【ばいばい、長い夢】
目を閉じると、水車が水を跳ね上げる音がより鮮明に聞こえる。木製の足場を多くの人が行き交う靴の音。賑やかに交わされる日常の会話。それらをじっくりと耳に収めながら、ゆっくりと目を開く。
開いた瞳には、常とは異なる景色が写っていた。昼だというのに暗い景色を、それぞれに灯った光が色鮮やかに彩っている。古き町である森都、その茂る植物と清らかな空気、流れる清水。落ち着いたその穏やかな光の中心では、巨大なクリスタルが灯台となって、森の民も余所者もなく、大地から光を吸い上げてはその身を顕現させていた。
日常に重なって視えるこの景色が何であるのか、私は薄っすらと理解していた。これはエーテルの光だ。学徒の国シャーレアン製のグラスでも掛けない限り視えないはずの世界は、私にとって身近なものだった。
最近設置し直された真新しいベンチに座って、ぼんやりと光の世界を眺める。物心ついた頃から、暇なときはいつもそうしていた。赤、黄、青、緑。ランディングも近く、多くの旅人が通りすがるエーテライト広場を、特殊な視界でひたすらに眺めていた。この色も違う。この色も。稀に現れる、妙に色の濃い光に目を留めつつも、やはり違うと首を振る。
探しているのは、この色じゃない。あの色は、もっと。
夢に見た光が、この世界に存在しているのかも分からない。けれど、焦がれていた。諦めることが出来なかった。
エーテルを瞳で感知する能力は、普通の人間にはないものだという。この国を治める三重の幻術皇のような角尊であればあるいは、と考えたが、私の頭部はつるりとしていて、精霊の加護など窺えたものではない。
そもそも、精霊の存在もまたぼんやりと感じられたものの、向こうはこちらをあまり気に入っているようではなかった。一度真面目に魔法を学ぼうとしたことがあったが、痛いほどの視線を感じて諦めた。この国で育つ限り、「その存在」に目を付けられることはしたくない。
ならば、この能力は一体どこからやってきたものか。学び舎の同年代の子供達に、同じような目を持つ人間はいない。初めてこれが発現したとき、あまりにも鮮やかな世界に気が狂いそうになったが、錯乱する子供に対して親は困惑して道士に相談することしか出来なかった。親も、エーテルには多少なりとも詳しいだろう大人だって、これが何だか知らなかった。「普通」でないことは子供であろうと理解できる。
そのヒントは、おそらく「夢の中」にあった。
幼い頃から、繰り返し見る、夢がある。夢は所詮夢だ、馬鹿らしいと思うものの、夢の中の「私」は、今より更に鮮やかな景色を見ていた。
エメトセルク。それが、夢の中で私を呼ぶ名だ。目覚めて残る記憶は朧げながら、美しい世界の中で、私はそう呼ばれていた。
青く澄んだ空は高く、花々が無数に咲き誇る。宙に浮かんだクリスタルから、虹のような光が真っ直ぐに天を貫いていた。見るのは断片だ。しかし、繰り返す短い夢の中で訪れる、その土地の名前だけは覚えている。「エルピス」。そこは天に浮かぶ浮島だった。
隣国であるイシュガルドやウルダハよりも、その名前を覚えるのは早かった。幼かった私は、そこがこの世界のどこかにあるに違いないと信じ込んで、図書館に通っては地図を借りてくまなく探した。しかし、そんな地名はどこにもない。浮島というだけで探すなら、アバラシアやドラヴァニアの雲海に存在する可能性も考えた。だが、イシュガルド中を旅したという英雄の軌跡を辿る著名な回顧録にも、そんな地名は載っていなかった。
その土地では、ヒューランばかりが暮らしていた。皆揃いの黒いローブを身に纏い、多くが仮面を顔に着けるか、または胸元に提げていた。あれは民族衣装だったのだろうか。考えれば考えるほど奇妙な世界だ。そこで人は、まるで神のようだった。
人は魔法が使えた。何でも創り出す魔法だ。無から有を生み出すそれは、錬金でも何でもなく、まさしく魔法だった。それによって、物も、花も、命も。創って管理するのが当たり前で、「私」もそれを是としていた。
ありえない。そんな、奇跡のような御業。だからこれは、やはり夢なのだ。
そう片付けてしまいたいのに、未だ、学び舎の授業が終わればぼんやりと視界を開いて広場を眺めている。今日はまた、ことさらに。
夢の中には一つだけ、異物がある。常識とかけ離れた世界の中で、まるで今の世界と繋がるように立つ、ローブも仮面もない、一人の女性だ。断片的な夢の時系列、最初は彼女の出会いから始まる。
据えられたエーテライトに導かれて、床に足を着けた。それとほぼ同時に、それは視界の中に飛び込んできた。小さくて、弱くて、風が吹いたら飛んでしまいそうな、幽霊のような、そんな姿だった。
それを見たとき、「私」は大層困ったようだった。希薄すぎるその色は、「私」に馴染みのあるものだったらしい。いくら薄まっていようとも、それを見付けたら魅入られずにはいられないようだった。エルピスにその姿はなく、今の私がその馴染みを知る由もないのだが、「私」にとってその色のオリジナルである「あいつ」は、面倒で複雑怪奇な感情を呼び起こす厄介な生き物であったらしい。
紆余曲折あって、「私」は希薄な彼女を自らのエーテルで補強し、しばし同じ時を過ごした。彼女にとって私は、何だったのだろう。散らばった物語は上手く繋がってくれないくせに、彼女の瞳ばかり覚えている。
こちらを見付けた瞬間の、見開かれた瞳。それは少し苦しそうに歪んで、伏せられた。それから、ひどく嬉しそうに細められた。震える声が「私」を呼ぶ。エメトセルク、と。その声色は懐かしむような、恋しく思うような、奇妙な音だった。
