寝台の中で、寄り添っている。微睡みが訪れ、夢に誘われるまで。意識がはっきりしている少しの間、手のひらで体温を確かめるのが好きだった。
抱え込んだ彼女もそうであるらしい。仮面のない顔が、エメトセルクの胸に埋められている。細い指が、男の腕を辿り、手に触れた。基本的に身のほとんどを隠して過ごす人間にとって、肌と肌との接触は淡く、特殊だ。すり、と優しく手の甲同士が触れ合ったあと、柔らかく指が絡まった。
剣を握るせいで、お互いに少し皮は硬い。熱を分け与えるように、じとりと触れては、より多く触れ合える角度を探してずらしあった。寝室に吐息が零れ落ちる。
アゼムはエメトセルクの腕の中で、くぐもった声を上げた。
「……エメトセルク」
なんて声をしてくれてるんだ。その声は少し掠れ、熱に浮かされている。どくり、跳ねた心音が聞こえただろう。アゼムは一層強くエメトセルクの胸に額を擦り付ける。
「もっと、触れたい。溶けてしまいたい。最近ずっと思ってるんだ。もっと、深く、きみと、……って。きみのことばかり考えて、胸の内側がぐちゃぐちゃになる……っ」
この距離は既に、善き恋人にとって一番深い場所である。素肌を触れ合わせ、毎夜心音を聞かせて眠る。それ以上に、求めるということ。それが表すものは、つまり。
エメトセルクは身を起こした。戸惑ったように顔を上げるアゼムの肩を押し、半分転がしてやる。仰向けになった彼女に乗り上げた形に、エメトセルクの髪が肩口からはらりと落ちて、カーテンのように垂れ下がる。
隙間から漏れた月光が、細く女の顔を照らしていた。
「それは、……したい、ということか」
性行為を。直接口にするのははばかられて、少しだけ濁した。アゼムは丸い目でエメトセルクを静かに見つめている。
性行為。番となった人と人が、最後に辿り着くところ。子を成すための儀式。
人も生き物である以上、性欲というものは存在する。しかし、人と人は、言葉を尽くし精神によって繋がることが尊いとされている。性欲は生物としての根本的な欲求であり、善良な人が突き動かされるべきものではない。たとえ恋人同士であっても、子を成す準備が整うまでは致さないというのが、世間一般の常識だった。
自在に創ったり消したりできる創造生物とは訳が違う。人のそれは特別だ。子を成したら最後、血というどうやっても逃れられない楔で結ばれる。不可逆的な愛の印が生じるもの。
それを、こいつは、私と。
エメトセルクの視線を前に、アゼムは躊躇ったように唇を震わせた。一瞬瞳が伏せられる。けれど、本当に一瞬だった。すぐに開いた瞳は、強い視線でエメトセルクを射抜いた。こくん、と小さく頷く。
「……したい。おしえて」
ぞくぞくと、喜びがひた走った。湧き上がる感情を無理矢理に押さえ付け、ひとつ唾を飲み込み、息を吐く。エメトセルクは、アゼムの頬に左の手を添えた。小さな輪郭を確かめるようにするりと撫でると、アゼムはうっとりと目を細める。瞳だけで語っているようだった。好きだ、愛しい、愛している。
身を屈め、唇を重ねる。触れ合った瞬間に、ぴくん、と身体が跳ねるのが可愛らしく感じた。彼女の緊張はすぐに落ち着き、穏やかに触れ合いを受け入れてくれる。
手入れもろくにしていないだろうに、しっとりと柔らかな感触に胸が踊った。手よりも慎重に、角度を探って重ね合わせる。愛する人との接触は、たまらなく気持ちがいい。アゼムの手が、エメトセルクの背に回った。するり、肩甲骨を戯れに撫でる手が、もっと、とねだっている。
ならば、応えてやるのが筋だ。溺れるのもやむを得ない。エメトセルクはアゼムの輪郭を包み直し、唇の合わせをちろりと舌先でつついた。びく、とアゼムが驚いたように固まる。目を開いた気配がしたので、エメトセルクも少し開いた。間近で見つめた美しい色は、こわごわとエメトセルクを覗いていたが、ゆっくりと瞬きをして見せると、ゆるく力を抜いて、再度目蓋に隠れていった。薄く開く合わせに招かれ、舌を差し入れる。
