ狂うエーテルの流れに目を細めた。少し先には、くだんの創造生物が居るのだろう。暴風にローブを煽られながら、住民たちが必死でエーテライトに交感し、繋げられた別集落へと転移していく。
「十四人委員会の方ですか!?」
エメトセルクの赤い仮面を認めた住人が、フードを抑えながら声をかけてきた。そうだ、と頷くと、彼は少し表情を明るくした。
「よ、良かった!」
しかしそれは一瞬で薄く曇る。どこか言いづらそうに、住民は口を開いた。
「実は私、創造の現場付近に居まして、その、アゼム様と思しき方に逃してもらったの、ですが……」
思しき。エメトセルクは言わんとすることを察した。
アゼムは旅をする。十四人委員会に属する人間として、そもそもその知名度は高いが、直接的に関わっている分、座としての彼女よりも彼女個人を認識している一般市民が非常に多い。
「あれは本当に、アゼム様、だったのですか……?」
よく笑い、泣き、表情をくるくると変える明るい彼女を知っている人間であれば、より一層衝撃を受けるだろう。だがしかし、アゼムを騙るなど出来る人間が居るはずもないのだ。あんなのを真似するやつが居てたまるか、といったところでもある。
エーテライトを中心に、持ち込んだ防御陣を展開すれば、それは瞬く間に集落全体を覆う。ぴたりと凪いだ内側から、エメトセルクはエーテルが騒がしい方面を眺めた。
三回、空が光った。少し遅れて、重く腹の底から響くような爆発音が三発。住民は驚いた様子で耳を塞いだ。エメトセルクは短く答えた。
「向かったのが誰であれ、集落に被害は及ぼさない。気にせずに行け、始末は私が付ける」
詠唱破棄のフレアで、あれだけの爆発音を響かせるのがアゼムでない訳がない。破壊魔法においてはエメトセルクの方が安定して放つことが出来るが、冥界でもないどこか別の空間からエネルギーを奪っているように、ここぞと言うときにはあり得ないほどの威力の魔法を放つ生き物が、アゼムだ。
天候を操る獣が入り混じっているのか、周囲には風が吹きすさび、ごおごおと音を立てている。
元の形状がわからない程、増殖を繰返して膨れ上がったキメラ生物は、集落から少し離れた位置に縫い留められていた。光の大剣がナメクジのような胴体を深々と貫いている。知恵があるのか、敵は分裂した職種で光の杭を引き抜こうともがいていた。
目を凝らすまでもなく、見付けた。小山のような敵の目の前に陣取った彼女からは、眩いエーテルの光が激しく漏れ出ている。彼女は自らの前に呪術用の長杖を突き刺して、詠唱をしているようだった。手を広げた彼女の上空が暗くなり、雲が割れ、巨大な隕石の概念が喚び出される。それは真っ直ぐに、小山へと、落ちていく。
着弾の衝撃で大知が捲れ上がり、強い突風と弾ける石のつぶてに、エメトセルクは魔法障壁を貼って凌いだ。噴き出すエーテルが守っているから、彼女も無事だ。まぁ、多少当たったとしても今の彼女は毛ほども気にしないのだろうが。
土煙の中に敵の影が沈む。が、暴風は止まっていなかった。長い詠唱の反動で杖に身体を預けたアゼムの身体を目掛け、触手が勢いよく振るわれた。咄嗟に守るか、ぴくりと指先が動いたのだが、エメトセルクは黙って握る。
制限を解除したアゼムとの共闘は得策ではない。他人の立ち回りを認識させること、それこそが彼女の動きを鈍らせる。何も考えず、ただの目の前の敵を斃すことだけに集中している。一人立つ彼女の背中は、誰が守るよりも、非常に残念なことだが、安全なのだ。
太い触手に薙ぎ払われ、軽い身体が宙を舞った。しかし空中に展開した壁に着地し、反転、生成した槍で敵の目のひとつを貫く。けたたましい悲鳴が大地を震わせるが、彼女は全く動じずに敵の身体を踏み付けて飛び退き、距離をとる。
彼女は口の中に溜まった血を雑に吐き捨てた。その顔面も身体も傷だらけで、たらりと垂れた血は癒やしもせずに袖で拭うから、赤黒く乾いて肌に貼り付いている。
にやぁ、と口元が笑うのに、彼女は気付いているのだろうか。きっと何もかもが無意識だ。爛々と輝いた目は、見開かれて目の前の存在しか見えてはいない。もう少し前に書類を手伝ってやっても良かったか、と平和に荒れた執務室に思考を遣るのはエメトセルクだけだ。
