遥か遠く、二人だけの

 それを聞いたとき、私は耳を疑った。とある職員が、「やっとか」なんて言葉を漏らしたのに、内心かなり驚いていたのだが、他の面々はそれに同調するように頷く。どうして。
 十四人委員会に所属されている、アゼム様とエメトセルク様が、交際を始められたらしい。
 どこで誰が付き合おうが個人の勝手であると思うので、十四人委員会の、という枕詞にはあまり意味を見出さない。かと言ってそれは全員に共有された価値観ではなく、アーモロートにおいて彼らの名前を知らない者は居ないわけだから、噂が一瞬で広まるのもむべなるかな、といったところだ。
 それでも私がそれを聞いてとある感情を持ったのは、彼らが委員会の職責に就く人物だからではなく、彼らが彼ら個人であるからだ。
 彼らは、私の働いている創造物管理局の局長、ヒュトロダエウス様の友人である。付き合いはとても長いようで、交友関係の広いヒュトロダエウス様にとって、とても特別な相手であることは誰が見たって明らかだ。いつも微笑みを絶やさない方であるけれど、彼らと居るときは本当に楽しそうで、見ていて心が和む。
 でも。私は仮面の下で密かに眉を顰めた。この人たちは、局長の気持ちを考えないのか。
「あのアゼム様だものね、彼くらいじゃないと釣り合わないよ」
「エメトセルク様にとっても、アゼム様のような人が丁度いいと思うな」
 この和やかな会話の輪を、乱すようなことをあえてする必要もない。私は口をつぐみ、そっと必要としていたクリスタルを手に背を向けた。
 局長とアゼム様、エメトセルク様は、よく一緒におられるから、三人セットでエーテルを記憶している人も多いだろう。なんでも、他の二人がまだ座で呼ばれていない頃からの友人らしい。きっと、三人で居ると丁度よいのだろう。男女が入り混じったメンバーで、長く続いてきたのだから。
 しかし、私は少し思っていたのだ。局長はきっと、アゼム様のことを好いているのだろうと。
 局長は素晴らしい人だ。よく街中をふらりと歩いていることがあって、エメトセルク様からは仕事をしろ、などと言われていることがあるが、それは市井をよく見て、新たなイデアに触れるための行為に違いない。
 彼は、特別な目を持っている。人の身体に眠る魂そのものや、空間に敷かれた透明な術式を読み解いてみせるのだ。その秀でた視る力から、かつて先代よエメトセルクが還ると決めた時、その座には彼が推薦されたのだという。
 局長は、「ワタシは視ることしか出来ない。冥界に触れ、適切に力を行使することが出来なければ、その座は務まらないよ」とその話を振られる度に困った表情を浮かべて言うのだが、局長であればその任も十分に務められただろうと思っている。彼はとても頭の回転が速い方だ。魔術を使うまでもなく、その知恵で解決の糸口を見付け出せただろう。委員会の議論にとっても、彼の能力なら良い案を出せるだろうし、何も一人で全てを処理すべきだなんて職責でもないのだ。
 その場合、私は彼の下で働くことは出来なかったのだが……。
 私は彼を尊敬している。彼の人が素晴らしい逸材であると、声高に叫びたいくらいだし、多くの人に認識を深めてほしいだけだ。上司としても、人としても尊敬しているから、それに見合った幸せを掴んでほしいと勝手に願っている。
 願うだけ。触れることはない。触れる権利はない。そう思って、見守っていた。それが、いけなかったと言うのか。
 あの人と一緒にいる局長の、表情の明るさといったら。あの人が新しいものを持ってくれば、興味深そうに目を輝かせ、時には手を叩いて大笑いをした。とても気が合うのがよく分かる。仮面が触れそうな程に顔を近付けて、ひとつのイデアを覗き込む姿だってよく目にした。
 あの人は旅多く、アーモロートを不在にしがちな方ではあるけれど、外に出るたびに多くの実りを都市に持ち帰った。それを出迎えるのが、局長とエメトセルク様だった。