甘美だ。粘膜の触れ合いに、感情を掻き立てられている。どう考えても彼女は初めてであるのだから、男であるエメトセルクが制御しなければ怖がらせてしまうだろうに、すぐにでもがっついてしまいたくなる。ああ、これはいけないものだ、と痺れた脳で呟いた。それでも、欲しいと願ってしまう。本能であり、精神の本質による、欲求。
彼女の内側を侵食していく。歯列を舐め、奥で縮まっていた彼女の舌に問いかけるように軽く触れる。エメトセルクの背に添えられた手が、震えていた。きゅ、とローブが掴まれる。すぐに意図するところは理解したらしい。おずおずと差し出された舌を絡めとり、表面を擦り合わせる。直接的な快楽が背筋を駆け抜ける。
「っふ、あ、……ぁ、ん、う……」
未知の快楽に流されようとしているのは彼女もそうだった。舌を絡めているだけで、鼻に抜ける甘い声が漏れている。絡めた舌を吸い上げると、びくびくびく、と彼女の身体が跳ねた。もっと。もっと、深く。
「……っ、は、ぁ……っ」
息の仕方が上手くいかないらしく、彼女は一瞬の合間に空気を吸い込んだ。それでも長く奪うような口付けに、物足りなくなったらしい。とうとう物理的に訴えるべく、べしべしと背中が叩かれる。おおよそ色気のない制止の仕方がいっそらしくて、エメトセルクは小さく笑いながら唇を離した。
はぁ、はぁ、と大きく肩で息をする。てらてらと、唾液に濡れた赤い唇が光っていた。瞳も、涙を溜めて煌めき、頬も内側からぽってりと赤く色付いている。どこもかしこも、夜に飾られて愛おしかった。
「……苦しいか?」
囁くと、アゼムは赤い顔で首を横に振った。
「息、上手くできない、けど。……それより、きみのこと、好きだって気持ちがどんどん膨れ上がって、嬉しくて、幸せ、で……。もっと、したくなる。ほしく、なっちゃう」
同じ気持ちだ。満たされた心地で、エメトセルクは吐息で笑った。
それにしても。アゼムの座は、他の座よりも肉体労働が多く、動き回ってばかりだ。ほとんどひとところに留まらない姿でこそ、アゼムらしいと言われるほどに。そんな彼女が、一時的にでも、我が身を気遣って立ち止まる暮らしを認めてくれるなんて。
どうせ彼女が旅を止められる筈などなく、子に母が必須でなくなるや否や、外に飛び出していくのは目に見えているが。愛の結晶を人として育てるのに、いくら苦心させられても構わないと、エメトセルクは思っている。今はエメトセルクの手元に何も残していかない彼女が預けていってくれるなら、それが幸せでないはずがない。
エメトセルクは頬を優しく撫で、喉元を辿り、ローブの合わせに手を掛けた。唇を首筋に触れさせて、軽く吸い上げる。これは、私の女だ。赤く綺麗に咲いた花を舐めると、アゼムがくすくすと笑って身をよじる。
落とす溜め息は、幸福の音をしている。
「お前が、私との子を望んでいただなんて、……信じられない心地だ」
いつかはこんな日が来てほしいと願ってはいたが、まさか……。と、噛み締めるようにこぼしたエメトセルクは、不意に、何の反応も示さないアゼムに違和感を覚え、顔を上げた。
「…………?」
「…………こども」
ぽつん、とアゼムが呟いた。その顔は、……一言で言い表すなら、「無」だ。
とてつもなくいやな予感がした。
「……アゼム」
「どうして急に、子供の、話、なん、て…………」
エメトセルクは外しかけたローブの金具を元に戻した。むくりと身を起こし、真剣な顔になって思考を始めたアゼムを見下ろす。
「…………一応念の為に聞いておくが、これから何をしようとしているかお前は理解しているか?」
アゼムはちら、とエメトセルクを見上げ、頬を染めて眉を下げた。そういう顔をするな馬鹿。エメトセルクは内心で唸った。
「きみと、いっぱい触れ合う、コト……」
「いや、目的の話だ」
「目的……? きみといっぱい愛し合いたい……かな。ちょっと、何言わせるのさ」
どうにも曖昧だ。対象的に、疑惑はどんどんと輪郭をハッキリとさせていく。
昂ぶった気分を落ち着け、エメトセルクは低い声で訊ねた。
「…………セックス、という単語に聞き覚えは」
「……性別?」
きょとん、とした顔で首を傾げたアゼムに、エメトセルクは吐き慣れた溜め息を、どこまでも深く、長く吐いた。
(こいつ……行為の意味を……何も知らない……!!)