彼女にとって、エメトセルクは大切な人間だったのだろうか。エルピスのことを何も知らない彼女は、用意されたローブに身を包んで、「私」と同行者である親友にやたらと懐いた。あなた達のことが知りたい。教えてほしい。その世界にとっての常識ばかり聞いてくる彼女に困惑しつつも、そこまで「私」は厭な気持ちにはなっていなかったと思う。
夢の中の日数は、多く見積もっても数日間だ。その中には小難しい話し合いもあれば、まるで強者のように激しく競り合う戦闘だってあったようだ。「私」の物語は長く続き、その期間は瞬きよりも短い一瞬のことであっただろう。なのに、彼女との短い日々を夢で繰り返している。
あれは、本当に夢なのだろうか。視点を動かさず、街を行くエーテルの波を眺めている。
今日の授業は、歴史についてだった。第六星歴の終わりから、第七星暦初頭にかけて。二百年ほど前になろうか。それは、動乱の時代だったという。そこまで緩やかだった年表が、月ごと、下手をすれば日ごとに記さねばならなくなるほどに。
当時は大陸全土を飲み込まんとする、大帝国が存在した。その侵攻に抗おうとしたのが、「英雄」の名が出てくる始まりだった。その女性は初め、どこにでも居る一介の冒険者であった。しかし運命が彼女を見初めたように、「星の意思」が彼女を祝福した。彼女はエオルゼアを護り、邪竜を屠り、圧政に苦しむ国々を解放した。
当時若かった幻術皇など、まだ存命の人物もあるからようやく一人であると認識されているが、さらに数百年、数千年と年月が経てば、一人の活躍とはとても思われなくなるかもしれない。彼女はひたすらに人を救った。そして、星をも、救った。
終末、という言葉を今日初めて習った。だが、私はそれを既に知っていた。彼女が口にしていた。「終末なぜ起きたのかを知るため、止めるために、私はここにいる」と。
絶望に堕ちたとき、人の身体が獣に転じる「終末現象」というものが各地で起きたのだという。天が赤く燃え、星が降り注ぐその景色を、何故だか私は知っていた。実際に目にでもしたかのように。ラザハンでもガレマール帝国でもなく、黒く崩壊した高い建物の間を逃げ惑う人の姿を知っている。
彼女は、終末の原因が星の外にあると知り、シャーレアンが開発していた星間飛行船に乗って天の果てまで向かったという。そうして終末を引き起こす存在を打ち払い、終末は退けられた。めでたしめでたし。それで、終わっていいのか。
英雄の話は昔から物語として聞いていた。終末も、やもすると老人たちが戒めの言葉として幼い子に教え伝えていたのを、無意識に覚えていたのかもしれなあ。しかし、彼女と英雄の姿が重なりすぎるのだ。種族も同じだった。あれは、いつかあった、本当の。
(……っ!)
不意に、視界の端で何かが光った。ぱちん、と瞳を瞬く。ピントが吸い寄せられるように合わさっていく。ランディング併設のカフェから出てきたのは、一人の少女だった。
その色に、言葉を失った。
彼女の色だった。数日間をともにした彼女。もっと長い時をかき回した「あいつ」。その色を見間違えるはずがない。いつの間にかベンチから立ち上がり、走り出していた。
彼女だ。彼女に違いない。旅装に身を包んだ少女のかおかたちに見覚えはないが、確かに知っていた。坂道に立ち、看板を見上げてきょろきょろとしている。行き交う人々の中で、彼女の形だけが鮮明に視えた。広場から少しの距離で息切れなどしようもないが、心臓が早鐘を打っていた。
その手を掴む。彼女は驚いた顔でこちらを振り返った。
「……? あの、私に、なにか……?」
そこまで行動してから、私はやっと立ち止まった。
何を言えばいい? 夢の中であなたと同じ色に魅入られていた。ずっと探していた。あなたは夢のあの人に違いない、とでも? ……馬鹿らしい、所詮夢だ。しかも、エーテルの光が瞳で捉えられるなんて言葉自体が眉唾ものだろう。何を言ったって、国に降りた瞬間に突然やって来た不審者だ。探し出すことだけを考えて、もし出会えたときの先など想像したこともなかった。
私は言葉に詰まったあと、苦々しく訊ねた。
「どこかで、会ったことが、ないか……?」
ひどいナンパ文句である。グリダニア人が皆こうであると先入観でも植え付けていやしないだろうか。彼女は目を丸くしたあと、ふふ、と小さくはにかんだ。私は軽く赤面した。手は、決して離せないまま。
彼女は手を引き寄せた。一歩分、距離が近づく。瞳が私を覗き込んでいた。
「会ったことがあるかもしれない。何も覚えていないけど、そんな気がする。……とか言って。変な子引っ掛けちゃったって思ってない? 大丈夫?」
いたずらっぽく笑う瞳には、既視感しかなかった。「あいつ」の目であり、彼女の目である。彼女の指が私の手に絡む。その温かさに、妙に安堵した。
「これから話すことの方が突拍子もない筈だ」
それは間違いない。女性を誘うにしてはよろしくないしかめた表情に、彼女はけらけらと笑った。ぐい、と引かれて、歩き出す。ああ、知っている。手を引いて、引きずっていくのだ。彼女の行く先、どこまでも。懐かしくて堪らなくて、胸が泣いた。
彼女がウィンクしてみせる。
「まぁ、まずはお茶でもしながらゆっくりと。どうだい? ここのカフェ、何が美味しいか教えてよ」
あなたは前世を信じるか、だなんて、まるで悪い宗教への勧誘のようであったけれど。
短い日々の長い話には、まだまだ、続きがあるらしい。