 エメトセルク様はいつもしかめっ面をしていて、アゼム様の顔を見るなり怒り出すなどしていたものだが、人の心とはよく分からない。おおらかに笑顔で出迎える局長より、あちらを選ばれるんだな、と。
 少し、悔しい気持ちすらある。局長の何がいけなかったの。だって、あの方は。
「おや、随分気難しい顔をしているね、どうしたんだい?」
 私ははっと顔を上げた。そこには、たおやかに微笑む局長の姿があった。そして、私は地面を見て足早に歩くあまり、元々の目的地であった保管庫を通り過ぎてしまったことに今更に気付いた。
「すみません、保管庫に行こうとしていたのですが、うっかりここまで」
「考え事のせいかな? そこまで一緒に行くよ。今のキミだとまた通り越してしまいそうだ」
 そう言って局長は私の隣に並んだ。心臓がばくばくと音を立てている。丁度あなたのことを考えていたんです、なんて言える筈もない。
「でも、キミが上の空なんて珍しいね。いつも職責に真面目に取り組んでいるだろう?」
「わ、私のこと知ってるんですか」
「うん? だってうちの職員じゃないか。おかしなことを言うね?」
 私は直属の部下ではなく、承認されたイデアの情報を整理してラベル付けして保管する、末端の事務員だ。そんな私のことまで覚えているなんて。しかも、いつもの様子を知っているなんて。やっぱりこの方は、ものすごくよく視える目をお持ちだ。
 局長は口元に手を当てて、フフ、と笑った。
「真面目なあまり、ちょっぴりいかめしい顔をしているところなんて、ワタシの友人に少し似ていてね」
 私は小さく口を開けた。いかめしい、友人。エメトセルク様だ。私は局長の言うことだけど、ちょっぴり心外だなと思った。私はあそこまで無愛想ではない。……筈だ。
「ごめんね、女性に対してなのに、ちょっと例えが悪かったかな。ワタシにとって友人たちは大切な存在だから、つい」
 私は少し肩を強張らせた。大切な友人。そう、彼にとって彼らは大切なのだ。なのに。
 私は局長の顔を少し盗み見た。いつもより口元の笑みが深い気がする。上機嫌というか。きっと、隠すのが上手い方なのだろう。それ故に、全て覆い隠してしまった表情が、これなのかもしれない。
「あ、そうだ。ねぇ、知っている?」
「な、何をでしょう!」
 私は話を振られて、予想外に大きな声が出てしまった。局長は少し驚いたあと、くすりと笑った。呆れられただろうか。まさか平職員の私と局長で話が広がることなどある筈がないと思っていたのだが。
「そう身構えなくてもいいよ?」
「す、すみません。それで、知っているか、とは……?」
 おずおずと尋ねる私に、局長は満面の笑みを浮かべた。
「二人がね、付き合い始めたんだよ。アゼムと、エメトセルクがだ! これが嬉しくって、ワタシ今日、会う人皆に言って回ってるのだけど!」
 私は口をぽかんと開けた。噂の出処はこの方だったのか。というか、全力で言い触らして回っているらしい。私は混乱して表情を繕うのをすっかり忘れてしまった。
 複雑な気持ちで、気が付けば足が止まっていた。一歩先に進んだ局長が、不思議そうに振り返る。私は抱えたクリスタルを強く抱き締めた。その程度じゃ、硬い鉱石にヒビなど入りようがない。
 局長は、何も言わなかった。何も言わずに、私の言葉を待っていた。ごくん、と乾いた喉に無理やり唾を通す。
「わ、私は……」
 彼の人の心を知れるのは、一生のうちこの瞬間だけな気がした。聞きたくて仕方がない気持ちと、私なんかがこじ開けてしまっていいものか、と遠慮する気持ちがないまぜになる。
 局長が少し背を屈めて、私の顔を覗き込んだ。私は、そろりと視線を上げた。そして、尋ねることにした。表情が不思議と歪んでしまう。
「局長は、アゼム様のこと、好きなんだと思ってました」