「ちょ、ちょっと、急にどうしたの? 続き……して、くれないの……?」
慌てた顔のアゼムが手を伸ばしてくるのに、エメトセルクは無視もできず掴んだ。手と手の接触に昂ぶる感情もあるが、こいつにそんな意図はないのだ。情けない。
頬を上気させていたアゼムが、不安げに眉を寄せる。
「……子供の作り方を、知っているか」
エメトセルクの低い声に、アゼムはぱっと目を開き、頬を膨らませた。
「もう、私そんな子供じゃないよ。キャベツ畑から拾ってくるとか、コウノトリが運んでくるとか、そんな風に思ってなんかいない!」
堂々と答えたが、正解は既に出ているので、何を口にしようが十割の確率で不正解だ。分かっていて視線で促すエメトセルクに、アゼムは自信に満ち溢れた顔でどやりと笑った。
「恋人同士が、創造魔法で人の原型を作って、女の人のお腹に入れて育てる!」
……なるほど、なるほど。妊婦という存在にきちんと繋げてきたか。偉いぞ。エメトセルクは遠い目をした。
分かりきっていたことだが、こうして触れ合う先に待つ結果のことなど、知らないから、考えることはなかったのだ。子を望むほど愛してくれていると思ったのは勘違いで、文字通り「深く触れ合いたい」欲求だけで述べたのだろう。
「……たとえ人の形を創ったとて、魂が宿ることはない。自在に命を紡ぐのは人の特権だが、魔法にも成せない御業はある」
「え」
ぱちぱちとアゼムが目を瞬く。
「今しようとしていた『深く交わること』こそが、本当の『子を作るため』の方法だ」
「えっ、あっ、えっ!?」
「どこから説明すればいい? おしべとめしべについてからか?」
「なんで人間でおしべとめしべの話するの!?」
根本的な理解がなされていないことを理解して、エメトセルクは額を押さえた。一応冗談だったのだが!
手をほどくと、アゼムはもぞもぞと動いて身を起こした。座って向かい合い、文字通りの座学の始まりだ。つい先程まで行為に及ぼうとしていた二人とはとても思えない。
「おしべから出る花粉が、めしべに触れると、受粉して実をなす」
「うん」
「ヒトも同じだ」
「えっ」
目を真ん丸くして、口元を手で覆う。本当に、そこからか……! もはや期待は毛ほどもせずに、訊ねかける。
「……ヒトの男女の性差については?」
「おっぱいがあるのとないのと、ちんちんが付いてるのと付いてないの!」
「……まぁ、いいだろう」
「すごい上からだなきみ」
「そうもなる……。……男性器を、女性器の中に入れて、種を蒔く。すると、子ができて、妊娠する」
「えっ、すごい痛そう……」
「確かに、初めては痛いと聞くが……」
「慣れたら痛くないってこと?」
「……らしい、な」
「すごいな男の人って」
「……ん?」
「種出すとか色々裂けちゃいそうだけど……」
「そっちじゃない。痛いのは女の方だ」
「えっ」
「種というのは、機能の問題だ。実際は液体で、むしろ蒔くとき男はそれなりの快感を得る……」
何を言わせてくれるんだ。エメトセルクは苦々しく顔をしかめた。アゼムが「はえ〜……」などと間抜けな感嘆の声を上げながら視線を降ろすのに、エメトセルクは座り直し、ローブをくつろげる。……期待をしたことを、絶対に悟られてはならないだろう。
「エメトセルクは、それをしたら気持ちいいの?」
「そういう話じゃない」
「さっきの、口の中舐め合うのよりも、気持ちがいい?」
「性行為はそういう意図でするべきものではなくてだな」
「誤魔化すってことは、そうなんだ……」
しみじみと呟いたアゼムに呻く。なぜそういうところばかり聡いんだ。行為の意味も、エメトセルクが期待したこともまるで分かっていないくせに。
アゼムが顔を上げる。じり、と近付いた彼女に軽く後ずさるが、やたらと俊敏な手がローブをがっちりと掴んでしまった。そのまま足に跨ったアゼムが、エメトセルクの顔を覗き込む。真剣そのものだ。