伸びた触手が、彼女の立つ位置へと鋭く刺さった。しかし、そこに血溜まりは出来ない。彼女の身体は、既に空だ。天高く舞い上がったアゼムの顔の前に、座を持つ者の象徴である、赤い紋章が浮かび上がっていた。
多重に展開した魔法陣が、予告するように敵の胴体を貫いている。宙でエーテルが煌いた。そして、星が降る。
空中の陣による加速を得た彼女の軌跡が、流星の尾ように残った。一瞬遅れて衝撃波が拡がり、中央に位置していた山が崩れ、光になって散っていく。
暴風と土煙が収まった後、クレーターの真ん中に立っていたアゼムの手から、槍が零れ落ち、散る。がくん、と膝が折れ、小さな身体は気が抜けたようにべしゃりと前方に倒れ込んだ。
エメトセルクは、そこでやっとアゼムに近付いた。丘はひび割れ、降った星がいくつも穴を開けている。生えていた青草は、熱波によって焼け焦げ、白く乾ききっている。焦土と言うほかにない。
とりあえず、アゼムの傷の具合を確かめる。エメトセルクはアゼムの身体を仰向けに返した。指一本動かせない、といった様子のアゼムだが、その目だけは煌々と輝いていた。
「ねぇ、きみ、いい依頼を知らないかい」
「黙っていろ」
肋がいかれているようだ。この状態のアゼムに痛む場所を聞いたところで「そんなのないよ!」と言うに決まっているので、エメトセルクが確認するしかないのだ。治癒は専門外なのに、と嘆きつつも、最低限の確認と治療は出来るようになってしまった。この女のせいで。
広げた手を翳し、治癒術を唱える。ミシ、と鳴るのは骨の位置の戻るが故の音だ。体内から響く音を気にも留めず、アゼムはエメトセルクに手を伸ばした。
「エメトセルク、私まだ、足りない」
「残念だが今日は帰還だ。書類さえ片付ければ旅はし放題だぞ、良かったな」
「だいぶ頑張ったよ私。褒めて」
この頑張ったは、討滅にかかるものではなく、書類仕事のことだ。これほどぼろぼろになる単独討滅は、彼女にとってストレス発散でご褒美に過ぎない。エメトセルクは手を伸ばし、土を浴びた髪を優しく梳いた。アゼムはごろごろと喉を鳴らす猫のように目を細めた。
彼女の伸びた手が、エメトセルクのローブのフードを下ろす。そうなれば、要求されることは分かっていた。なんとか次の戦場を諦めさせたとて、彼女の昂った神経は鎮まらないのだ。落ちる手がローブの胸元で止まる。
「キスして」
エメトセルクは溜め息を吐いた。
「エーテルなら帰ったらくれてやる。医療院のベッドの上でな」
「やだやだ、きみのがいいの! すっごいムラムラする! 今すぐしたい! 夜も分かってるよね!? ねーねー、エメトセルクぅ」
彼女の戦闘意欲はそういった欲と紙一重なのか、抑圧のあとに暴れた彼女を諌めれば、周囲の状況などお構いなしにエメトセルクを求めるのだった。怪我人に盛る趣味はない、と毎度突っぱねているのだが、一向に学ぶ気配がない。
エメトセルクは舌打ちをして、アゼムに覆い被さった。うるさく騒ぐ唇を塞ぎ、霊極のエーテルを流し込む。アゼムの両手がエメトセルクの頭をかき抱いた。
その手の力は、少しずつ緩み、やがてぱたりと土に落ちる。
下手な鎮静魔法は弾かれてしまうので、黙らせるには結局これが一番楽なのだ。すうすうと健やかな寝息を立て始めたアゼムの背と膝裏に手を通し、抱え上げる。
何年かに一度は遭遇する、リミッターを外した彼女の後始末。エメトセルクは嵐が終わり、晴れた空を見遣った。
今回も、どうしてこうなるまで放っておくんだ、と医療従事者から詰問されるのは、アゼムではなく、エメトセルクなのだろう。
エメトセルクだって、止められるものなら止めている。仮にも恋人なのだ。傷付いた姿など、誰が好き好んで見たいものか。しかし、普段でさえ理性の枷で抑えられる生き物じゃない。タガが外れたこいつを、アーテリス上の一体誰が止められると言うんだ。
はぁ、と溜め息が漏れる。
せめて恋人に血の味を覚えさせるな。今回も聞き届けられないだろう説教の文言を浮かべながら、エメトセルクは転移魔法を発動させるのだった。