 言ってしまった。クリスタルの下で、心臓が破裂しそうな程に鳴り響いている。彼は目ばかりでなく、耳もいいのだろうか。この動揺を、知ることがあるのだろうか。
 局長は少し固まって、それから指の先で顎を擽った。腕を軽く組んで宙を見やる。困って、おられる。
「ご、ごめんなさい、私」
「好きだよ。愛している」
 穏やかで、落ち着いた声だった。
 私は弾かれたように顔を上げた。彼がすこし首を捻って口元に触れるのに合わせて、ローブの内側の淡い紫をした結い髪がちらりと見えて、どきりとした。
 好き。愛している。その言葉を聞くべく私は尋ねた筈なのに、この気持ちは何だろう。この、ざわつく感情は。
 局長は私を真っ直ぐに見据えた。針で留められたペタルダのように、私は指先すら動かせなくなった。彼は、まだ優しく微笑んでいる。
「エメトセルクのことも、同様にね。ワタシは彼らを愛しているよ。友人として親愛の念を持っている。友人の幸せを願うのは当たり前のことだろう? ワタシの大好きな人と、ワタシの大好きな人が結ばれた……。しかも長く、お互いにそうと知らなかった彼らがやっと気付けたんだ。これ以上に喜ばしいことはない。違うかな?」
「で、でも」
 これ以上、私は何を言うのだろう。口を開いてからそう思った。とにかく、彼の言葉を否定したかったのだ。だって、それ以外にない筈だ。そうとしか見えなかった。
 局長は、石のようになった私の肩に、ぽん、と手を置いた。
「キミが諦める理由に、他人を使うのはあまり良くないと思うな」
 私が、諦める理由。諦めるものは、何だった?
「おや、気付いていなかった? うん、そっか。じゃあ、勘違いしてしまったのも、そのせいかな」
 もう、一言も発せなかった。局長はいつだって、優しい微笑みを浮かべている。
「ワタシの愛は、彼ら二人に注がれるものだ。友人たちが、他の何よりも大切だ。だから、そうだね。キミが求めるように「人を愛する」ことは、一生ないかもしれないな。ワタシにとって、二人と居られることこそが幸せのかたち。だから、最初からワタシは他の誰かと結ばれることなどないと思っては居たんだけど、予想通り落ち着いてくれて本当に嬉しいんだ。彼らもワタシのことが好きだから、仲間外れにされることなんかないだろう? ……フフ、こう言ったら、彼は怖い顔で否定するんだろうね」
 仮面など被ることなく、彼は本心をさらけ出している。それが痛いほどに理解できて、私は胸がぎゅうと両手で絞られるような気持ちになった。ああ、私は、なんと浅ましいのだろう。
 無言の私の背を撫でて、歩き出した局長に続く。
「気にしなくていいよ、そう思っているのはキミだけではないしね。どうも、ヒトは情愛の話が好きだからなぁ。ワタシも二人のそういう話は好きだし、他人のこと言えないんだけどね!」
「すみません、私」
「ううん、むしろ謝るのはワタシの方かもしれない。ごめんね、希望を持たせてあげられなくて」
 つきん、と私の胸を針が刺した。そうだ、この人に好いて貰うのは非常に難しい。気付かなければ良かった、と私は思った。しかし、これは彼の優しさなんだろう。
 とても、十四人委員会の座に就くような人間に、人間として勝てる気がしない。それに、もし仮にそう在るような誰かが現れたとしても、局長にとっての至上は彼ら以外になり得ないのが分かっていた。局長は優しいが、そこを譲るような人ではないのだ。
 いつの間にか、目的地の前に辿り着いていた。ひらりと手を振った局長に、私はぺこりとお辞儀をして、一人で廊下から室内へと入る。
「キミの幸せを、ワタシも願っているよ」
 保管庫の扉が閉まる瞬間に、そんな声が聞こえて、私は少し泣きそうになった。
 私も、局長の幸せを願っていた筈だった。しかし私は、自分が幸せになりたいだけだった。
 果たして私は、次の恋に出会えるだろうか。まだまだ引きずりそうだけれど、せめて今度は、私を愛せる人に出会えるといいな、と思った。