「私、きみを気持ちよくしたい。セッ、クス? したい」
「駄目だ」
「……さっきまでしようとしてたのに?」
「それは、お前が、子を望むほど私を……やめろ、情けなくなる」
「確かに、まだ出来たら困るけど」
エメトセルクの手に触れようと、アゼムが手を伸ばしてくる。避けようとしたものの、不安定な姿勢にバランスを崩し、倒れ込んできたせいでむしろ距離は詰まってしまった。
胸の上に貼り付いたアゼムが、間近から瞳を覗き込んでくる。逸らして押し退けることも出来ず、エメトセルクは黙り込んだ。
ほのかにアゼムは頬を染めた。
「ほしいとは、思ってたよ。私はアゼムだし、きみはエメトセルクだ。子供ひとり育てるだけでも大変だというのに、私は何人かはほしいと思ってたし……そんなの、役目を終えてからじゃないと難しいな〜って思ってたわけ。だから、その、ね? 子供がほしいくらいきみが好きっていうのは、何にも間違ってない」
ぐ、と堪えきれなかった呻き声が漏れる。アゼムはそんなエメトセルクを愛おしそうに目を細めて見つめている。
「さっき、唇くっつけてるとき、幸せで、嬉しくて、なんだか苦しいほどで、最高の気分だった! ねぇ、あれはまだ序の口なんでしょう? 私、もっときみに触れたい。そう考えると、私、妙にお腹の中が切なくなってきちゃって……でも、悪くない、気分なんだ」
ゆら、と跨った彼女の腰が揺れているのに気付いて、エメトセルクはアゼムの肩を掴んだ。人の上で無意識にそういうことをするな! 気力を振り絞って引き剥がすと、動けないようにシーツの海に沈める。相変わらずよろしくない体勢ではあるが、彼女の思うままに動かれるよりは遥かにマシだ。アゼムは期待したように頬をさらに染めた。首を大きく横に振る。
「子が出来るのは困るだろう。我儘を言うな」
「じゃあさ、デキないようにすればいいんじゃない?」
「…………はぁ?」
アゼムは、委員会で決まりかけた事案について「じゃあ解決してくる!」と独断で飛び出そうとするときの顔をしていた。突破口が見えた! という顔である。多くの場合、その突破口は褒められた手段でない。眉を寄せたエメトセルクに、にっこりと微笑みかける。
「私の中に種を蒔くと妊娠するんだろ? 種が出そうになったら外で出せばいいんじゃない?」
「……駄目だ、挿入した時点で出ている体液でも、妊娠の可能性があると聞く」
「じゃあ、入れる直前までくっつき合うというのは?」
「危険性は、確かにないが……」
「やった!」
「私が」
エメトセルクは目を逸らし、軽く息を吐いた。
「……煽られたら、止まれるか分からない」
アゼムは、ぽかん、と口を開けたまま固まり、それから両手で顔を覆って身をよじった。ぷるぷると震えている。やめろ、恥を忍んで告げているんだぞ。睨むエメトセルクをよそに、震えた塊が、うああ、と何やら呻き声を上げて悶えている。言葉にならないらしい。
「愛する相手に種を付けたいのは男としての本能だ。人は本能に支配されてはならないが、それでも、理性というものには限界がある。万が一を考えるなら、そもそもするべきではない。肉欲にかまけて身体を繋いで、意図せぬ形で子を作るなんておおよそ善き人の代表らしい行いとは言えない。お前にも私にも立場というものがあるわけで」
「エメトセルク……!」
早口で言い訳をするエメトセルクの首に、両腕がぐるりと巻き付いた。強く抱き込まれ、崩れそうになるのを耐えてアゼムの背を逆に支える。そういう人形か何かのように引っ付いたアゼムが声を上げた。
「しよう。セックス。しよう! したい! きみと! セックス!」
「覚えたての単語を連呼するな、子供か……っ! いいか、外でその単語、絶対口にするなよ」
「ヒュトロダエウス!」
「はぁ!? なんで今あいつの名前が出てくる!」
アゼムがずる、と腕から滑り落ちた。シーツに倒れ込んだアゼムは、やたらキラキラとした目でエメトセルクを見上げている。エメトセルクは一応聞いてやろう、と会話を明け渡してやる。ふふん、と笑った指先が、エメトセルクの鼻をつついた。
「私達は友達に恵まれている! 彼ならきっとなんとかするイデアを知ってるよ」
「なんとか、って」
「まぁ、方法はわかんないけど……、大抵の創造物のことは頭に入ってるじゃない?」
「聞くのか、あいつに」
あいつに。それを知るなり、目を輝かせて「どういうことかたっぷり聞かせて!」と食い付いてきそうな、あいつに。あからさまに厭な顔をしたエメトセルクに、アゼムはにっこり笑って頷いた。エメトセルクは目を逸らす。
「……そんな、イデアを用いてまで、子を作らないようにして、交わるなど……。そんな、性欲に呑まれるような行為、人らしくは」
「…………したくない?」
アゼムがぽそりと小さな声で訊ねる。その片手はエメトセルクのうなじにかかっており、素肌をくるくると撫でている。
ざわめく感情は。もちろん、ある。単純に愛し合いたいという欲求。それは恐らく、物理的に与えられる快楽よりも足を取って、深く飲み込むだろう。触れたい。触れられたい。深いところまで晒し合いたい。でも、それははたして許されるものなのか。何も言えず、黙り込んでいる。
「そっ、かぁ」
そんな恋人に、寂しそうに呟く赤い赤い唇を見て。エメトセルクは荒く息を吐いてから、覆い被さり塞いだ。んん、と驚いたアゼムが声を上げる。散々好きに吸ってから、名残惜しく下唇を舐めて、唇を離した。アゼムはぱっちりと見開いた瞳でエメトセルクを見上げている。
ふふふ、と肩を震わせたアゼムが、嬉しそうに目を細めた。
「よしわかった、明日会いに行ってくる」
「それはやめろ」
「なんでぇ」
「……私が行く」
「きみが!?」
この、全く意味を理解していない女を派遣したら最後、他人には聞かせるべきでない心情の部分まで全部聞き出され、奴の娯楽にされてしまうに違いない。確実に事故が起きる。妥協案である。アゼムは感動したように唇をむずむずとさせ、エメトセルクのローブの胸元に額を擦り寄せた。
「……行かなかったり、あるのに持ってこなかったらバレるからね……!」
「言われなくても分かってる」
そっと頭を抱いてやり、アゼムの肩を押してベッドに戻らせると、エメトセルクは身を起こした。ベッドから降りようとした時、くん、と布地が引かれる感覚に振り返る。
「えっ? どこ行くの?」
「どこ行くって……、ソファで寝る。お前は大人しくここで寝ろ」
「嫌だ!」
「お前、この状態で共寝出来ると思ってるのか?」
細かくは言わないが、あらゆる意味で。
しかしまぁ、細かく言わないとアゼムが察するわけがないのである。
少し潤んだ瞳が、エメトセルクに縋っている。う、とエメトセルクは声を漏らした。
「私……きみがいないと寝られない……っ」
「旅で散々どこででも一人で寝ているだろうが!」
「同じ屋根の下に居るのに離れるなんて無理だよぉ! 私をこんなふうに育てたのはきみなんだからね! 責任とってよ!」
極めつけには。眉を寄せて、まるでか弱い生き物のような顔をしてトドメを刺しに来る。
「お願い。……お願い、ハーデス……っ!」
当然のように胸に抱かれて三分後には夢の中に旅立ったアゼムをよそに、エメトセルクは一睡も出来なかった。
「……子の出来ないように、性行為を、したい」
ゆっくりと復唱する親友に、エメトセルクはもはや何の表情も作らなかった。無表情で、静かに頷く。
「あのハーデスが、そんなことを言い出すなんて……!」
ヒュトロダエウスは予想通り、仮面の下で目を感動に煌めかせた。両手の拳を握り、前のめりになって叫ぶ。
「そんなの、とっても素敵じゃない!」
ああ、旧友がそれなりの立場にある男で良かった、とエメトセルクは思った。わざわざ白い仮面を付けて「ハーデス」として訪ねた時点で、ヒュトロダエウスは何か察知したらしい。人払いをした局長室に案内し、ゆっくりしていけと常備している中でも特上の茶を淹れた。美しい紅色は、手を付けられずに湯気を立てている。
「いやぁ、ワタシ感慨深いなぁ。彼女とキミがそこまで進んでくれるなんて、本当に幸せな気分!」
「……お前は赤の他人だろうが」
「親友同士のそれなんて祝うに決まってるでしょ! しかし、本当に、あのハーデスが、避妊具のイデアを求めて来るだなんて……」
口元に手を当てて、まじまじとエメトセルクを覗き込むヒュトロダエウスに、エメトセルクは腕組みをして目を逸らした。
「……軽蔑したか。子も成さないのに淫らな行為に及ぶなど、世間一般では忌避されるべき行動だろうな」
「……フフ、……フフフっ……!」
ヒュトロダエウスは俯き、堪えられないように肩を震わせた。何がおかしい、とむっとした顔で睨んだエメトセルクに、目尻を軽く拭いながら顔を上げる。
「キミは、それが悪いコトだと思っていたわけだ」
「……少なくとも良いことではない」
「イイコトだと思うよ、ワタシは」
「言葉遊びをしているんじゃないぞ」
「いいや、良いことさ。キミ、すごい一大決心って感じで打ち明けてくれたんだけどね……?」
フフッ、とヒュトロダエウスはまた笑う。仮面の下で眉間に皺を寄せるエメトセルクに、指を一本立てて見せた。
「避妊具を着けて行為に及ぶのは、世間一般で行われているコトなんだよ」
「……は?」
「いや、うん、表立ってそうすると口にするのは、一応よろしくないことなんだけどね。でも、それはそれとして、恋人が出来たら愛し合いたいのは人の純粋な欲求なのさ」
「…………そんなの、聞いてない」
「まぁ、ほら。隠されてる話だからね。キミに、ッフフ、猥談振るような勇気のある人は、なかなか……、フフフ……っ」
エメトセルクは長く溜め息を吐いた。思い悩んでいた長い長い時間は何だったんだ。それこそ、初めて欲を抱いたときから、悩み続けていたというのに。
「ニーズがあるから、避妊具の類も結構創造が盛んな分野だったりするんだよ? そりゃ、声を大にしてワタシが創りました! なんて言えないけど、営んでいるうちに改良案は出てくるものらしくてね。一通り見ていく?」
「…………お前は、どう思う」
「うん? うーん……アゼムならエーテルに反応して光るやつとか大笑いしてくれると思う。あとは味付きとか?」
「イデアの話じゃない」
「それは失礼」
「……性欲で繋がり合うのは、理性と精神で生きるべき人にあるまじき行為じゃないのか」
エメトセルクの言葉に、ヒュトロダエウスはひらりとまつ毛を揺らして視線を上げた。口元に手を当て、ふむ、と考え込む。やがて、形のいい唇は綺麗な弧を描いた。
「本来、性行為は優秀な遺伝子を残すためのシステムだ。平たく言えば交尾なわけでしょう? それに愛情という意味を見出すのなんて、人くらいのものだと思うけど?」
エメトセルクは、ヒュトロダエウスが創り出し、机に滑らせたクリスタルを手の中に隠した。苦々しい顔をした友人を見て、ヒュトロダエウスはとびきりの笑顔を見せる。
「お幸せに。良い夜を!」
結局、迎えた夜はしっとりとはいかず、初めての体験と感覚に混乱して叫んだり暴れたり泣いたりする猛獣を相手に相当手間取ることになった。エメトセルク自身もそれに煽られて、四肢を押さえ付けて欲を叩き付け、コトに及んだわけで。これが人らしい行為とは、と一瞬エメトセルクは思い悩んだのだが。
シーツにくるまって、熱い息を吐きながらぐったりとしていたアゼムが、ゆっくりと視線を持ち上げて、ふにゃりと笑った。
「……ハー、デス」
それはありったけの感情を混ぜ込んで煮溶かしたような甘い響きをしていて。
幸せな、良い夜であったことだけは、否定しうるものでないと理解をしたのだ。
